なぜ「不公平感」は広がるのか──家族・働き方の多様化と社会制度の再設計

中央大学 法学部教授 宮本太郎氏

2026年04月20日

Taro Miyamoto家族形態や働き方が多様化するなかで、本プロジェクトでは、制度や職場のあり方がその変化に追いつかず、不満や不信感が広がっている実態を明らかにしてきた。研究から浮かび上がったのは、特定の立場の人だけでなく、多くの人が「自分だけが損をしている気がする」「なぜあの人たちのために負担しなければならないのか」と感じている姿だ。こうした状況を、福祉政策論を専門とする中央大学法学部教授の宮本太郎氏はどのように捉えているのか。社会で起きている変化の解釈と、今後に向けた視点を聞いた。

不公平感は、どこから生まれてきたのか

―― 今回の研究では、家族形態や働き方の違いを背景に、不公平感や不信感が広がっている様子が見えました。先生は、この状況をどのように見ていますか。

今起きていることは、何か大きな対立が露呈しているというよりも、仮に表面化していなくても、社会の根底でその基盤となる互酬性(互いに支え合う関係)への信頼が揺らいでいることだと思います。ライフスタイルによって、仕事との関わり方や家族のあり方が変わってきているだけでなく、制度へのアクセシビリティが違っている。そうすると、お互いの状況が見えにくくなって、「なぜ自分は給付を得られないのか」「制度は誰の味方なのか」という疑念が生まれやすくなります。その象徴の一つが、「独身税」という言葉に表れているといえるでしょう。

本来、子育て支援は誰もが合意できるテーマでした。所得が高い人も低い人も、子どもを育てやすくすること自体は大事という点では折り合えた。ところが今は、家族の形も生き方も多様化していて、結婚しない人、子どもを持たない人が増えている。そのなかで子育て支援が拡充されると、「結婚して子どもも持っている人たちのために、なぜ自分が負担しなければならないのか」という感情が生まれてくる。今どき、お金がないと子どもを産んで育てられないからと、子どものいる世帯は豊かさの象徴に見えるわけですね。ただ、ここで重要なのは、子どものいる世帯が必ずしも楽をしているわけではない、ということです。

「恵まれているように見える人」も抱える、語られにくい負担

―― 外からの見え方と実態のギャップについて、先生はどのように捉えていますか。

国民生活基礎調査などを見ると、子どものいる世帯の方が平均年収は高い一方で、「生活が苦しい」と感じている割合も高いという傾向が出ていますよね。外から見ると経済的に余裕があり、恵まれていそうに見える世帯であっても、実際には教育費や時間の制約、仕事との両立など、別の種類の負担を抱えている。どちらが大変かという話ではなく、苦しさの質が多様化しているのです。平均年収だけを見ると見落とされがちですが、ここに「ずるいずるい社会(※)」のリアルが表れていると思います。

雇用形態の違いについても同じで、正社員には正社員の、非正社員には非正社員の、全く性質の違うしんどさがある。苦しさの構造が一元的ではなくなっていること自体が、今の社会の特徴なのだと捉えています。例えば正社員の場合、収入や雇用の安定がある一方で、職場での人間関係や役割期待、空気を読む負担が大きい。他方で、非正社員だと気が楽なのかというと、職場の人間関係が希薄で、名前さえ覚えてもらえないといった孤立感を覚えるケースもあると聞きます。そうした負荷は、統計の数字には表れにくいけれど、確実に存在しています。問題なのは、負担を語りにくいことです。語られないから、周囲からは見えない。結果として、「あの人たちは恵まれている」というすれ違いが起き、分断を深めていくのだと思います。

多様化したのに、幸福のモデルは変わらない

―― それぞれのしんどさを語りにくい背景には、何があるのでしょうか。

一つの要因として、アテンションエコノミーの影響があると考えています。実態としては共働きが当たり前になり、家族の事情も多様化しているのに、メディアやSNSで共有される幸せな家族像は、どこか昭和的なモデルを引きずっています。例えば、「母の手作り弁当こそが幸福の証」といった旧来のイメージが、SNS等を通じて再生産され、働く母親の役割をどんどん重くする。家事・育児に奔走する父親が増えても、勤め先では、彼らのそうした家族における役割を想定していないことも多い。世の中の役割期待があまり変わらないなかで、背後にある大変さや疲れは覆い隠されているため、受け取る側は、明るく整えられた断片だけを見ることになります。その結果、見えない弱さ同士が衝突して、不信感や分断が生まれていく構図です。

―― 家族モデルが、世間で言われているほどには変わっていないのですね。

そうですね。ただ、個人のメンタリティにはものすごく大きな変化が起きているように感じます。人との関係を非常に大事にするようになり、相手を大切に思えば思うほど、関係が壊れることへの恐れが大きくなっているようです。結婚や子どもを持つことについても、「得られる喜び」だけでなく、「失うかもしれないリスク」まで含めて考えるようになっている。私の講義のなかで、300人の学生に子どもを持つことに逡巡する理由は何かと尋ねたことがあります。すると、子どもがこれから世の中でリスクを負って傷つくことや、子どもが病気になること、自分と子どもの関係がこじれることなどへの恐れが強くありました。それだけ、愛情の重みが増しているのでしょう。

こうした繊細さや傷つきやすさは、必ずしもマイナスなものではありません。本来は、他者への配慮や気づきをもたらし、社会を支える重要な力になり得るものです。ただ、その前提に立って制度や働き方が設計されていないために、それが生きづらさになって表面化してしまっているのです。

弱さを前提に、働き方と制度を組み替える

―― では、こうした弱さや傷つきやすさを活かすような社会のあり方について、どのように考えるとよいでしょうか。

具体的に実行できる一つの方向性は、働き方の組み替えです。管理的業務に責任が集中するモデルから、弱さを補完しあえるチームモデルへ転換するということです。今後、ホワイトカラーの業務がAIによって激減し、エッセンシャルワークへの労働移動が起きざるを得ないと予測されますが、エッセンシャルワークの分野でも、ケアマネジャーのように一人の専門職が全工程を担うという設計自体を見直す必要があります。保育や介護、医療の領域で、業務を細かく分解し、専門性が本当に求められる仕事と、定型的な仕事を切り分けることができます。そのうち、専門職が担う必要がなく、かつAIで代替できない業務を切り出し、多様な人が担うのです。対人サービスでも、カスタマーについての情報を担当者一人が細かく握っていましたが、AIやICTを使うことで、その情報をチームで共有して、他の人も良いサービスを提供することができますよね。

そうすると、家族のケアの事情や自分の心身の状況でフルタイムでは働けなかったり、シフトを断言できなかったりする多くの人たちが関わることができ、現場ではサービスの質を維持することが可能になります。誰もが自分にできる形で社会を支える側に回る余地が広がる。これは福祉的な配慮ではなく、社会を維持するための合理的な設計、つまりユニバーサル化です。その発想が必要だと思います。

―― そのように多様な関わり方を前提にした働き方を、政策面ではどのように支えることができるでしょうか。

日本は人生の前半や中盤を支える社会保障が弱い。これまでは企業がその役割を担ってきましたが、既にそれが機能しなくなっている一方で、制度としての受け皿は十分に整っていません。そうなると、福利厚生など雇用形態に紐づいた保障にはどうしても限界が出てきます。先ほど話したような、週3日勤務や午後からの短時間勤務といった働き方では、勤労所得だけで生活を維持するのが難しい場合が多いでしょう。ですから、働ける量に制約があっても生活を支える再分配の仕組みとして、給付付き税額控除は本来もっと議論されるべき制度です。そういった下支えがあってこそ、誰もが社会に貢献しながら社会のシステムを維持していくことができる。自分だけが損をしているという感覚ではなく、「それぞれができる形で支え合っている」という実感を持てる社会に少しでも近づいていくことが大事だと思います。

聞き手:石川ルチア大嶋寧子山口泰史

※    家族と仕事の選択が多様になるなかで、自分と異なる立場の人への理解や共感を持ちにくく、不公平感を持ちやすくなっている社会のこと。本プロジェクトの報告書「家族×仕事 10年の追跡調査が示す、変わる個人・変われない構造」の中で、問題として提示している。