人事のアカデミア

身体知

創造的な知の源泉はリアルな身体性にある

2020年06月10日

熟練技術者の勘やクリエイターの感性など、他人には説明しにくいが、個人的に体得しているスキルはどのように磨かれるのか。労働経済学者の梅崎修氏をナビゲーターに、注目の研究を紹介する本企画。今回は、認知科学の観点から創造的な知の研究に携わる諏訪正樹氏に聞く。

頭でっかちな知識から創造性は生まれない

梅崎:「こつ」「勘」「感性」などと呼ばれるものの正体は、一言でいえば何でしょうか。
諏訪:「身体知」、身体に根ざした知です。頭でっかちな知識とは違い、こつや勘は、その人の生活体験のなかで培われ、身体や生活の実体に根ざしたものです。身体知の学びとは、実に創造的なことですが、そのためには身体の存在が重要なんです。
梅崎:身体とは?
諏訪:1つは物理的な存在としての身体です。私は野球をやっています。バッターボックスに立つと、足裏からさまざまな感覚を得ます。地面が粘性のある土ならば、足裏のほんの一点で安定的に身体を支えられますが、サラサラの砂ではそうはいかない。身体は物理的な存在だからこそ世界との相互作用が生じ、新たな意味が感じ取れ、身体の動きが決まったりする。
もう1つの身体は脳の奥のほう、感覚を大脳皮質に伝える間脳や本能や情動を司る大脳辺縁系あたりでしょう。身体と世界の相互作用から、我々の体内には身体感覚が生じますが、その生成には脳のそのあたりが関与しているはずです。将棋では、次の指し手は約80通りあるそうです。プロ棋士の羽生善治さんは、すべての指し手候補を比較・分析して決めるのではなく、2、3の良さそうな手だけが見えるそうです。論理的な比較・分析は大脳皮質の仕事ですが、その前に間脳や大脳辺縁系あたりの部位が、身体感覚的に重要そうなものに着眼し、取捨選択しているのではないかと考えられます。
梅崎:それはアスリートやプロ棋士に限りませんよね。コミュニケーションも身体知ですし、一般のビジネスパーソンも身体を使っています。
諏訪:まさに生活は、身体知だらけだと思います。たとえば、人事が採用面接をするときにも、大脳皮質で論理的に考えるよりも前に、直感的に判断しているでしょう。「感性」とは、そのあたりの脳部位による着眼力と、大脳皮質による解釈力です。無限の情報のなかの何かに着眼し、そこに意味を見出すことなので、まさに身体知です。

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常に身体の存在を意識し自分のことばで語り続ける

梅崎:身体知を磨く方法論として、諏訪先生が提唱されているのが「からだメタ認知」という概念です。
諏訪:簡単にいうと、身体の声(身体感覚)を聴こうとすること。身体感覚をなるべくことばで表現しようと努力することで、感じ方を研ぎ澄まし、身体の振る舞いを進化させる手法です。身体感覚をうまく表現できなくてもよい。ことばを介して、別のことばにも連想が広がり、新たなことばの視点で身体を見直すと、思いも寄らなかった着眼点や解釈が得られます。たとえば日本酒の酸味には、喉をジリジリと刺激する酸味もあれば、舌先にとどまりきらりと光る酸味もある。ことばの力を借りることで身体感覚に意識を向け、身体もことばも進化させるのです。
梅崎:環境と身体との相互作用は刻々と変わるので、常に内部観測を続けていくことが重要ですね。
諏訪:こつをつかむと視点が固定化し、停滞の時期がくる。スランプです。でも、実は、環境は刻々変わるので、自らの身体が発する声も変わっているはずです。からだメタ認知を実践する習慣があれば、新しい着眼点を得て、さらなる上達が望めます。スランプは必要悪なんですね。
梅崎:からだメタ認知は、単に「無になって身体の声を聴け」という話ではありません。言語化が大切で、身体とことばの共創サイクルですね。
諏訪:ここでの「ことば」は、他人に伝えるためではなく、自分の身体感覚をつなぎとめるためのもの。どこかで聞きかじった受け売りのことばでなく、身体感覚に向き合うからこそあふれ出す内なることばです。
梅崎:意識してトライ&エラーを繰り返すしかない。ノウハウとして他人に伝えようという意識が強過ぎると学びは止まってしまいますね。
諏訪:身体知は個人のものであって、マニュアル化して他者に使ってもらおうとすることは間違い。クリエイティブな知を育もうと目論むなら、マニュアルの発想から脱却して、自分の身体に向き合うことを実践してほしいです。

Text=瀬戸友子 Photo=刑部友康(梅崎氏写真)

諏訪正樹氏

慶應義塾大学環境情報学部教授

Suwa Masaki 1962年大阪生まれ。慶應義塾大学環境情報学部教授。工学博士。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。学び理論「からだメタ認知」を提唱し、身体知を探究してきた。
◆人事にすすめたい1冊
『「こつ」と「スランプ」の研究』(諏訪正樹/講談社選書メチエ)。スランプを乗り越え、こつを体得するとはどういうことか。身体知の学びに挑む、認知科学の最先端。

梅崎 修氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

Umezaki Osamu 1970 年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程修了( 経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
◆人事にすすめたい1 冊 『労働・職場調査ガイドブック』(梅崎修・池田心豪・藤本真編著/中央経済社)。労働・職場調査に用いる質的・量的調査の手法を網羅。各分野の専門家が、経験談を交えてコンパクトにわかりやすく解説している。