インドHRテック市場、2033年に23億ドル規模へ──DXが導く組織変革
急成長するインドHRテック市場
インドのHRテクノロジー市場が急速な拡大期を迎えている。AIを駆使した採用ソリューションやクラウド型HRプラットフォームへの需要増を背景に、人事領域におけるデジタル変革(DX)が加速している。
調査機関IMARCの推計によれば、同市場は2024年に11億2000万ドルに達し、2033年には23億ドルへと倍増する見通しである。2025年から2033年にかけての年平均成長率(CAGR)は7.88%と予測される(※1)。
この成長の背景には、複数の要因が存在する。若年層の高い離職率や深刻な人材不足に加え、大規模組織における人事評価基準の不透明さ、数万人規模や多拠点環境での運用の限界といった課題が顕在化している。これらの難局をデータ活用やAIによる自動化で解決しようとする企業の強いニーズがHRテック導入の起爆剤となっている。
さらに、政府によるデジタル化推進策や雇用創出プログラム、そして課題解決に挑むスタートアップの台頭が相まって、市場の堅実な拡大を支えている。

市場拡大の背景:人口構造の変容と政府の戦略的介入
インドの総人口は約14億6000万人と世界最多を誇る(※2)。平均年齢28歳、35歳未満が65%以上を占める若い人口構成を背景に、2047年には生産年齢人口が10億人を超えると予測される(※3)。しかし、この「人口ボーナス」を享受する一方で、雇用創出の遅滞、若年層のスキルセットと産業ニーズのミスマッチ、高い失業率といった構造的な課題も無視できない。
これに対し、インド政府は国家的プロジェクト「Startup India Initiative」を2016年1月に始動させた。同施策は、スタートアップのイノベーションと起業家精神を促進し、雇用創出と経済成長の実現を目的としている。主な戦略的な支援策は以下のとおりである。
- 規制緩和:労働法および環境法における自己証明制度(スタートアップが賃金支払いや社会保険、水質や大気汚染に関する労働法および環境法の遵守状況を自己申告することで、一定期間政府による定期検査が原則免除される制度)の導入。一定の条件下で政府による定期検査を免除し、事務負担を軽減。
- 税制優遇:商工省産業貿易促進局(DPIIT)認定スタートアップに対する3年間の法人税免除を適用。
- 知的財産支援:特許や商標登録の優先処理と費用の大幅減免を実施。
- 資金供給:小規模産業開発銀行(SIDBI)による1兆ルピー規模の「Fund of Funds」を設立。
これらの後押しにより、インドのスタートアップ・エコシステムは現在、米国、中国に次ぐ世界第3位の規模へと成長を遂げた。
HRテックの進化と注力領域
インドにおけるHRテックの潮流は2015年頃にさかのぼる。当初は給与計算や勤怠管理などの事務効率化を目的としたHRMS(人事管理システム)が普及したが、その後、Darwinbox、PeopleStrong、Kekaといった革新的なプレイヤーが登場し、2020年のパンデミックを契機にクラウド移行とデータアナリティクスの導入が決定的となった。
現在、特にAI活用へのニーズが高いのは次の4分野である。
- 採用:膨大な履歴書のスクリーニングおよびビデオ面接の解析
- 労務管理の自動化:生体認証(指紋・顔認証)とAI統合による勤怠・給与計算の自動化および不正防止
- パフォーマンス管理:リアルタイム評価によるバイアスの排除と客観性の担保
- ピープルアナリティクス:人材データの活用によるキャリアパス設計とウェルビーイングの強化
AIが加速する背景には、インド特有の切実な事情がある。
第1に、世界最大の労働力を抱える中での「膨大な母集団からの効率的選別」である。AI導入により採用リードタイムを30%短縮し、コストを25%削減した事例が報告されている(※4)。
第2に、州ごとに異なる複雑な労働法への対応である。2025年11月施行の新労働法(Labour Codes)は、給与、雇用、福利厚生など諸手続きのオンライン化を前提としており、企業はより高度なコンプライアンス順守が求められる。これを人力で完結させることはもはや不可能であり、自動化は不可避といえる。
第3に、数万から数十万人規模の組織における公平性と透明性の確保である。AIによる評価の標準化は、運用負荷を軽減しつつ、組織の信頼性を維持する基盤となっている。
第4に、若年層の離職防止である。18歳から26歳のエンゲージメント率は15%まで低下しており(※5)、テクノロジーを用いた精緻なリテンション策が不可欠となっている。
市場を牽引する主要プレイヤーの動向
市場をリードする注目の5社を紹介する。
All Things People(ATP)
行動科学とAIで従業員の本音と変化を可視化する
2024年設立。AI、アナリティクス、ピープルサイエンス(行動科学)を融合させた組織改善プラットフォーム「atp|reflect」を展開する。継続的なパルスサーベイ(数問〜15問程度の短いアンケート)を通じて従業員の「声」を可視化し、エンゲージメントをリアルタイムで分析する点に強みがある。エンゲージメントの変化を継続的に捉えることで離職の兆候を早期に把握し、その分析結果を基にマネジメントや組織文化の改善につなげられる点が特徴である。2025年9月にシードラウンドで7000万ルピーを資金調達している。若年層の離職率が課題となるインドにおいて、同社のソリューションは次世代のエンゲージメントプラットフォームとして期待されている。
Darwinbox
グローバルHCM市場の覇者を目指すユニコーン
2015年設立。採用から退職までの全サイクルをカバーするクラウド型HCM(人材管理)プラットフォームを提供している。最大の強みは、180カ国以上の言語、通貨、法規制(給与計算ルールや休暇制度の規定など)の違いをシステムが網羅しており、グローバルな人事管理を一つの基盤で一元化できる点にある。2年連続でGartner® Magic Quadrant™において「チャレンジャー」(製品の完成度や事業基盤の堅実さにおいて高い実績を持つ)に選出されている。資金調達面では、2022年1月のシリーズDでユニコーン企業の仲間入りを果たし、2025年3月にはPartners GroupとKKRが主導するラウンドで1億4000万ドルを調達。インドHRテックでは過去最高額の調達規模であり、世界展開の強力な布石となっている。
Keka
従業員中心のUI/UXで中小・中堅企業のDXを支える
2014年設立。採用・勤怠管理、給与計算、人事評価などを一気通貫で管理するHRMSを提供している。同社が支持される理由は、圧倒的な使いやすさと「モバイルファースト」の設計にある。従業員が勤務スケジュールや勤怠、給与などに関する申請や確認をアプリで完結できるため、人事部門は問い合わせ対応や手作業を大幅に削減でき、勤怠や給与データの可視化と正確性向上にもつながっている。人事は日々の事務作業に追われる状態から解放され、採用や人材育成、制度設計といった本来取り組むべき業務に時間を割ける点が評価されている。
堅実な収益モデルと市場浸透力が投資家から高く評価された結果、2022年11月のシリーズAで5700万ドルを調達している。
Leena AI
対話型AIでHRの「ラストワンマイル」を自動化する
2015年設立。従業員からの問い合わせ対応やオンボーディング、パフォーマンス評価などのHR業務を、チャットボットによる対話形式で自動化するプラットフォームを提供している。WorkdayやSAP SuccessFactorsなどの基幹システムと連携し、TeamsやSlack上でのチャット形式で、就業規則や人事データの確認から、各種申請や手続きまでを完結できる点が特徴である。エージェント型AIが、申請書の提出といったタスクを背後で実行するため、従業員はマニュアルを調べる手間なく、会話を進めるだけで用件を完了できる。基幹システム活用の“ラストワンマイル”をつなぐ役割を果たしている。
100以上の言語対応や高いセキュリティ水準も備え、グローバル企業の業務効率化と従業員体験の向上に貢献している。Gartner® Emerging Market Quadrantにおいて3年連続で「リーダー」(確かな製品力と市場の未来を牽引する革新的なビジョンを併せ持つ)に選出されており、2021年9月のシリーズBを含む累計約4010万ドルの資金調達を背景に、EX(従業員体験)向上ツールの先駆者となっている。
PeopleStrong
AIと機械学習を統合した大手企業向けの包括的ソリューション
2005年設立。パイオニア的存在でありながら、常に最新技術を取り入れ、市場をリードし続けている。採用管理から、給与、勤怠、パフォーマンス、学習管理、さらにはスキルの可視化や要員計画まで、従業員の全ライフサイクルを網羅した総合プラットフォームを展開している。職務記述書の作成から、面接の日程調整と実行、面接、退職検知までを自律的にこなすエージェント型AIを備える。組織の肥大化によって分散したデータや複雑な手順をAIが統合し、分断のない人事プロセスと、データに基づく的確な意思決定を実現する。2025年4月にGoldman Sachsが約1億3000万ドルを投じて過半数株式を取得したことから、グローバルな投資対象となった。同社の膨大なデータセットとAIの融合は、将来的にHR業務における判断やプロセスを完全自動化することを見据えている。
「HRテック・ハブ」へと変貌するインド
インドのHRテック市場は、単なる業務効率化の段階を脱し、経営の透明性と公平性を担保する「社会インフラ」としての地位を確立した。
人口増加や複合的な課題や困難こそが、AIやピープルサイエンスの進化を促す強力なドライバーとなっている。
こうした複雑な課題をテクノロジーで解決してきたインドのアプローチは、日本企業にとっても極めて示唆に富む。少子高齢化という逆の局面にはあるが、「煩雑な実務が、戦略的な人材のマネジメントや意思決定を阻害している」という構造的な課題は共通しているからである。 限られた人的リソースの中で生産性の向上が最重要課題となる日本企業にとって、インドのHRテックの進化は、組織活性化のための具体的な処方箋となるだろう。
TEXT=山根江理子
(※1)IMARC GROUP, India Human Resource (HR) Technology Market Size, Share, Trends and Forecast by Application, Type, End Use Industry, Company Size, and Region, 2025-2033 (2024)
https://www.imarcgroup.com/india-human-resource-technology-market
(※2)UNFPA (United Nations Population Fund), India Population 2025 - United Nations Population Fund (2025)
https://www.unfpa.org/pcm/data/world-population/IN
(※3)IBEF (India Brand Equity Foundation), The Talent Tsunami: Harnessing India’s Demographic Dividend for Global Impact (2025)
https://www.ibef.org/research/case-study/the-talent-tsunami-harnessing-india-s-demographic-dividend-for-global-impact
(※4)Business World, AI-driven Recruitment Cuts Costs And Speeds Hiring By 30% In 2024 (2024)
https://www.businessworld.in/article/ai-driven-recruitment-cuts-costs-and-speeds-hiring-by-30-in-2024-543158
(※5)ADP Research, India Workforce Engagement Plummets to 19% in 2025, Defying Global Trends: ADP Research (2025)
https://in.adp.com/about-adp/press-centre/india-workforce-engagement-plummets-to-19-percent-in-2025.aspx
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