著者と読み直す

『デモクラシーのいろは』森 絵都

民主主義とは、与えられた物語ではなく、自分自身で考えた物語を生きること

2026年04月28日

「面白かった」「ためになった」だけでは終わらない本を著者と一緒に読み直します。今回は森絵都氏の『デモクラシーのいろは』。最新作を通じ、民主主義の本質である「自分の物語を生きること」の重要性を語ります 。

「デモクラシーのいろは」表紙

児童文学のみならず、ノンフィクションや大人向けの小説でも多くの読者を魅了してきた森絵都さん。その森さんが準備に2年、執筆に3年を費やし「民主主義」という骨太なテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた。舞台はGHQ(連合国軍総司令部)占領下の日本だ。

「この時代に興味を持ったのは、コロナ禍の最中。この先ハイパーインフレがくるのではと危機感を持ったのがきっかけでした。終戦後のハイパーインフレについて調べようと本を数冊読んだところ、インフレに関しては今と条件が違いすぎて参考にならないとわかったのですが、それ以外の部分が思いのほか面白かったんです」

文献の渉猟を始め、「日本人と民主主義の出合いをテーマにドラマが作れたら面白そう、と思えたのが100冊くらい読んだとき」。得た情報は都度細かく記録した。その作業は、単行本出版に向け月刊誌の連載に加筆修正する段階まで続き、最終的に参考文献は450冊にのぼった。

「私自身が戦争を知らないので、物語やエピソードを発想するのに土台が必要でした。土台が広くしっかりとしていればいるほど、高く大きな家が建つだろうと」

ストーリーは、GHQが日本に民主主義を根付かせるための実験として半年間行った、という設定の「民主主義のレッスン」を軸に進む。物語が成立するか不安だったが、先生役を日系2世にするアイデアが浮かんだとき「これはいける」と確信した。有色人種への差別や戦争中の日系人強制収容を自ら体験し、自由と平等を掲げるアメリカンデモクラシーが矛盾に満ちていることを知るリュウ・サクラギだ。

民主主義から最も遠かった女性 変化への戸惑いも書きたかった

生徒は、元華族の才女、静岡の農家の娘、横浜の洋裁屋の娘、街娼をしていた過去を持つ青森の娘。すべて女性に設定したのは、当時、民主主義から最も遠い存在だったからだという。

「家父長制のもと、戦時下で男性以上に抑圧されていた。急に『国民は皆平等。誰もが自分の意見を言っていい』と言われたときに、女性たちが感じたであろう戸惑いも書きたかったんです」

物語のなかで鍵を握るのが、リュウが発した「民主主義の基本は、与えられた物語をそのまま受け入れるのではなく、自分自身で考えた物語を生きること」というセリフだ。そう言わしめたのは、戦争中は「八紘一宇」というプロパガンダに踊らされ、戦いに敗れた途端、アメリカ由来の「民主主義」を崇める日本人への違和感。

「レッスン初日の場面を書いていたときにポロッと出てきて、その瞬間、物語の裏テーマになるという手応えがあった」。そして、この言葉に導かれるように物語を紡いでいった。

「大事なのは自分が人生の軸にあること。今だって、人から何かを押し付けられることは多々ありますよね。でも単に嫌だと思いながら従うのではなく、自分のためになることや楽しみを見つけていけば自分の物語になる。人生のすべてにおいて自分の目的を作っておくことが大切だという私が若い頃から持っていた考え方が、小説のなかに自然と漏れ出したのだと思います」

社会はそう簡単に変わらない それでも望む道を進むには

いちばん悩んだのは「出口」だった。先駆的な考え方を身につけたとしても、彼女たちがそれを発揮できる場所はあるのか── 。森さんは、自分の言葉で自分の考える「民主主義」について語ろうとした女性たちが、「おんなの分際で生意気な」と怒鳴られるシーンを挿入した。

「綺麗事にはしたくなかった。個人が変わっても社会は簡単には変わらない。その現実のなかで、自分たちの望む道を進むためにどうすればいいのか。考え続けた結果、生まれたのが、彼女たちが与えられた役割や物語を書き換え、予想外の行動に出るという最後の仕掛けです」

どんな仕掛けかは読んでのお楽しみだが、森さんが最終章で「これだけは」と思い入れを込めたセリフがあるという。

「民主主義の国じゃ、この尊重っていうのがとっても大切なんよ。自分の言いたいことを言うだけじゃなくて、相手のいうこともきちんと聞いてあげること。相手の立場に寄り添ってあげること」

分断が進む「今」という時代にも響く。森さんは、スウェーデンのV-Dem研究所の年次報告書「民主主義リポート2025」の数字を引いて、こう話す。

「独裁や権威主義が広がり、民主主義のもとで暮らす人は人口ベースで世界の28%だそうです。日本では民主主義を当たり前のように享受していますが、全然当たり前ではない。この小説を書いたからこそ、一度失われるとまた恐ろしい時代がくるという危機感を強く感じています」

書籍紹介
『デモクラシーのいろは』 森 絵都

著者6年ぶりの長編。戦後、日本の民主化が進まないことに業を煮やしたGHQ(連合国軍総司令部)は、「民主主義のレッスン」を始める。集められたのは、出自も境遇も異なる4人の女性。日系2世の教師リュウは個性的な生徒に翻弄されつつ試行錯誤する。果たして4人は古い価値観から解き放たれた「新しい婦人」として再出発できるのか? あっと驚くラストに向け、物語は疾走する。人材育成の視点で読んでも面白い。(KADOKAWA刊)

 森 絵都氏の写真

Mori Eto
作家。1991年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。95年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、17年『みかづき』で中央公論文芸賞を受賞。ほかに『カザアナ』『できない相談』『生まれかわりのポオ』『獣の夜』など著書多数。

Text= 石臥薫子 Photo= 今村拓馬