スポーツとビジネスを語ろうスポーツの仕事は特別ではない。普通のことを普通にやるだけだ

ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ チェアマン 島田慎二氏

連載2 回目は、旅行業界から千葉ジェッツの代表取締役に転じ、さらにジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)のチェアマンに就任した島田慎二氏にインタビュー。経営危機に立たされていた千葉ジェッツにあえて深入りしたり、コロナ禍にあえぐBリーグのチェアマンを引き受けたりした理由。そして、この苦境を乗り越えるための取り組みについて聞いた。
聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)


―まずは、Bリーグについて教えてください。

Bリーグは、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)とナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)が並立していた状態を解消すべく、2015年に発足して2016年に開幕しました。2020-21シーズンは、1部「B1」に20クラブが、2部「B2」に16クラブが所属。東西の2地区に分かれ、各地区の上位クラブがトーナメント戦を行って年間チャンピオンを決める仕組みになっています。
Bリーグの特徴の1つが、全クラブにホームタウン(活動地域)が設定されていることです。各クラブ名には地域名が入っており、地域密着型のクラブ運営が行われています。

―島田さんは、現在B1に所属している千葉ジェッツふなばし(以下ジェッツ)の経営に携わるまで、バスケットボールとはほとんど縁がなかったといいます。なぜ、この世界に入ったのですか。

ジェッツの当時の会長で、私が2010年まで経営していた企業の出資者でもあった道永幸治さん(現・千葉ジェッツふなばし名誉会長)に声をかけられたからです。その頃の私は気ままに世界を旅するような暮らしでしたが、「仕事をしていないなら、ジェッツの運営について助言してくれないか」と恩人の道永さんから頼まれ、断れませんでした。そこで当初は、無報酬のアドバイザーとして参加したのです。

―ジェッツはbjリーグへの参入を目指した有志が集まって設立し、2011-12シーズンからbjリーグに参入しましたね。当時のジェッツの印象はどうでしたか。

私は気楽なアドバイザーという立場でホーム開幕戦を観戦したのですが、記念すべき試合なのに会場は空席だらけでした。また、運営会社の経営陣はバスケットボールへの強い情熱を持っていましたが、経営に関する知識や経験は足りないように思えたのです。経営とは、目標を設定し、現在の状況を見極めてプロセス管理を行い、やるべきことを愚直にこなして成果を上げることだと私は考えていますが、当時のジェッツにはそれができていませんでした。このままでは経営状態は厳しくなるだろうと考え、すぐに、40ページくらいの経営再建策をまとめたのです。

―ジェッツに深入りせず、再建策を当時の経営陣に託して手を引く選択肢もあったと思いますが、そうしなかったのはなぜですか。

苦労している経営陣やスタッフを間近で見ているうちに、なんとか彼らを助けられないかという気持ちがわいてきたのです。そして週1回だった出社が2回、3回と増えるうち、「私が関われば、この組織は死なずに済むなあ」と考えるようになりました。そうこうするうち、2012年2月、代表取締役に就任しました。

―困っている人たちを見放し、逃げ出す道は選べなかったのですね。

スタッフに成功体験を積ませて自信を持たせた

―島田さんはもともとバスケットボール選手ではありませんし、スポーツクラブの運営に関わった経験もありませんでした。いきなりジェッツの経営者になり、戸惑うことはなかったのですか。

ありませんでした。「スポーツの仕事」といっても、特別なものではありません。よい商品やサービスを用意し、お客さまをお迎えして楽しんでいただくという意味では、一般企業とまったく同じだと思うのです。私はジェッツの立て直しに「魔法」を使ったわけではありません。一般企業で行われている普通のことを、普通にやっただけです。

―「普通のこと」とは、具体的にはどんなことだったのでしょう。

2012年のジェッツはいつ潰れてもおかしくない状況で、若いスタッフたちは皆、自信を失っていました。そこで代表取締役就任から2年間は、スタッフの自信を回復させるために小さな成功体験を積み上げさせることを心がけたのです。まずは彼らの仕事上の困りごとを挙げてもらいました。それは何百項目にもわたりましたが、優先順位をつけて一つひとつ改善するようにしたのです。いきなり「日本一」などの大きな目標を目指すのではなく、小さな目標をクリアさせて自信をつけてもらうことで、若手の「やればできる」「このまま進めば組織はよくなる」という期待につなげることができました。

―新任の経営者は、外部から自分のスタッフを引き入れて改革するケースが少なくありません。でも島田さんは、以前からいたスタッフと共に再建を目指したのですね。

そうです。彼らには強い「バスケットボール愛」がありましたから、「勝ち組マインド」が身につけば必ず成功できると考えていました。ただ、成功しても自信過剰に陥らないように、常に手綱は締めていました。
スタッフ全員が自らの可能性を信じている組織ほど強いものはないというのが、私の信念です。彼らに希望を抱かせて前に進む力を生み出すことが、リーダーにとって最も重要な役割の1つではないでしょうか。

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旅行会社時代のSARS体験が難局打開のヒントに

―島田さんは2020年6月にジェッツから離れ、同年7月、Bリーグのチェアマンに就任しました。新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、重責を引き受けたのはなぜですか。

ジェッツの経営を引き受けたときと同じで、「誰かのために役立てるのだから、ここで逃げ出すわけにはいかない」という思いがありました。コロナ禍で入場料収入が減って各クラブが苦しむなか、空元気でもいいから大声を出してリーグを引っ張れる人間は私を含めてそう多くはいない、とも考えました。

―いずれはチェアマンをやりたいというお気持ちはあったのですか。

いいえ、まったくありませんでした。ただ、リーグ全体が苦境に立たされているなかで外から事情に明るくない人を招いても、おそらくうまくいきません。また、Bリーグには私以上に優秀な経営者がたくさんいますが、今の彼らは自クラブをコロナ禍から守ることで精一杯。一方、私はジェッツを再建し、既に後任の社長に任せる体制を整えることができていました。それで、私でお役に立てるならという思いでチェアマンを引き受けたのです。

―過去の経験で、チェアマンの仕事に生きていることはありますか。

たくさんあります。その1つが、2003年に経験したSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行です。当時はイラク戦争なども重なり、海外旅行のキャンセルが増加しました。このとき、未来が予測できないなかで起きたことに対処した体験は、現在のコロナ禍を乗り切るうえで大きなヒントになっています。

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Bリーグの経営規模を世界第2位に引き上げたい

―Bリーグチェアマンとして、現在目指していることはなんですか。

今の最優先事項は、とにかく全クラブを存続させることです。コロナ禍で損害を負ったクラブに対し、さまざまな手を差し伸べています。たとえば、Bリーグでは各クラブに毎年「配分金」を出していますが、それとは別に、B1クラブに各3000万円、B2クラブに各1000万円の特別支援金を出すなどしています。
私がいつまでチェアマンを続けるのかはわかりませんが、任期中に、現在経営規模で世界第3位のBリーグを、米男子バスケットボールリーグのNBA(National Basketball Association)に次ぐ第2位にまで引き上げたいですね。そうなればリーグ全体の価値が高まって、ヒト・モノ・カネが自然と集まってくるでしょう。すると世界的な選手も招聘しやすくなるし、選手やスタッフの地位も向上できる。さらに、競技人口が増えてバスケットボール界の裾野も広がり、よい循環が起きるはずです。

―島田さん個人の夢や目標はあるのでしょうか。

あえて挙げるなら、いずれは昔のように気ままに旅行したいと思っているくらい(笑)。「大きな仕事をしたい」などの夢は持っていません。
私は、人や社会から求められたことを一生懸命やるだけです。その結果、周囲から評価してもらえたら、翌年もその役割を果たす。その繰り返しが、仕事というものなのではないかと思っているんです。

Text=白谷輝英 Photo=平山 諭

After Interview

 取材当日は、コロナ禍の緊急事態宣言で、B.LEAGUE ALL-STAR GAME 2021の開催中止を発表した直後。メディア対応に追われるなか、そんな素振りは微塵も感じさせない落ち着いた表情が、かえって我々の緊張感を誘った。そして、島田氏の「スポーツの仕事は特別なものではありません。よい商品やサービスを、お客さまをお迎えして楽しんでいただく、これは一般企業と変わりません」という言葉で、スポーツも広い視点でとらえればビジネスの一部であり、私自身が両者の間に壁を作っていたことに気づかされた。島田氏がジェッツの立て直しにあたって気づいたことは、「バスケ愛」の強いスタッフ全員が自らの可能性を信じている組織ほど強いものはないということだ。彼らが地道に目の前の課題に立ち向かう姿は、ビジネスで大きな成果を出す組織の姿とまったく同じである。冒頭の緊張感は、数々の危機を乗り越えた経営者が醸し出す独特の雰囲気を島田氏がまとっていたからかもしれない。

島田慎二氏
ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)チェアマン

Shimada Shinji 日本大学法学部卒業後、旅行会社に入社。1995年に法人向け旅行会社のウエストシップを設立し、2001年には海外出張専門の旅行会社であるハルインターナショナルを設立して代表取締役に就任。2010年以降は代表から退き世界を旅する生活を送っていたが、2012年にプロバスケットボールクラブ・千葉ジェッツ(当時。現在のチーム名は千葉ジェッツふなばし)の運営会社ASPE(現・千葉ジェッツふなばし)代表取締役に就き、2015-16シーズンに日本のバスケットボールクラブ初のシーズン観客数10 万人を達成するなど千葉ジェッツをリーグ屈指の人気クラブに育て上げた。2020 年には千葉ジェッツから離れ、Bリーグのチェアマンに就任した。