人事は映画が教えてくれる『ガタカ』に学ぶデータ至上主義が招く確率論の罠

HR Techの時代だからこそデータを正しく活用できる深い知性が必要となる

w165_eiga_02.jpg【あらすじ】舞台は遺伝子操作が当たり前になった近未来。遺伝子による差別は法律上禁止されてはいたが、現実には遺伝子操作によって生まれた「適正者」が優遇され、劣等とされる遺伝子をもつ「不適正者」が排除される職業差別が行われていた。しかし、不適正者であるビンセント(イーサン・ホーク)は、適正者にしかなることができない宇宙飛行士を目指して必死に努力を続ける。そんなある日、ビンセントはDNAブローカーの存在を知り……。

『ガタカ』は遺伝子操作によって生まれた「適正者」が優遇され、自然出産で生まれた「不適正者」が劣等な遺伝子をもつ者として差別される近未来を描いたSF作品です。20年以上前の映画ですが、今だからこそ、このテーマはある種の現実味を増しているといえます。
心臓疾患の確率99%、推定寿命30.2歳の不適正者として自然出産で生まれた主人公ビンセント(イーサン・ホーク)は、宇宙飛行士になる夢を抱きます。宇宙飛行士は適正者しかなることができませんが、ビンセントは周囲の声には耳を貸さず、夢に向かって必死に体力と知力を鍛えます。しかし、なることができたのは宇宙局ガタカの清掃員でした。
それでもビンセントは夢を諦めません。闇ブローカーの仲介によって、事故で車いす生活を送っている元エリート水泳選手の適正者ジェローム(ジュード・ロウ)になりすまし、宇宙飛行士候補としてガタカへの入局に成功するのです。以降も努力の日々は続きます。ジェロームから提供された尿や血液を使って頻繁に行われる検査をくぐり抜け、職場に皮脂や毛髪を残さないよう毎日入念に体をケアします。激しいトレーニングも日々継続し、その結果、ビンセントは土星の衛星タイタンの探査機の宇宙飛行士に選ばれます。
この作品のメインテーマは「夢は叶う」です。不可能といわれていた夢を不屈の思いと人並み外れた努力によって実現したビンセントの姿はポジティブな感動を誘います。
一方、ビンセントの夢に立ちはだかった壁、「遺伝子による人の選別」というテーマも人事にとっては関心を惹かれる問題です。倫理的な課題を置いておけば、潜在的能力を科学的に推測できる遺伝子によって、より客観的・合理的・効率的に優秀な人材を選抜できるのではないかと考える人も少なからずいるはずです。
しかし、ここで注意しなくてはいけないのが、確率論の罠です。
1つ問題を出しましょう。「あるウイルスの罹患率が1/10000の国があった。一方、95%の確率で陽性を判断できる試験薬(偽陰性率・偽陽性率ともに5%)がある。無作為に選ばれたある人物の検査をしたら陽性と出たが、この人物が本当にウイルスの感染者である確率は?」
統計学(ベイズの定理)に基づいて導き出される答えは「0.19%」。大量の偽陽性・偽陰性が出てしまうため、「95%」という数字の表面上の信頼性に惑わされると判断を誤ります。
遺伝子についても数字がもつ意味を正しく理解する必要があります。教育心理学者の安藤寿康教授の研究によれば、知能の70%は遺伝によって説明できるとされています。一方、これとは別のメタアナリシス(複数の研究の分析)によって認知機能(≒知能)とパフォーマンスの間には50%の関係があることがわかっています。これらの数字に基づけば、遺伝子がパフォーマンスに与える影響はたった35%ということになります。つまり、遺伝子だけで人を選抜した場合、優れたパフォーマンスを発揮できる可能性をもった人材を排除してしまうリスクが高いのです。
また、「データは誰のものか」という問題もあります。結論からいえば「個人のもの」です。データの解釈は常に主観によって左右されます。組織がデータに基づいて個人の評価や処遇を決定することは、客観性・合理性の仮面をつけて組織の主観を押し付けることにほかなりません。
私は、人事にとってデータは有用だと考えています。ただし、会社はデータを個人と共有し、共有したデータを材料に会社(上司・人事)と個人がディスカッションしたうえで結論を出すこと。これが大前提です。
遺伝子をはじめとするデータは数字の意味や限界を正しく理解したうえで使わなければ、無用に不幸な人を増やすことになります。HR Techの時代だからこそ、人事には哲学をはじめとするリベラルアーツに基づいた深い知性が求められるのです。

w165_eiga_01.jpgガタカの清掃員としての仕事中、遠くで打ち上げられるロケットを見上げるビンセント。絶望的な状況でも決して夢を諦めることはなかった。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

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