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第12回 高水準の賃上げはインフレのもとか あるいは賃金と物価の好循環の実現か
実質的な賃金・物価の上昇が見られなかった日本で、2022年以降インフレが常態化している。2023年の春闘では定期昇給を含めた賃上げが3.58%に達し、以降高水準の賃上げが盛んになった。最低賃金もコロナ禍の2020年度にこそ据え置かれたものの、2021年度からは毎年3%超の引き上げが続いている。2020年代中に全国平均1500円という政府目標も掲げられた。
一方、連年の賃上げと最低賃金の引き上げで、中小企業を中心に原資確保が困難になっている旨の報道は多い。原材料価格の高騰に加え、賃上げによるコストプッシュ型インフレへの警鐘を鳴らす経済学者もいる。ただ結論から述べると、日本では賃上げがインフレを加速させるような状況にはなっていない。過去5年間で実質賃金の変動が安定的にプラスになった期間は、2024年後半、2025年12月、2026年1月と1年にも満たないからだ(※1)。
賃金と物価の関係をさらに詳しく見てみよう。GDPデフレーターという国内で発生した付加価値に対する物価指数をもとに、物価変動の要因を労働者への支払い(単位労働コスト、2025年は速報値ベース)、企業の営業利益(単位営業余剰)などに分解したものが上図だ。消費者物価指数とGDPデフレーターは概ね連動する。ただ、2022年春から本格化した円安のように輸入物価が上昇すると、消費財・サービスの値段を敏感に捕捉する前者に対し、後者は国内企業による価格転嫁を経ないと上昇しないという特徴がある。
コロナ禍発生直後は、経済活動の停滞に伴い労働者を雇い続けるコストが高まって、単位労働コストが上昇した(上図参照)。2022年には輸入物価が高まり、2023年には企業の価格転嫁が浸透する。労働者の賃上げは2024年になって浸透してきたが、2025年になると勢いが衰えてきたことがうかがえる。これは、前述した実質賃金の動向ともおよそ一致する。
対照的に、オーストラリアやユーロ圏では2023年から国内物価上昇の牽引役は単位労働コストにほぼシフトし(※2)、アメリカでは単位労働コストと単位営業余剰の寄与度が同時期から拮抗している。いずれの国も2023年から実質賃金は安定的に上昇している。日本における「賃金と物価の好循環」は、まだ光明が差したばかりだ。大企業・中小企業、都市部・地方の差をいかに埋めるかが今後の焦点だ。
※掲載内容は個人の見解によるものです。
(※1)季節調整値ベース。また、日本では持ち家の価値を借家の家賃に換算した「持ち家の帰属家賃」を除いた物価指数で実質賃金を算出するが、本稿では国際比較の観点から消費者物価指数(総合)を参照する。
(※2)Georgieff, A. & Martin, S. (2025). Bouncing back, but on shaky ground: Wages continue to recover in uncertain labour markets. OECD Employment Outlook 2025.
プロフィール
荒木 恵氏
経済協力開発機構(OECD)にて労働政策・公衆衛生政策を担当するエコノミスト。パリ在住。一橋大学法学部卒業、ジュネーブ国際開発研究大学院(IHEID)国際経済学修士号取得。外資系投資銀行などを経て現職。
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