人事は映画が教えてくれる

『オットーという男』に学ぶ人生のサードステージで大切なこと

2025年04月15日

オットーという男の詳細情報妻に先立たれたシニア世代のエンジニア、オットーは、会社を辞めてリタイア人生に。地域住民のルール違反を注意して回るのが日課で、人々に煙たがられている存在だ。孤独なオットーは妻の後を追って自殺を試みるも失敗。そんな折、向かいに引っ越してきた家族との出会いをきっかけに彼の人生に変化が訪れる。人生の「サードステージ」のあり方を描く『 オットーという男』が示唆することとは?

これまで、私たちは人生を「学び、働き、リタイアする」というモデルで考えてきました。リタイア後は余生。私たちには「老人=何もしない人」という思い込みがありました。しかし、今や日本人男性の4人に1人は90歳以上、女性の4人に1人は95歳以上まで生きる時代です。リタイア後の30年は「余った時間」とするには長すぎます。いわば人生の「サードステージ」ともいうべきこの期間をいかに過ごすかは、現代を生きる私たちが真剣に向き合うべきテーマです。『オットーという男』はそれについて考えさせてくれる映画です。

アメリカの精神科医トーマス・ホームズらが作成した「ライフイベント・ストレス表」(ストレス要因となる出来事をリスト化し点数をつけた表)によると、配偶者の死や退職などシニアに訪れがちな項目はいずれもランク上位です。これらが積み重なった累積ストレスが閾値を超えると心身に問題が起きる可能性が高くなるとされていますが、映画冒頭のオットーはまさにその状態にありました。こういった不幸をどう乗り越えるかは、サードステージを生きるうえで大きな問題です。

オットーの場合は、向かいに引っ越してきた一家、なかでも妻のマリソル(マリアナ・トレビーニョ)との出会いが転機になりました。マリソルはグアテマラ生まれのメキシコ人でとにかく明るく人なつっこい。独り者のオットーに何度も手料理を持っていき、元エンジニアで機械類に強い彼を何かと頼ります。オットーはそんなマリソルを拒絶しようとしますが、彼女はお構いなしです。渋々一家の手助けをしているうちに、少しずつオットーの頑なな心が和らいでいきます。「この間もらったクッキー、あれは悪くなかった」と仏頂面で告げるシーンは微笑ましくも象徴的です。

アメリカの心理学者ロバート・A・エモンズは、「幸福な人生に必要な4つの要素」として、「仕事」、目先の利益を超えた「理想」、「高い目的意識」、「社会と繋がっている実感」を挙げています。一般的にリタイア後はこれらを失っていくことで幸福度が下がってしまう。 オットーの場合、本職は失いましたが、近所の見回りや近隣住民に頼まれて機械類の修理をすることなどが「仕事」に相当していたかもしれません。そして何よりマリソル一家を手助けすることで「社会への貢献」を実感できたことが、自己効力感を高めていきました。

そう考えると、マリソルの存在がいかに重要かがわかります。彼女はいわば、メンターならぬ「メルター/人の心を溶かす人」(私の造語です)。今、地域でも組織でも濃密な人間関係は敬遠され、彼女のようなおせっかいなメルターはすっかりいなくなりました。これが非人間的なおかしな状況であると、私たちは今一度認識するべきです。

メルターであるマリソルとの関わりを通して、孤独だったオットーは新しい家族を得ました。家族とは決して書類一枚の婚姻関係だけでもなければ血縁関係だけでもありません。信頼し合い慈しみ合う人の繋がりのことをいうのです。幸福の礎はこのような人間関係にこそあるはずです。

映画のワンシーンイメージイラスト『オットーという男』より マリソルの家族とともに妻ソーニャの墓参りをするオットー(左)。

さて、人生のサードステージを描いた作品でもう1本注目したいのが『ミセス・ハリス、パリへ行く』(監督:アンソニー・ファビアン)です。

舞台は1950年代のロンドン。戦争で夫を失った家政婦のミセス・ハリスは、オートクチュールのドレスを着たいという夢を抱き、苦労して(多分に幸運もあって)お金を貯め、他人から見たら分不相応にも思えるこの夢を実現してしまいます。

ミセス・ハリスの場合は、彼女自身がメルターでした。その明るさと憎めない笑顔で周囲を巻き込みよい影響を与えていきます。そして、前述の4つの要素でいえば、強烈な「目的」が彼女のサードステージを生き生きとしたものにしました。ぜひ『オットー~』と比較しながら鑑賞してみてください。多くのヒントが得られるはずです。
映画のワンシーンイメージイラスト
『ミセス・ハリス、パリへ行く』より 夢に見ていたオートクチュールのドレスを試着するミセス・ハリス。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔

明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授

Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

Navigator