無意味な仕事を生むマネジリアリズムの正体

2026年03月24日

「なぜ、誰も読まない報告書にこれほどの時間を割くのか?」「なぜ、顧客のためにならない社内調整ばかりしているのか?」――倒しても倒しても無限に湧いてくるこれらの「無意味な仕事」は、私たちの体力や気力を削るやっかいな存在だ。しかし、これらは冒険の始まりに登場するゴブリンやスライムにすぎない。「無意味な仕事」というモンスターを生み出す霧の発生源には、「マネジリアリズム」という名の強大なラスボスが鎮座している。本稿では、このラスボスがいかにして生まれ、私たちの職場を支配するようになったのか、その実像に迫る。

無意味な仕事に抗うことの難しさ

無意味な仕事が生まれてしまう原因をたどると、法規制や市場、株主や消費者といった当事者(ステークホルダー)からの要請に応えようとして生じているものがある。例えば、コンプライアンス強化の波、投資家からのROE向上の圧力、過剰なクレーム対応などである。これらの社会からの要請に対応しようとして、経営者は部長などの上級の管理職にエビデンスを要求し、完璧を目指そうとする。その要求は、課長などの管理職を通じて従業員にまで徹底されていく。仕事上の失敗は誰もが避けたいと思うだろう。だからこそ、階層を下るごとに、必要そうなものも併せて指示され、現場には過度なエビデンスや過剰な完璧さが求められるようになってしまう。 

社会的な要請を正面から否定することは極めて困難だ。個人や経営者は、自分が感じた無意味さを口にすれば、たちまち周囲からお叱りを受けてしまうかもしれない。そうであれば、その気持ちを押し殺して、黙るしかないのだろうか――。そんな雰囲気が蔓延する村に、救世主となる冒険者は現れるのだろうか。 

「マネジリアリズム」という病理 

無意味な仕事と戦うためには、その背後にある考え方を押さえる必要がある。なぜ、職場では過度なエビデンス要求や完璧さの追求が止まらないのか。そのヒントになるのが、グレーバーの『ブルシット・ジョブ』の中に登場する「マネジリアリズム(Managerialism)」だ(Graeber, 2018)。これを一言で表現すれば、「どんなに複雑な問題でも、マネジメントの技術によって、小さなタスクに切り刻み、数値化して管理すれば解決できる」とする信念である(※1)。 

早くからマネジリアリズムを批判してきたポリットは、伝承の書に登場する賢者のように、「この信念は単なる誇張にすぎない」と警鐘を鳴らしていた(Pollitt, 1990; 2016など)。マネジリアリズムは、本来、切り離すことのできない複雑な人間の感情や社会の文脈を、無理やりにKPIなどの客観的な数字やタスクに分解してしまうため、現場には無意味さや非人間性が蔓延してしまう危険があった――。 

しかし、細分化された数値という客観的な指標で説明されるマネジリアリズムは、一見すると合理的で科学的に見えるために、複雑な問題への万能薬として瞬く間に世界中に広まってしまった。マネジリアリズムとは、一体どのような思想であり、なぜ広まってしまったのだろうか。冒険譚のプロローグとして、その経典と普及の歴史を紐解いてみよう。 

サボりを防止するエージェンシー理論 

1976年、アメリカのロチェスター大学の教授であったジェンセンとメックリングという二人の経済学者が発表した「企業の理論(Theory of the Firm)」という論文がある(Jensen & Meckling, 1976)。この論文が提唱した「エージェンシー理論」こそが、マネジリアリズムの源流であり、無意味な仕事というモンスターを生み出す霧の主成分である。この論文をマネジリアリズムの観点で整理すると、ポイントは次の3つに集約される。

① 企業は単なる「契約の束」である 

第1に、企業を「契約の束(Nexus of Contracts)」で結ばれた法的な虚構であると定義した。企業そのものに社会的な責任や道義的な意思はなく、あるのは個々の契約だけである。この前提から、企業経営は経営者個人の問題となり、「経営とは、企業の行動を最適化するための技術である」という発想が生まれていく。

② 代理人はサボる 

第2に、プリンシパルである株主(ご主人様)とエージェントである経営者(代理人)の利益は、必ずしも一致しないと指摘した。株主は企業価値の最大化を望むが、経営者は自らの報酬や地位、余暇を優先してサボることがある。この利害対立による損失を防ぐために、ご主人様は代理人を監視しなければならず(監視コスト)、代理人はご主人様に誠実さを証明しなければならない(保証コスト)。それでも、利害不一致による損失は完全に除去することができない(残余損失)。これらにかかる費用をエージェンシー・コストと呼ぶ。

③ アメとムチで欲求をコントロールする 

第3に、このサボりによって生じるコストの問題を解決するため、経営者の個人的な欲求を株主の利益(株価)と直接結びつける「インセンティブ設計」を提案した。経営者にストックオプションを与えて株価上昇の動機を持たせたり、負債を増やして浪費を防ぐ規律を与えたりする仕組みである。監視(ムチ)とインセンティブ(アメ)によって、サボるかもしれない経営者をコントロールしようとしたのである。

これらの発想には、「経営者の行動は、市場の規律によって最も合理的にコントロールできる」という前提がある。当時は、非効率な経営を行う経営者は、株価の下落によって、市場から退場を宣告されることになると考えられていた。しかし、リーマンショックなどを経験している人であれば、市場が合理的ではないことを痛感しているだろう。この前提の暴走から村人たちを苦しめる呪縛が生まれてくる。 

「新自由主義」との融合 

エージェンシー理論の普及に一役買っていたのが、ビジネススクールである。MBAによってマネジメントの技術を備えた専門家を育成することで、世界中の企業経営へと浸透していった(※2)。 

折しも、MBAが広く普及し始めた1980年代は、イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権に代表される「新自由主義(Neoliberalism)」が世界を席巻した時代でもあった。新自由主義とは、市場での自由競争や効率性、そして個人の自己責任を重視する思想である。景気の停滞に悩んでいた政治リーダーは、この思想を受け入れて、公共領域にも民間のマネジメント手法を取り入れようとする動きが盛んになった(※3)。この効率化と管理の波に、エージェンシー理論の考え方が合致して、社会の様々なところで採用されていったのである。 

こうした潮流の中で、現場を疲弊させる強力な武器として使われ始めた言葉が「説明責任(Accountability)」である。サボる代理人は、誠実さを証明しなければならない。目的を達成するだけではなく、明確なパフォーマンス基準を示して、それを可視化しながら説明しなければならないのだ。本来は透明性を求める会計用語として用いられていたこの言葉は、数値やデータによって成果の客観的な証明を求める監視や統制の言葉として用いられるようになっていく(※4)。わかりやすい言葉は、布教の助けとなる。 

エージェンシー理論は、新自由主義という政治経済のイデオロギーに支えられながら、さらに発展して、世界を席巻していくことになる。無意味な仕事というモンスターを生み出してしまう霧とともに――。

「マネジリアリズム」の誕生 

エージェンシー理論の考え方は、新自由主義の波に乗って、企業に限らず世界各地の様々な組織へと浸透した。さらに、株主と経営者の関係にとどまらず、組織のあらゆる階層にまで適用されるようになる。この考え方には、「人間はサボる」という呪いが含まれている。「経営者はサボるかも」という不信の眼差しは、そのまま階層を下りて、「部長はサボるかも」「課長はサボるかも」「現場の社員はサボるかも」という組織全体の不信の連鎖へと姿を変えていった。 

そこで、「サボり」を防ぐための監視(ムチ)とインセンティブ(アメ)の仕組みが、職場の各階層に組み込まれていく。契約の束の一つにすぎない従業員の主体性は否定され、上位階層が設定した目的を達成するための歯車として従属することを強いられるようになった。すなわち、明確な基準とパフォーマンスの測定、アウトプットの重視、組織の分権化と断片化、競争原理の導入など。その結果、現場には、過剰な規則やルールの遵守、生産性や効率性を重視するKPIの達成、プリンシパルを安心させるための報告書作成などが求められるようになったのである。クリカウワーは、これを「非人間化」と表現している(Klikauer, 2013)。 

かくして、エージェンシー理論は、無意味な仕事を生み出す霧を現場に充満させるシステムとなり、その霧の奥底に鎮座する強大なラスボス「マネジリアリズム」を召喚してしまった。この巨大な魔物は、最早、社会や企業に埋め込まれた仕組みであり、あまりにも強力な思想(呪い)になっている――。 

冒険者がラスボスに戦いを挑むためには、強い仲間や武器が必要だ。次回は、その仲間と武器を探る旅を経て、ラスボスとの戦い方を提示したい。 

(※1)Pollitt(1990)の「イデオロギーであると同時に、具体的な信念や実践の集合体であり、より良いマネジメントが、経済や社会の広範な病理に対する効果的な解決策となる」との定義を基礎に、Hood(1991 )やKlikauer(2013)が指摘している断片化やLocke & Spender(2011)が指摘した数値による把握などを組み合わせて作成している。 
(※2)ジェンセンも1980年代半ばにハーバード・ビジネススクールの教授となり、1990年代半ばには、その講義は開講以来、最も人気のある選択科目になったという。ジェンセンによるエージェンシー理論の展開とその発展は、レマン著、薮下史郎・川島睦保訳(2021)『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』(日経BP)が詳しい。
(※3)この動きは、「NPM(New Public Management)」と呼ばれる。Hood(1991)は、NPMについて、市場原理や効率性を重んじる新制度派経済学と成果の測定と達成を目指すマネジリアリズムが結合したものと分析し、「二つの異なる思想の結婚(Marriage of Opposites)」と表現している。ただし、Hoodが用いているマネジリアリズムは、実務的な管理手法としての意味合いが強く、Pollitt(1990)やKlikauer(2013)が用いている信念としてのマネジリアリズムとは意味合いが異なる。
(※4)「説明責任(Accountability)」の変容については、Power(2000)が詳細に論じており、現場を監視するパフォーマンス測定のシステムへとすり替わってしまった現象を「監査の爆発(Audit Explosion)」と呼んで批判している。

参考文献
Graeber, D., 2018, “Bullshit Jobs” Simon & Schuster, New York. (酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳, 2020, 『ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店)
Hood, C., 1991, A Public Management for All Seasons?, Public Administration, 69, pp.3-19.
Klikauer, T., 2013, “Managerialism: A Critique of an Ideology” Palgrave Macmillan.
Jensen, M. C. & Meckling, W. H., 1976, Theory of the Firm: Managerial Behavior, Agency Costs and Ownership Structure, Journal of Financial Economics 3, pp.305-360.
Lemann, N., 2019, “Transaction man: Traders, Disrupters, and the Dismantling of Middle-Class America” Picador. (薮下史郎・川島睦保訳, 2021, 『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』日経BP)
Locke, R. R. & Spender, J-C., 2011, “Confronting Managerialism: How the Business Elite and Their Schools Threw Our Lives Out of Balance” Zed Books.
Pollitt, C., 1990, “Managerialism and the public services: The Anglo-American Experience” Basil Blackwell, Oxford & Cambridge, MA.  
Pollitt, C., 2016, Managerialism Redux?, Financial Accountability & Management, 32(4), pp.429-447.
Power, M., 2000, The Audit Society Second Thoughts, International Journal of Auditing, 4(1), pp.111-119. 

橋本 賢二

2007年人事院採用。国家公務員採用試験や人事院勧告に関する施策などの担当を経て、2015年から2018年まで経済産業省にて人生100年時代の社会人基礎力の作成、キャリア教育や働き方改革の推進などに関する施策などを担当。2018年から人事院にて国家公務員全体の採用に関する施策の企画・実施を担当。2022年11月より現職。
2022年3月法政大学大学院キャリアデザイン学研究科修了。修士(キャリアデザイン学)