人事のアカデミア

忍者学

忍者の知恵と精神に学び変化の時代をたくましく生き抜く

2023年10月10日

海外でも人気の忍者は、日本文化を象徴する存在の1つだ。おなじみの黒装束を身にまとい、妖しい術を巧みに操って敵の裏をかく。映画や小説で見る忍者の活躍は爽快だが、その実態は意外と知られていない。忍者学研究の第一人者である山田雄司氏は、「忍術はサバイバル術」だという。リアルな忍者の実像から、危機の時代を生き抜く知恵を学ぶ。

歴史の表舞台には登場しないが重要な役割を果たしてきた

梅崎:三重大学では本格的な忍者研究が行われています。忍者発祥の地とされる伊賀の地元とはいえ、忍者学というのは非常に珍しいですね。

山田:地域貢献として、2012年、伊賀市および上野商工会議所と、三重大学伊賀連携フィールドを設置したことがきっかけです。忍者の存在は世界にも広く知られていますが、それまでは学術的な研究対象になっていませんでした。芝居や小説でのイメージが強く、どちらかというとキワモノ扱いされていた感があります。当初は「本当に忍者など存在したのか」と言われたこともあります。もともと私は日本中世史が専門で、日本人の霊魂観に興味があり、怨霊や祟りなど少し変わった分野の研究をしていたので、当時の学長が「ならば忍者もできるだろう」と(笑)そこで一から調査を始めました。

梅崎:今では歴史学だけでなく、理系の観点からも忍術の科学的分析を行うなど、学際的な総合研究へと発展しています。実際の忍者は、黒装束など着ていなかったし、手裏剣も投げなかったなど、フィクションで描かれる姿とはだいぶ違いますね。そもそも忍者とはどういう存在なのでしょうか。

山田:時代によって職能が変わっていきますが、歴史的には「忍び」と呼ばれ、主な任務は、大名に召し抱えられて情報収集することでした。忍びは日本各地に存在しており、地方によって「素破(すっぱ)」「乱破(らっぱ)」など呼び名もさまざまです。

梅崎:今でいうスパイですね。歴史のなかでは、少ない兵力で大軍を打ち破った武勇伝がたくさんありますが、裏で忍者が活躍していたと思えば納得がいきます。戦に勝つには情報を制することが必須ですから、古今東西、戦争があるところに忍者のような存在が必要とされるのは当然といえば当然です。

山田:中国では孫子の兵法に「間(かん)」を使うことが非常に重要だとあります。日本でも古代の文献に間諜に関する記述は見られますが、史料で確実に存在が確認できるのは南北朝時代からです。南北朝になると、それまでの一騎打ちから集団戦へと戦い方が変化し、奇襲や撹乱など戦術が発展していきました。そのようななかで、鎌倉時代後期から力を拡大していた「悪党」と呼ばれる武装集団が動員され、これが忍者の起源と考えられます。

梅崎:まさに「悪党」と呼ばれた楠木正成も、ゲリラ戦を得意としていました。領主に抵抗していた武装組織や盗賊のような乱暴者が、傭兵として各地の大名に雇われ、忍者として活躍していったわけですね。

山田:徳川家康が天下を獲ることができたのも、忍者を駆使したからだといわれています。家康は江戸に入るときも伊賀者、甲賀者を引き連れていき、江戸城の警備をさせました。やがて「伊賀者」は、警備や警護を担当する幕府の役職名になりました。

梅崎:忍者は全国に存在したといいますが、なかでも伊賀・甲賀の忍びが有名です。なぜこの地域が、一大ブランドになったのでしょうか。

山田:今は三重県、滋賀県に分かれていますが、もともとは一体の土地でした。いずれも京都にほど近いが、山に囲まれており、情報が外に漏れづらい。また、東国との境界にあたる要所でもあり、都から落ち延びた者や山賊など得体のしれない者が身を潜めやすい環境だったといえます。大名の力が弱かったため、土豪層や地侍による自治組織が力を持っていました。そのような土地柄から、自衛のための武力や忍術が高度に発達していったと考えられます。実際、忍術書も、そのほとんどが伊賀・甲賀で書かれたものです。

梅崎:伊賀・甲賀は、いろいろな勢力の境界地にあたる軍事的要所だったことで、対等な取引や駆け引きができたわけですね。

山田:そうです。さらにその後、家康に取り立てられたことで、伊賀・甲賀の忍びは優れた存在であるということが全国的にも知られ、各藩の大名に雇われるようになりました。江戸時代には、忍びが自分のスキルを大名にアピールして仕官するようなことも行われていました。契約書のような記録も残されています。

w180_academia_practice.jpg三重大学大学院で行われている「忍者学実践特講」。伊賀の山中で忍者の身のこなしや実際の忍者の暮らしを体験する。
Photo=山田氏提供

どんな状況でも動じずに耐え忍ぶ強い心が求められる

梅崎:忍術は秘伝とされる部分も多いなかで、貴重な文書資料となるのが忍術書ですね。

山田:口頭で伝えられてきた術や、ほかに書き記されたものをまとめて編纂したのが忍術書です。忍術書が書かれるのは17世紀の中頃、江戸時代になってからです。やるかやられるかの戦国時代は、それどころではなかったのでしょう。江戸に入って太平の世になり、島原の乱以降は忍者の実践の機会も減ってくるなかで、自分たちの術を子々孫々に伝承するために書かれたものと思います。それでも、重要な部分は「口伝」とだけ記されるなど、すべてが紙に残されているわけではないのですが。

梅崎:忍術書には、どのようなことが書かれているのでしょうか。

山田:さまざまな忍術の解説はもちろんですが、倫理的な側面が強調されているのが興味深いところです。たとえば忍術書の集大成ともいえる『万川集海(ばんせんしゅうかい)』では、忍びの本(もと)は「正心(せいしん)」だと説いています。忍びの末(すえ)は陰謀やだますことなので、それゆえ心が正しくコントロールできないときは、臨機応変の計略を遂行することができないと書かれています。

梅崎:ここでいう正心とは、つまり仁義・忠信を守るということですね。

山田:その通りです。『万川集海』には「忍道」という言葉も数多く出てきます。高い精神性を持つ体系化された道だという教えですね。忍びの精神は、まさに「忍」の1字に表れています。日本語の「忍」という漢字には、ひそかに何かをするという意味と、我慢する、耐えるという2つの意味がありますが、中国語の「忍」には前者の意味はありません。刃の下に心を書くのは、胸に刃が突き付けられるような危機的な状況にあっても動じない心を意味しています。危険な任務だからこそ、常に自分を厳しく律し、困難にも耐え忍ぶという高い精神性が求められる。忍者のあり方は、日本を作り上げてきた精神性と深くつながっていると思います。日本らしい精神性に魅力を感じて、忍者に興味を持たれる海外の方も多い気がします。

梅崎:「武士道」ならぬ「忍道」ですね。一方、忍術書で説かれている倫理観と、小国ながらしたたかに生き残ってきた伊賀・甲賀の忍者の姿とは、少しイメージが違うような気もします。金のためなら何でもする姿は映画や小説のなかの話だとしても、現実に裏切りや騙し討ちもあったと思いますし、「主君に忠信を誓う」というのはどこまで真実なのか。武士道における『葉隠』が、やはり江戸中期の太平の時代に、理念的な武士のあるべき姿を描いたように、忍術書が説く忍びの倫理も、平和な時代に入ってからのリブランディングと見ることもできるでしょうか。

山田:そうですね。実際の忍者は決して完璧な人間だったわけではなく、欲望に流されることもあったはずです。だからこそ、戒めとして心構えの重要性を強調したのでしょう。忍者は任務に応じて姿かたちを変えますが、忍者としてのあり方についても、時代にあわせ、状況に応じて柔軟に形を変えていくのがおもしろいなと思います。

w180_academia_military-tactics.jpg兵法書の『武備小学』には、暗闇で人を見つける「座探し」の術や、縄を使って高い所から降りる術など、忍びが用いた術も道具とともに描かれている。
出典:山田氏提供

忍術とはサバイバル術 総合力で危機を乗り越える

梅崎:フィクションの世界では、忍者は魔法のようにドロンと消えたりします。実際の忍術は、すべて鍛錬によって身につけることができるスキルですよね。

山田:忍術は日本の風土のなかで、自然と関わりながら、さまざまな体験を積み重ねて作り上げられてきました。薬草や火薬の使い方、気象や天文に関する知識など、おそらく修験道から学んだものも多いと思います。

梅崎:感心するのは、忍者の総合的な能力の高さです。体術や戦闘術に優れているだけでなく、非常に幅広い分野の技術・知識の使い手だったといえます。

山田:一言でいえば、忍術はサバイバル術なんですね。忍者の最大の使命は主君に情報を届けることですから、戦うよりも、なんとかして生き延びて戻ってこなくてはなりません。忍術書には、侵入術、変装術、交際術、対話術、記憶術、伝達術、呪術、武術など、さまざまな術が説明されています。甲賀流の流れを汲む「芥川家文書」には、忍者になるためのさまざまな鍛錬について書かれていますが、最初に「本を読め」とあるのが興味深い。幅広い知識があり、かつそれを使いこなせる能力が大事だということでしょう。

梅崎:サバイバル術だから、実践で使える技をバランスよく身につけていることが必要になるわけですね。闇夜にまぎれて城に忍び込むこともあれば、町人になりすまして情報収集することもある。そうなると、生活に溶け込んで相手の心に入り込んでいくことが重要になります。ご著書にも、忍びに適した人材として「知恵のある人、記憶力のよい人、コミュニケーション能力に秀でた人」という記述がありますが、まるで現代の海外駐在員に求められる能力のようです。

山田:実際、海外で講演などをすると、現地の日本人の方から「忍者の手法を勉強しておけばよかった」などと言われることもありますよ。

梅崎:ビジネスの最前線でも、知らない土地で一から事業を立ち上げたりする場合には、身体能力が高いとか、専門知識があるというだけでなく、人としての総合力が鍵を握ります。でも現代の教育環境では、細分化された知識を身につけることはできても、忍者のような統合性を養うことはなかなか難しい気がします。

山田:三重大学大学院では、集中講座として忍術の実践演習を行っており、山中に分け入って、忍者の体の使い方などを実体験してもらっています。実際にやってみると、足場の悪い斜面を走るだけでも一苦労ですし、ほどけないように縄を縛るなど、単純な道具の使い方も意外と知らないことに気づきます。現代ではあらゆる能力がスマホに吸収されてしまいましたが、昔の人は、必要なことは自分の頭で記憶していましたし、山のなかで自分の位置を確認する方法も身につけていました。忍者のような特別な鍛錬をしていなくても、米俵くらいは楽にかついで歩いていました。そうした能力も、使わないでいるとどんどん衰えてしまう。忍者を通じて、人間が本来持っている能力の高さを改めて確認できるのではないでしょうか。

梅崎:不確実性の高い時代に生きる今の私たちこそ、忍者に学ぶことは多いと思います。

w180_academia_ninja.jpg出典:『忍者の歴史』(山田雄司/角川選書)などをもとに編集部作成

Text=瀬戸友子 Photo = 刑部友康(梅崎氏写真)

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山田雄司氏
三重大学人文学部教授
Yamada Yuji
専門は日本古代・中世信仰史。京都大学文学部史学科卒業。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。その後、三重大学人文学部で教鞭をとり、2011年より教授。2012年から忍者の学術的研究を開始し、現在、三重大学国際忍者研究センター副センター長。

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人事にすすめたい本
『忍者の精神』 (山田雄司/角川選書)
忍術を「道」に高めるために必須な精神とは何だったのか。忍術書を読み解き、忍者が忍者たる核心に迫る。

梅崎修氏

法政大学キャリアデザイン学部教授

Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

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