日本人の賃金のいまを探る低・中所得者が増加、急速な労働参加が賃金構造に影響を与えている

2000年以降の日本の賃金分布を確認すると、低・中所得者層が大幅に増加していることがわかった。この事象をどう解釈するか。また、その原因とは何だろうか。就業状況の推移やさまざまな角度からの分析を加え、日本経済の課題をひもとく。

十数年間で低・中所得者が急増

この10年、20年の間に日本人の賃金の分布はどのように変化したのか。国税庁「民間給与実態調査」から1年以上継続勤務者の賃金分布を取ったものが図表1である。

年収の分布(人数)出典:国税庁「民間給与実態調査」より筆者作成

この賃金の分布からは、十数年間で見ても、日本人の賃金の構造はかなり変化していることがわかる。まずひと目見て、低・中所得者が大幅に増加している。年間100万円以下の給与を得ている人は2001年の312万人から2021年には425万人に増加、100万円から200万円の層も550万人から701万人に増加している。

中間所得者層のボリュームも大幅に増えている。年収400~500万円の人数は660万人から790万人に、500~600万円層は480万人から550万人に増えている。

低所得者の比率はむしろ減少している

低・中所得者層が増加しているという事象をどう解釈するか。低所得者が増えているのだから、日本全体で貧困化が進んでいるのだという主張する人もいるかもしれない。しかし、年収分布を率に直せば、低所得者の比率はこの10年間ではむしろやや減少している(図表2)。

また、先述のように中所得層の給与所得者数は大きく増えているし、高所得者層の絶対数も必ずしも減少しているわけではない。

年収の分布(割合)出典:国税庁「民間給与実態調査」より筆者作成

つまり、この十数年の動きを見ると、日本人の賃金はおそらく低所得方向にスライドしているというわけではない。そういう解釈よりも、労働力人口が増加する中で、低・中所得者層の絶対数が増えているというのが実態だと見られる。

ここからはさらに推測が入るが、この現象は、これまでであれば働いてこなかったであろう属性の人たちが低所得労働者として労働市場に参入しているという動きと、旧来であれば低所得層に押しとどめられていた属性の労働者の賃金が上昇したという動き、この2つの動きが合わさった結果として起きているのかもしれない。

なお、高所得者層が増えていないことが問題であるという議論も多い。これはたしかに日本経済の課題であるし、データ上も日本では高所得者層が十分に増えていかない現状は見て取れる。社会に大きなイノベーションをもたらし、その結果として高い報酬を手にする優秀な起業家や経営者、技術者などを増やしていくことは必要であり、日本経済の大きな課題の一つである。

なぜ低・中所得者層が増加しているのか

では、日本においてなぜ低・中所得者層がこんなにも増えているのか。それは、これまで働いてこなかった人たちの労働参加が近年急速に拡大しているからだろう。女性や高齢者の急速な労働参加は、日本の賃金構造に大きな影響を与えていると見られる。

図表3は総務省「労働力調査」から性・年齢別の就業率の推移を取ったものであるが、いずれの層も急増している。60歳未満の女性の就業率は2000年時点で58.7%であったが、2021年時点では72.5%に上る。

過去、日本の女性の就業率が子育て期に落ち込む現象をもってM字カーブといわれてきたが、すでに日本の女性就業率は諸外国と比較しても高い水準に移行してきている。高年齢者の就業率上昇も顕著である。60代の女性の就業率は31.6%から50.4%まで上昇している。60代男性の就業率も同じく大きく上昇している。

性・年齢別の就業率の推移出典:総務省「労働力調査」より筆者作成

このような動きが日本の賃金の動向に一定の影響を与えているのは間違いない。つまり相対的に低い賃金で働く女性や高年齢者が労働マーケットに参入し、その結果として平均の賃金が下がっている。

図表4は「賃金構造基本統計調査」より性・年齢別の年収をとったものだ。女性や高年齢者の賃金が全体平均より低いことに関しては議論がある。こうした人たちのスキルを高め、賃金を上昇させていく取り組みは必要不可欠であるし、日本社会は年齢や性別にかかわらず多様な人材に公平な機会を用意する必要がある。

しかし、結果として、高年齢者の賃金が現役世代の賃金より低くなってしまうことは現実問題としてはありうるし、公正な処遇の結果としての不平等は今後も残り続けるだろう。

性・年齢別の年収出典:厚生労働省「賃金構造基本統計調査」より筆者作成

急速な労働参加が賃金に影響を与えている可能性がある

高年齢者の高い就業率は日本特有の現象である。日本と米国、フランス、ドイツの年齢階級別の就業率を見てみると、日本の高年齢者の就業率は突出して高い(図表5)。60代前半では日本が71.5%と多数の人が働いている一方で、米国(54.7%)、フランス(35.5%)、ドイツ(61.1%)はいずれも日本より相当程度就業率が低くなっている。70代前半でも日本人は32.6%が働いている。70代前半で働いている人の割合は、米国で17.0%、ドイツが7.7%、フランスにいたっては2.6%しかない。

就業率の国際比較出典:OECD.statより筆者作成

さて、この現象をどうみるか。少子高齢化の中で人手不足が深刻化している中、経済全体からしてみれば、高齢になっても働く人が増えることは望ましいことである。年金や医療など社会保障財政の観点からも、高齢者の労働参加はこれからますます欠かせなくなっていくだろう。

しかし、この現象を社会に望ましいことだと考え、後は市場原理に任せていればよいのだという考えはやや危険である。

人は誰しも年をとるに従い、気力・体力の限界を感じ、これまでと同じような働き方ができなくなっていく。実際に、高年齢者は比較的低い賃金で働く人が多い。それでも、少子高齢化で年金給付額が減少していく中、多くの人は自身が可能な範囲で働いていくことを考えていかなければならない。そして、このような人たちが急速に労働市場に参入していくことで、皮肉にも相対的に低い賃金で働く労働者の仕事の賃金上昇圧力を抑制してしまっている側面もあるはずだ。

繰り返しになるが、人手不足が深刻化する中で高年齢者の労働参加が拡大することは好ましいことである。しかし、労働供給が拡大した結果、特に低賃金労働者の賃金上昇を阻害していないのかどうかという点、またその結果として低労働生産性のサービスを温存させていることにつながっている可能性があるという点は、社会全体としてしっかり目配せをしないといけないだろう。

日本社会は女性や高年齢者の就業を促進するだけでなく、自身が可能な範囲で働いていこうと考えている人たちの処遇を改善させていくような手だても合わせて考えないといけないということである。近年の賃金や就業率の動向を見ていると、社会全体として、このような視点がやや欠けているように見え、気になっている。

坂本貴志(研究員・アナリスト)