人事のアカデミア「嘘」の政治史

レトリックの力を駆使して「横着な嘘」の増殖をくいとめろ

社会の変化は極めて激しく、働く人々の価値観も多様化するなか、リーダーの発するメッセージがますます重要になっている。その発する言葉一つで、人々を落胆させ、連帯を分断することもあれば、メンバーの心を揺さぶり、一体感を高めることもある。誰も先行きを予測できない不透明な時代に、リーダーが発すべき言葉とはどういうものか。人々に希望を示し続けていくには、何が大切なのか。激動の日本の近現代史において、政治的な「嘘」を考察した五百旗頭薫氏に聞く。

良い嘘を武器にして悪い嘘を駆逐する

梅崎:政治史における「嘘」というのは、大変興味深いテーマです。

五百旗頭:絶対的な権力が存在するならば、嘘をつく必要はないでしょう。何でも思い通りにできるのですから。しかし、複数の政党が競い合う政党政治ではそうもいきません。与党に異議申し立てをしたり、野党の追及をかわしたりするときに嘘を武器にすることもある。ただしそのなかでも、ましな嘘と悪質な嘘があります。

梅崎:いちばん悪質なのが、「横着な嘘」ですね。

五百旗頭:ぎりぎりの攻防のなかで政治家が懸命に隠そうとする「必死の嘘」に対して、時の勢いや権力をかさに、皆が絶対に嘘だとわかっているのにしれっとまかり通ってしまう嘘のことを、「横着な嘘」と呼んでいます。横着な嘘が横行すると、皆が白けてしまって議論する気も失せてしまう。そうして、横着な嘘はどんどん増殖していき、政治的無関心へとつながってしまうのです。

梅崎:嘘に着目したきっかけは何だったのでしょうか。

五百旗頭:これは私自身の原体験なのですが、子供の頃、母親に「僕はやっていない」とあからさまな嘘をついたことがあります。しかし、私が嘘をついていることを母は知っている。母が知っていることを私もわかっている。そして、やはりそのことを母は知っていて……。つまらない嘘が永遠に循環する無間地獄だと思いました(笑)。「嘘はいけないもの」という罪悪感に囚われたわけではありません。善悪の問題ではなくて、どうでもよい嘘が増殖していくことが苦痛で、政治史を研究するなかでも自ずと嘘に興味を持つようになりました。

梅崎:単純な「真実vs.嘘」の二項対立ではないという点が重要ですね。現実社会にも必要悪としての嘘はあります。

五百旗頭:よく「政治家は嘘ばかりついている」などと言いますが、そもそも選挙で選ばれた政治家が国民を代表するという議会自体が、嘘といえるのではないか。議会制度のように人々が信じている「フィクション」も、嘘の一種なのです。虚構を生み出し、信じることができるのが、私たちホモ・サピエンスの強みだという説もあります。だとすれば人間の思考と嘘は切り離せません。重要なのは、100%真実かどうかよりも、横着な嘘に対抗できるフィクションを生み出せるかどうかだと思います。

梅崎:横着な嘘の増殖を止めるには、フィクションが必要だと。実際、正面切って真実をぶつければ勝てるというものでもありません。言ってみれば、フィクションとは良い嘘のこと。皆がそれを信じて共有し、その土壌の上で議論が進んでいく「場」のようなものでしょうか。

五百旗頭:その通りです。そしてフィクションを生み出すには、さまざまな言葉を駆使して人々を納得させなければなりません。そうした力のある言葉を、「レトリック」と呼んでいます。

w161_akade_1.jpg出典:五百旗頭氏作成

社説の創設により言論の場が広がる

梅崎:五百旗頭先生は、著書『〈嘘〉の政治史』のなかで、人々を動かす言葉の力、すなわちレトリックによって皆が共有できるフィクションを生み出した人たちを「あっぱれ」と称えています。

五百旗頭:レトリックを繰り出すには、それなりの工夫と努力が必要です。明治期には、当時の言論界の中核を担った文芸の世界から、素晴らしいレトリックを生産する「あっぱれ」な人たちが多数生まれました。

梅崎:その1人として紹介されているのが、福地櫻痴(ふくちおうち) です。幕末から明治にかけての人物で、ジャーナリストとして活躍した後、後年には演劇改良運動に力を尽くし、歌舞伎座を創設したことでも知られています。福地の最大の功績は何でしょうか。

五百旗頭:『東京日日新聞』の主筆となり、社説を創設したことです。当時の新聞は、報道記事はごく一部で、ほとんどが投書欄でした。都合のよい投書を選んで載せているだけなので、少しくらいつじつまが合わなくても、読者の投書だからと逃げることができた。

梅崎:まるでSNSプラットフォームみたいですね。

五百旗頭:まさにそうです。投稿者の中心は士族でしたが、社会的地位は高いものの、どんどん特権が剥奪されていったので、投書の多くが世の中に対する批判や不満となり、あまり代わり映えしません。どの新聞にも横着な嘘をついている投書が並び、言葉の意味はますます希薄になる。各紙の政治的立場も、明確なものではありませんでした。
そこに社説が登場しました。社説欄では、新聞社が責任を持って、自分たちの主張を力強い言葉で語ることになります。当時の社説は、現代のように短いものではなく、1つのテーマで何段にもわたる長い文章を書いて毎日載せていました。いい加減なことを書いていたら主張の整合性がとれなくなって、すぐに攻撃の対象となります。それでも社運をかけて、体系的に自社の意見を表明するという勝負に出たのです。

梅崎:レトリックの力で横着な嘘を押し返したわけですね。

五百旗頭:はい。しかも福地が勝負に出たおかげで、他紙も対抗して、自社のスタンスを明確にするようになりました。そうなると、いろいろなキャラクターが並び立って対峙する場が生まれる。非常に演劇的な空間を作り出したといえます。

梅崎:インターネットの掲示板のように、皆が自分の言いたいことだけを言って終わるカオスな状態だったところに、それぞれの立場から議論できる場を作った。だからといってディベート大会のように、相手を徹底的に打ち負かして勝ちを制するというのでもない。メディアが両論を併記したり、論争を展開したりするのは今では当たり前ですが、対立意見も含めて複数の意見が併存し、かつ意思疎通が成立する高度なコミュニケーション空間をオーガナイズしたということですね。

五百旗頭:そうです。この時期、福地が活躍した新聞のほかにも政治小説や俳句など、さまざまな世界からレトリックの使い手が生まれました。

w161_akade_3.jpg出典:五百旗頭氏作成

リーダーが意識すべきは「時間感覚×言語感覚」

梅崎:レトリックを駆使してフィクションを作り出すことの重要性は、政治に限った話ではないでしょう。企業も同じこと。昔は「終身雇用・年功序列」や「企業内労働組合」のようなフィクションに、皆が乗ることができました。若いうちは給料も安くて下働きみたいなことをやらされていても、「定年までにはもとが取れるから」という言葉を信じることができたけれども、1年後どうなっているかわからないような時代に、そんな嘘はさすがに通用しません。何かそれに変わる新しいフィクションが求められています。

五百旗頭:野党の嘘についても研究しましたが、野党が生き延びるためには、いずれ政権を取るという希望を示さなければなりません。しかしそれと同時に、政党としての本領を守りぬく必要もある。つまり、希望と本領を適切に関係づけることが大切です。
それにはレトリックの生産力が欠かせません。世の中も常に変わっていくので、それにあわせてどんどん新しいレトリックを繰り出していく必要がある。あまり賞味期限が短くてもいけませんが、中長期のスパンで更新していき、来るべきときを待つのです。たとえば4年に一度総選挙があるとしたら、5年くらいは通用するようなレトリックを作り出していく。そうして耐えているうちに局面も変わりますから。

梅崎:確かに、3 〜5年くらいのスパンで考えるとよいかもしれませんね。たとえば企業が若い優秀な人材を採りたいと思ったときに、「3 年間経験を積めばこれだけ成長できる」「5年後にはあなたのキャリアにこれだけプラスになる」と納得してもらえるようなメッセージを発信することはできそうです。

五百旗頭:細かなロジックよりも、時間の刻み方を示すことは非常に重要ですね。今は日の目を見なくても、3年後、5年後に希望が持てると信じてもらえるかどうかは極めて重要です。

梅崎:「定年まで安泰」と言っても空虚な理想論でしかないでしょう。かといって「1年後に何でもできるようになる」と言うのも、横着な嘘かもしれません。

五百旗頭:政治家は、国民の不安や期待を否定してはいけませんが、それをそのまま政策に持ち込むことは難しい。異なる時間軸に置き換えていくことが大切で、将来の希望を示しながら、今できないことははっきりノーと言うべきです。時間軸を伴うと、ビジョンにも説得力が増すと思います。

梅崎:リーダーは少しロングスパンでものを見ながら、レトリックの力を駆使して希望をつないでいくことが大切。人を動かすメッセージを発信するには、「時間感覚×言語感覚」を意識すべきですね。

w161_akade_4.jpgリーダーに必要なのは、人々が信じられる希望を示すこと。それには、レトリックの力を最大限に活かす優れた言語感覚が欠かせない。同時に、時間感覚も重要になる。目先の現実や遠い未来の理想論を語るのではなく、「がんばれば希望がかなうかもしれない」と信じられる少し先の未来を示していく。
出典:五百旗頭氏作成

Text=瀬戸友子 Photo=刑部友康(梅崎氏写真)

五百旗頭薫氏
東京大学大学院法学政治学研究科教授
Iokibe Kaoru 1974年兵庫県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。東京大学法学部卒業。同大学法学部助手、東京都立大学法学部助教授などを経て、現職。日本政治外交史専攻。
◆人事にすすめたい1冊
『〈嘘〉の政治史―生真面目な社会の不真面目な政治』(五百旗頭薫/中公選書)。政治に〈嘘〉はつきものと言われるが、〈嘘〉にも性格があり、その対処法がある。嘘を生き延びるための教訓を、近現代の日本の経験に学ぶ。
梅崎 修氏
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
Umezaki Osamu 1970 年生まれ。法政大学キャリアデザイン学部教授。大阪大学大学院博士後期課程修了( 経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
◆人事にすすめたい1 冊 『労働・職場調査ガイドブック』(梅崎修・池田心豪・藤本真編著/中央経済社)。労働・職場調査に用いる質的・量的調査の手法を網羅。各分野の専門家が、経験談を交えてコンパクトにわかりやすく解説している。