日本人の賃金のいまを探る賃金とリスキリング、労働移動 ―繰り返しの仕事に着目して―

近年の日本の労働市場を俯瞰(ふかん)すると、比較的低い賃金で働く労働者が労働市場に参加していくなかで、産業全体が労働集約的な形へと変化してきている。今後、日本全体の賃金水準を高めていくためには、より少ない人数で高い付加価値を生み出す経済構造へと転換していかなければならない。本稿では、職種分析を通じて、賃金を上げるためのリスキリングや労働移動のあり方を考える。

ルーティンワークに着目した職種分析

賃金の上昇を促すためには、労働者のリスキリングが必要だという議論がある。また、生産性が低い職種から生産性が高い職種に労働移動を促進させるべきだという議論がある。日本全体としてどのような職種が増えていけば賃金は上昇していくのだろうか。

リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」では、調査回答者が就いている仕事について、「繰り返し同じことをする/その都度違うことをする」「体を動かす/頭を使う」作業の割合がどの程度なのかを聞いた(設問ではそれぞれ合わせて100%になるように聞いた)。

まずは、日本の労働市場に存在する職業の構造を分析するために、各職種が繰り返しの作業が多い仕事なのか、それとも体を使う作業が多い仕事(もしくは頭を使う作業が多い仕事)なのかを分類してみよう。

図表1では、①繰り返しの作業が多いかどうかという軸と、②体を動かすか/頭を使うかという軸の2軸で職業を4象限に分けている。これをみると、2つの軸は緩やかに相関している様子が見て取れる。つまり、体を動かす職種は同時に繰り返しの作業が多いという特徴をもつ傾向が見て取れる。

全体としてみれば、体を動かす職種は定型の繰り返しの作業が多く、頭を使う職種は非定型のその都度異なる作業をしている側面が強い。一方で、これはあくまで緩やかな相関であり、体を動かす職種であっても非定型の仕事が多い職種もある。たとえば、建設作業者や保育士などはその典型である。一方で、頭を使う定型的な仕事も数多い。代表的なのは一般事務、財務・会計・経理、公認会計士・税理士などの仕事である。

図表1 職種の構造分析

図表1 職種の構造分析出典:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査

繰り返しの作業が多い仕事は賃金が低い

それでは、職業の特性と賃金との関係はどうなっているだろうか。図表2は各職業の時給を低い順から高い順に並べたものである。同図表では、職種の特性ごとに色分けをしており、体を使う定型的な職種を青色、体を使う非定型な職種を黄色、頭を使う定型的な仕事を赤色、頭を使う非定型な仕事を白色で塗りつぶしている。

すると、時給が低い左側には青色の職種が集まり、右側には白色の職種が集まっていることがわかる。そして、中央には黄色や赤色の職種が散見される。こうしてみてみると、やはり繰り返しで体を使う仕事の賃金が低い水準にとどまっていることがわかる。このような職種の賃金が低いのは定型的な仕事が多いからなのか、それとも頭ではなく体を使う仕事が多いからなのか。この2つの軸は結果として相関してしまっているので、どちらが根本的な原因かは識別が難しい。

図表2 職種別の時給水準

図表2 職種別の時給水準 出典:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査
注:体を使う定型的な職種を青色、体を使う非定型な職種を黄色、頭を使う定型的な仕事を赤色、頭を使う非定型な仕事を白色で記載

こうしたなか、本稿では仕事の特性として繰り返しの仕事が多いかどうかに着目したい。賃金を上げるための解決策というアプローチで考えたとき、体を使う仕事を頭を使う仕事にするよりも、繰り返しの仕事を縮減していくというほうが解決につながりうると考えるからである。実際に、繰り返しの仕事の割合と時給水準は関係している。図表3は時給水準と繰り返しの仕事の割合の散布図を取ったものであるが、緩やかな負の相関が見て取れる。

図表3 繰り返しの作業の割合と時給水準

図表3 繰り返しの作業の割合と時給水準出典:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査

繰り返しの仕事が多い仕事が賃金が低い傾向にある理由としては、それが誰でもできる仕事だからだという説明もあるかもしれない。しかし、次のような説明もできるのではないか。

たとえば、ある職業について繰り返しの仕事をAIやロボットによって代替したとすれば、その分必要な労働力が減少する。そうすれば、労働者の母数が少なくなるため、1人の労働者により多くの報酬を分配することができる。デジタル技術を駆使して業務の効率化を進めることで繰り返しの仕事の比率を下げることができれば、必ずしもその職業が高度な専門性を必要とする職種ではなくとも1人当たりの賃金は上がっていくだろう。

急速に増える医療専門職やサービス職

日本全体の賃金水準を高めていくために、賃金水準が低い仕事から高い仕事へと労働移動を促す必要性が指摘されている。実際に、そうした動きは起きていないのだろうか。

図表4は、総務省「国勢調査」から就業者全数のなかで各職業人口が占める割合を取っている。これをみると、長期的にみれば日本の経済構造は少しずつ変わってきていることがわかる。つまり、専門技術職の占める割合が増加しているのである。ただ、これには医療需要の増加が大きく寄与していることには注意が必要である。医療産業には、医師や薬剤師、看護師など専門職で働く人が多く存在しており、高齢化によって医療専門職の人数が急速に増えている。

その代わりに減っている職種といえば、生産工程従事者や販売従事者、建設従事者、農林漁業従事者になる。これらの職種の就業者数は着実に減っている。特に生産工程従事者の占める割合は17.4%から13.1%に減少しており、最も低下幅が大きい。GDP統計をみると、製造業の付加価値総額はそう変化していないことから、産業機械の高度化などによる工場の省人化や無人化が奏功し、望ましい形での就業者の減少が起きていると考えられる。

このように日本経済は少しずつであるが高度化している。しかし、職種別にみると課題も多く見受けられる。

まず指摘できるのは事務従事者の増加である。1995年の18.3%から2020年には20.4%まで増加している。管理職の減少も考慮に入れれば全体としてはそこまで増えていないかもしれないが、事務従事者が減少していかないというのは大きな課題である。なぜなら、事務の仕事は経営企画など一部の仕事を除けば定型的な要素が強い仕事だからである。

さらに注目されるのはサービス職や運搬・清掃・包装等である。これらの職種も近年シェアが伸びている。ECサイトの普及による配送需要の増加や、介護サービス、施設管理の需要増加などから就業者数が増えているのであろう。そして、問題なのはこうした職種で働いている人たちの定型度もやはり高くかつ低賃金だということである。

このようにして日本の職業構造の変化を概観してみると、近年の日本経済は業務高度化のスピードが遅れ、労働集約的な職種がその比率を増やしている側面が強いのではないだろうか。こうした事情が生産性向上やそれに伴う賃金上昇が遅れている背景になっている可能性がある。

図表4 職業別就業者比率

図表4 職業別就業者比率出典:総務省「国勢調査

トップの経営判断がなければ業務構造は変わらない

では、これらの繰り返しの多い仕事は将来的になくせばよいのか。労働移動を促進させ、すべての労働者が経営コンサルタントや研究開発など専門的な仕事や管理職などに就くような世の中になればよいのだろうか。私はそうとは考えていない。

なぜなら接客の仕事であっても、ビル・マンション管理の仕事であっても、また農業の仕事であっても、こうした仕事が人々の生活に直接役に立つ仕事であるという事実は将来的にも変わらないからである。

また、実際問題として、このような職種にも一定の非定型作業が存在する。繰り返しの作業のすべてを機械に代替することも不可能だろう。そう考えれば、今後目指すべき方向性は、こうした職種の定型的な業務を可能な限り縮減するよう業務の構造を見直すことである。必要な人手が減少させることで初めて1人当たりの賃金が上昇し、清掃員の仕事も配達員の仕事もトラックドライバーの仕事もいまよりもっと魅力ある仕事に変わることができる。

では、どのようにすればこのような業務構造の大きな変革を成し遂げられるのか。低い賃金で働くことを余儀なくされている介護職員や販売員に、自身の賃金を引き上げるためにはあなたたちがデジタルスキルを身に着ける必要があるのだと言えば実現できるのだろうか。

しかし、一労働者に自己責任の原則のもとでリスキリングを押し付けるようなやり方だけでは、うまくいかない。様々な事例を見ていて思うのは、業務の変革を成し遂げている企業には必ず優れた経営者や上位役職者がいるということだ。また、そうした企業は業務をどのように変えていくのかについての大きなビジョンのもとで、社内外の高度専門職をうまく活用している。その際には、高度専門職も特定の仕事の業務構造に精通していなければならない。こうした事実を抑えずに目的もなくただ漫然と従業員にリスキリングをしろと唱えるだけでは従業員の職務構造は一向に変わっていかないだろう。

賃金を引き上げるには、繰り返しの作業を減らさなければならない

既存の業務プロセスを刷新することで初めてこうした職種に就く人々の生産性が向上し、実質賃金は上昇する。そのためには高度なデジタル技術を使いこなす人材だけでなく、先見性を持った経営者や具体的な業務プロセスに通じた上位者の存在が必要である。これらの職種はただ机上で難しいことを考えていれば高給をもらえる仕事であってはならない。

企業がより多くの利益を労働者に配分すべきだという掛け声だけでは、持続的な賃金上昇を実現することはできない。先の介護の話であっても、介護職の賃金を上げるために介護報酬を引き上げるべきだという議論は多い。たしかに、介護従事者の賃金を増やすためには、介護保険制度上も一定の措置が必要である。しかし、介護点数をあげるというのはあくまで分配面での施策であり、介護保険財政の拡大は最終的には国民負担につながってしまう。賃上げとともに生産性の上昇が並行して進まなければ日本経済は豊かにならない。

デジタル技術を活用し、あらゆる仕事に就いている人たちの業務が高度化していくなかで初めて経済は豊かになる。全体の経済のパイが大きくなるなかで、1人当たりの報酬の取り分も増えていく。こうした好循環を作っていくためには、企業経営が変わらなければならない。

坂本貴志(研究員・アナリスト)