極限のリーダーシップトンネル土木技術者 阿部玲子氏

インドの土木現場に安全を。女性・外国人というアウェーのなか笑顔とアイデアで困難を突破する

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インドのメトロ建設事業には、1プロジェクトあたり約4万人のインド人作業員を雇用する。さらにプロジェクトを推進するインド人技術者400名からなるコンサルタント集団を形成し、メトロ公社とともに施工監理を実施する。そうした現場に、日本の技術力はもとより、安全対策の概念を浸透させた1人の日本人女性がいる。それが、阿部玲子氏だ。「口うるさく安全指導するので、インド人の仲間は私を“笛吹ケトル” と呼びます(笑)。建設現場ではわずかな油断が大事故につながります。厳しくせざるを得ません」
安全対策を浸透させる活動をはじめたのは、2009年7月に阿部氏が作業指導を担当するデリーメトロ建設の現場で発覚した、コンクリート地中壁と地面との間の溝を発見したことがきっかけだった。
「建設現場では崩落の危険性を察知するため、構造物の沈下・傾きを継続的にモニタリングします。その計測作業に明らかな手抜きがあり、壁と地面との間の溝にすぐ気づくことができなかった。安全確保の意識が当時のインドにはなかったのです。“安全管理世界一”といわれる日本から来たエンジニアとして、この現場のために何かできることはないかという思いに駆られました」

ゼロからの安全指導

「溝発覚時、インド人技術者たちの目の前で私が計測したところ、壁が元の位置から3cm以上も動いていました。彼らは『マダム、これは今日の朝動いたんだ』と言い訳をし、計測の手抜きを認めようとしない。計測レポートさえ出せばいいというのが、彼らの考えなんです。そこが問題だなと」
彼らが言い訳できないよう、そしてなにより現場の作業員が危険を判断できるよう、神戸大学の芥川真一教授が開発したOSV(*)(計測の見える化)を導入することにした。構造物のゆがみや沈下などを検知する変位計の値をもとに、自動的に危険度を判定して赤・黄・青のLEDの光で信号器のように示す装置だ。しかし、インド人技術者から「なぜわざわざそんなことをするのか」と不思議がられ、導入は簡単ではなかった。JICA(国際協力機構)のサポートのもと、事業主のデリーメトロ公社やゼネコンには合理性を訴えてなんとか設置まで漕ぎつけることができたが、大変だったのは、やはり現場の4万人に向けたOSVについての説明だ。
初めは日本人技術者から説明するが、その後は彼ら自身で安全管理を継続できるようにしなければならない。インド人技術者への直接指導と、インド人技術者から作業員への指導方法の確立のため、説明会や訓練を毎週繰り返し開催し、同時に説明看板の製作にも着手した。
「インド各地から集められる作業員の言語は300種類以上にもおよびます。識字率も低いため、言葉や文字で伝えることができません。そこで、OSVの使い方を絵で説明する看板をつくり、赤・黄・青の信号を見たときにどう行動したらいいか、誰もがわかるようにしました」
努力ののちにOSVの導入に対してアンケートを取ると、作業員たちから『Happy』という回答が集まった。「これには驚きました。作業員の多くが『自分たちの安全を考えて設置してくれたものだったのか』『この現場なら安心して働ける』と認識してくれたのです。感激して泣き出す人もいたほどでした」
導入が成功し、阿部氏はその後のメトロ建設工事の仕様書にもOSV導入を記載するよう指導。安全対策をその後のプロジェクトへつなげた。

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(*)On-Site Visualizationの略。災害や建設などの現場で、計測対象物に変化が生じた瞬間に可視化できる装置および仕組み

1人の力では成し得ない

「当時のインドは女性の社会進出が遅れており、建設現場に女性はゼロ。ましてや異国人の私が指揮を執ることには反発もあったと思います」 
そうした“アウェーな環境”を切り抜ける力となったのは、阿部氏のコミュニケーション力だ。
「どんな国でも笑顔・笑いは大事。議論しあって険悪な状況になっても最後は笑いあえる。それができない職場なんて、つまらない」
もう1つは、看板設置やアンケートの実施などのアイデア力。ただし、阿部氏1人の力では難しいという。
「私は“アイデアを出せそうな人”を集めてくるのが得意。タイプの違う5人を集めたチームが、プロジェクトを進めるにはちょうどいい」
阿部氏のもとに集まるインド人技術者たちは、実にハングリーだ。“自分たちにない何か”を阿部氏から学ぼうと必死になるという。
「私から学ぶ点があるうちは『マダム』と呼んで尊敬してくれますが、学ぶものがなくなったら、私の居場所はここにはありません。それほどシビア。だから私自身、常に何か学び、前に進まねばという気持ちがあります。土木技術は“経験工学”ともいわれ、ピラミッドの時代からの経験の積み重ねからできています。ですから私も、小さなことでいいから次の世代に何かを渡したい。OSV導入はその1つ。今はそうして私がやってきたことをインド人技術者たちが次の建設現場に伝えてくれる。それがうれしいですね」
インドでそれまで重視されていなかった“安全対策”に目を向け、その後粉塵対策や環境対策にも取り組んだ。阿部氏は常に前へ進んでいる。

Text=佐藤裕子、木原昌子(ハイキックス)

阿部玲子氏
オリエンタルコンサルタンツグローバル(OCG)軌道交通事業部プロジェクト部長、インド現地法人会長。
Abe Reiko 山口大学工学部建設工学科卒業後、神戸大学大学院土木工学専攻修了。1989年鴻池組入社。1995 年ノルウェー工科大学留学後、2004 年OCGの前身企業に転職。中国、カタール、ウクライナ、インドネシアでの鉄道建設事業、インドの地下鉄プロジェクトや新幹線プロジェクトなどに従事。