極限のリーダーシップ国際人道支援リーダー 木山啓子氏

一人ひとりの得意分野が活きる場所はどこか 考え続けて歩んできた

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今や日本の国際人道支援活動の第一人者となった木山啓子氏だが、そのキャリアはいきなり内戦の現場から始まった。1991年、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国からのスロベニアとクロアチア独立で始まった内戦。民族紛争でもあったこの戦いは泥沼化し、10年にも及んだ。

紛争最中の1994年、現在木山氏が理事・事務局長を務める特定非営利活動法人ジェンの前身が設立された。ジェンは当時人道支援活動をしていた日本の NGO6団体の集合体だ。ニューヨーク州の大学院で社会学を学んだ後、ネパールで活動していた木山氏は、いきなりジェンのユーゴスラビアの現場リーダーに任命される。

「リーダー経験など一度もなく、現場経験もネパールでの3カ月だけ。それでも集められた15人のなかで一番社会人経験が長いという理由で選ばれたのです」

ミッションは半年で現場に5カ所の事務所をつくり、40の支援プログラムを実施すること。リーダーとして手探りの日々が始まった。

迷ったら軸に立ち戻る

まず手掛けたのは、やるべきことの整理とルールづくりだった。
「ネパール時代、何の仕事をするのか説明してもらえず苦労したので、スタッフには自分がした苦労はさせたくなかった。そしてそれぞれ違う人道支援団体から派遣されているので、ともすれば出身団体の意思を優先しかねない。私たちが一番優先すべきは、厳しい状況にある人を支えること。その目的をみんなで共有することに心を砕きました」

事務所を1カ所設置しては3人を配置し、次の事務所づくりに向かった。つくった事務所に「じゃあ頑張って」と置き去りにしていくので「置き去りの啓(刑)」と呼ばれた。

木山氏は旧ユーゴ時代にリーダーとして必要なことのほぼすべてを学んだという。予想もつかない現実が起きてもその場で判断を下すこと、限られた資源を最大限に活用できるよう工夫すること。そして自分たちの活動は何のためにやっているのかを常にメンバーと一緒に考え続けるということだ。

今のジェンにも通じる、「難民の人たちが少しでも人間らしい暮らしができるように、与える支援ではなく支える支援をする」という根源的な理念は、そうした対話のなかから生まれてきた。

意外かもしれないが適切に実施されない支援は、被災した人々に悪影響を及ぼすこともあるため、細やかな技術と配慮が求められる。決断を迫られたときは「難民の人たちの生活にとって、どちらの選択がいいか」という軸にいつも立ち戻った。

「現場では正解のない問題に迷うことばかりです。そのなかで決断していくには自分のなかに軸となるものが必要でした」

リーダーとして「こうありたい」というロールモデルがあったわけではない。目の前の被災した人たちや一緒に働くスタッフの声に耳を傾けることで、リーダーとして「どうあるべきか」という答えを導き出していった。

とにかく話を聞いて得意分野を活かす

実は木山氏は初任地のネパールに赴任する前、別の国際支援の会社で戦力外通告を受けた経験がある。「その経験から『こんな自分でも誰かの役に立てることがあればそれをやろう』と考え、転じて、みんなの話をよく聞き、それぞれの得意分野を活かすにはどうしたらよいかを考えるようになりました」

ジェンは物資の支援にとどまらず、心のケアと自立の支援を掲げている。大切な家族や財産を失い、悲嘆にくれる人の心を置き去りにして復興を推し進めることはできない。一人ひとりの心に寄り添い、生きる気力を取り戻すきっかけとなる要素を取り入れた支援を展開するのだ。支援のやりがいを感じる瞬間もあるが、同時に被害の大きさの前に、支援が担えることの小ささも実感する。「『ありがとう』と言われることが一番つらい。被災された方が失ったものの大きさを考えると、私たちにできることはほんのわずかだからです。ただ、そのわずかな支援をきっかけに生活再建への一歩を踏み出す方もいて、手ごたえは感じつつ、被災規模の大きさとのギャップに悩みます。だからスタッフのメンタルケアにも細心の注意を払います」

昨年起きたアフガニスタン政権の崩壊による混乱時にも、現地で働くスタッフを励まし続けた。オンラインでスタッフの言葉や表情から、疲労度やメンタルの調子を読み取って気遣う。

現在、木山氏は日本の事務局で組織運営に携わる。取材した2022年9月にはパキスタンの洪水の支援資金調達に奔走していた。パキスタンの国土は日本の約2倍。その国土の3分の1が洪水で冠水し、甚大な被害が出ている。

木山氏が向き合うのは紛争や自然災害。向き合う相手の大きさは私たちの想像を超え、あまりの課題の多さ、問題の根深さに呆然とすることもあるだろう。「それでも諦めたら終わりですし、できることがあるならそれにベストを尽くすだけ」。そう言い聞かせて、次の支援に向き合う。

大学院修了当初、この仕事に就く予定はなかった。尊敬する友人に「世界で大学まで進める人は5%しかいないんだから、恵まれた立場を活かすべき」と言われたことが、この道に進むきっかけになった。その思いを今も忘れていない。

174_kyokugen_01.jpg旧ユーゴスラビアでのひとコマ。医薬品不足を補うため、薬局を設置して医薬品の無料配布を行った。

Text=木原昌子(ハイキックス) Photo =今村拓馬

木山啓子氏 Kiyama Keiko

特定非営利活動法人ジェン(JEN)理事・事務局長
立教大学卒業。メーカー勤務などを経てニューヨーク州立大学で修士号を取得。1994 年、ジェンの前身である日本初の連合NGO「日本緊急救援NGOグループ(Japan Emergency NGOs)」の立ち上げ時から参加。旧ユーゴスラビア地域における緊急救援を行う。以後アフガニスタン、イラク、パキスタン、新潟、東北地方など25の国と地域で人道支援活動を展開。紛争や自然災害の被災者に対して「心のケアと自立の支援」をモットーにした活動が注目を集める。『日経WOMAN』主催「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」大賞受賞。