人事のアカデミア感情リテラシー

リテラシーを高めることで感情はマネジメントできる

大人になっても、感情に振り回されるときがある。特にネガティブな感情は厄介だ。できれば自分の気持ちをうまくコントロールして、楽しい毎日を送りたい。マインドフルネスやアンガーマネジメントが注目されるのも、そのためだろう。どうすれば、感情をマネジメントすることができるのか。発達心理学の見地から、感情との付き合い方を渡辺弥生氏に聞く。

行動や認知だけでなく、「感情」への関心が高まる

梅崎:ビジネス界でも感情に対する関心は高いと思います。まず、心理学において感情はどう扱われてきたのか、感情の定義について教えてください。

渡辺:研究者によりさまざまで、統一された定義づけを紹介するのは難しいところです。心理学における感情の研究は、感情という目に見えない主観的なものを科学的、客観的に証明するための取り組みの歴史だといえます。心理学は、データを収集し統計的に検証して、はじめてものがいえる学問ですから。ただ、そのための方法論はさまざまです。科学の進歩によって、脳の仕組みなどもより正確にわかるようになり、研究も発展してきました。

梅崎:いろいろな学説があって興味深いです。

渡辺:大まかにいうと、「行動」「認知」「感情」と3つの側面から考えられることは多いです。
1つは行動的側面から人間の心理を捉えようという流れです。たとえば、私たちは一般に「怖いから逃げる」と考えがちですが、猛スピードで車が迫ってきたときに、怖いと感じる余裕はおそらくないはずです。反射的に逃げて、後から「ああ、怖かった」と思うのではないでしょうか。このように、何らかの刺激に対して行動がとられ、それが感情を引き起こすという考え方があります。
ところが、同じ刺激に対しても、違う反応が出てくる場合もあります。それは物事の評価の仕方、つまり認知によるものだという考え方が出てきました。たとえば、目の不自由な方と酔っぱらいが同時に駅のホームから落ちそうになったとしたら、ほとんどの人が目の不自由な方を優先して助けると答えます。なぜなら、目が不自由であるがゆえにコントロールがきかなくなるのは仕方ないが、ふらつくまで飲むのは自業自得だという認知をしているからです。前者には同情の気持ちが、後者には嫌悪感が芽生え、積極的に助けるか、そうでないかの行動の違いにつながるというわけです。
さらに、感情に焦点が当たるようになったのは、1990年代から2000年代前半頃からです。人間の感情に対する関心は古代から綿々と続いていましたが、心理学においては、特に知能についての研究が進んできたことと無関係ではありません。実際に社会で活躍するには、記憶力や分析力など知能検査で測れるような知能だけでなく、場の空気を読んだり、他者を思いやったりする社会的なスキルが必要であることがわかり、感情や社会性に関わるさまざまな研究が進んできました。

梅崎:感情の研究でいえば、一般的には、「EQ(心の知能指数)」がよく知られています。ビジネス界でも、「IQだけでなくEQが大切だ」というのは、実感値として浸透していると思います。

渡辺:学術的には「EI (Emotional Intelligence)」ということが多く、もともとは社会心理学者のサロベイらによって提唱された理論です。これを心理学者でジャーナリストのダニエル・ゴールマンが、「IQ」に対比される「EQ」として一般向けの本を著し、全世界に広まりました。

梅崎:渡辺先生は「感情リテラシー」という言葉を使われていますが、感情もトレーニング次第で能力を高めていくことができると捉えればいいでしょうか。

渡辺:そうですね。研究者によって使われる用語や概念はまちまちですが、私は、読み書き能力のようにトレーニング可能なものという意味を込めて「感情リテラシー」という言葉を使っています。前任の大学では教育学部に所属しており、学校現場をよく訪れていました。いじめや暴力、不登校などの問題が起こるなかで、「あなたは怒りん坊だから」「引っ込み思案だから」と、子どもにレッテルを貼るようなことをしても問題は解決しません。もちろん生まれながらの気質の影響もあるのですが、「うまくいかないのはスキルが未熟なだけで、トレーニング次第であなたは変わっていけるんですよ」と伝えたいという思いがあります。

自分の感情を可視化して1日の変化を見つめ直す

梅崎:渡辺先生は感情リテラシーを育む実践的な活動を行っています。ご著書では「ソーシャル・エモーショナル・ラーニング(SEL)」(図1)という考え方が紹介されていますが、これはどういうものでしょうか。

渡辺:「社会性と感情の学習」などといわれるものです。社会性や感情のスキルを身につけていくことが、学力やメンタルヘルスによい影響を及ぼすというエビデンスが得られたことで、欧米では学校現場に向けて、さまざまな感情教育のプログラムが紹介されるようになりました。いろいろなプログラムが乱立してきたなかで、非営利団体CASELが打ち出した代表的なフレームワークが、SELです。

w179_academia_sel.jpg

梅崎:感情リテラシーを高めるトレーニングは、具体的にはどのように行うのでしょうか。

渡辺:たとえばイェール大学のRULERアプローチ(図2)を活用して開発されたムードメーター(図3)という教材があります。快・不快を横軸に、エネルギーの高・低を縦軸にしたグラフで、4つのゾーンに色分けして感情を可視化するものです。快くてエネルギーがプラスの黄色ゾーンには「楽しい」「うれしい」など、快くてエネルギーがマイナスの緑色ゾーンには「まったり」「のんびり」といった感情が入ります。
これを使って、自分の気持ちを客観的に考えるワークを行います。たとえば1日のなかでも感情は変化しています。朝、目がさめたとき、とても眠くて気持ちがどんよりしている。支度が遅くなってお母さんに怒られてイライラしたけれど、朝ごはんがおいしかったから、ちょっと楽しい気分になったり。時間や状況によって、自分の気持ちがどのゾーンにあったか、客観的に変化に気づくことになります。

梅崎:1日のなかでもかなり変化しますよね。

渡辺:怒りん坊もずっと怒っているわけではないし、暗い子もずっと暗いわけではない。可視化してみて、なぜいつも夕方嫌な気持ちになるのかなと、自分が不快になる原因が見えてくれば、行動を変えて予防することもできますよね。特に私が問題だと思うのは、子どもたちは、1日中、快くてエネルギーがプラスの黄色ゾーンにいることを周囲から期待されてしまうことです。親も先生も、はきはきあいさつして、勉強も遊びもめいっぱい楽しんでいる子どもが好きですよね。常にその圧を受けた緊張状態にあって、ようやく自分の部屋でまったりとゲームができると思ったら、「何をサボっているの」と叱られることもある。ゆったりと和やかな緑色ゾーンの世界を、あまり与えられていないのではないかと思います。

梅崎:感情リテラシーと考えると、学校や家庭だけでなく、地域のなかで遊んだり、けんかしたり、いろいろな人とふれあいながら学んでいくことも多いと思います。昔は近所の駄菓子屋とか、公園とか、子どもにとって居心地のよい場所がたくさんあって、学びの多様性を生んでいたのでしょうが、最近ではそうした居場所も少なくなっていますね。

渡辺:そうですね。学生の卒論指導などをしていると、居場所の研究を選ぶ学生が目に付きます。リラックスできる感覚を学んでいないから、居場所がないと感じている若者が多いのかなと感じます。

w179_academia_ruler-approach.jpg

w179_academia_mood-makers.jpg

ポジティブとネガティブ 両方あるから豊かに生きられる

梅崎:大人になっても、感情リテラシーを高めることができるのでしょうか。

渡辺:大人向けのプログラムも実施されています。先ほどのムードメーターもそうですし、「気持ちカード」を使ったワークもありますね。気持ちを表す言葉が書かれたカードを引いて、自分はどんなときにその気持ちを感じるか、皆の前でエピソードを語ってもらい、ほかのメンバーがその言葉を当てていくのです。気持ちを表す感情語彙というのはたくさんあるのですが、最近では感情が高ぶった状態は、なんでも「ヤバい」の一言で済ませてしまうなど、大人も子どももボキャブラリーが貧困化しています。「わびしいってどんな気持ちだっけ」「慈しむって言葉もあったな」などと盛り上がりながら、エピソードを語り合うことで感情を共有していきます。

梅崎:感情語彙を増やしていくことで、繊細な感情の機微みたいなものが意識されていくんですね。ワインの味わいをいろいろな言葉で表現することで、奥深いおいしさがわかってくるのと似ている気がします。

渡辺:そうですね。たとえば赤ちゃんが不快に思って泣いたときに、お母さんが「暑いの?」「気持ち悪いの?」と声をかけてくれるから、次第にその感情と言葉がリンクしてくるのだと思います。2、3歳くらいの子どもは、「お兄ちゃんにかなわなくて悔しいのね」などと言われると、やがて自分から「悔しいの」と言い出すようになります。どんなときも「ヤバい」しか言わない環境で過ごしていると、心は豊かにならないのではないかと思います。
心理学で「ポジティブキャピタリゼーション」というのですが、ポジティブなやり取りがよい関係性につながっていきます。職場で昨日観たテレビの話をしたときに、「観たよ、面白かったね!」とポジティブな反応が返ってくると、うれしくなるし、相手にも好感を抱きますよね。こうしたよい関係性が成り立っていれば、自信を持って自分の力を思い切って発揮できます。逆に言えば、自分からポジティブな声がけをしていくことによって、集団の雰囲気をよくしていくことにもなるのです。

梅崎:よくわかります。一般のビジネスパーソンでも、ポジティブなやり取りの重要性を感じている人は多いと思います。一方で、個人的には、ポジティブ心理学に対して少し楽観的すぎるかなと思うこともあります。そう簡単に変われるものではないのではないかと。

渡辺:ネガティブな感情を持っている人に、ポジティブになりなさいと言っているわけではないんです。大切なのは、人間はいろいろな感情を持っていて、それによって白黒だった世界に奥深さが生まれてくるということ。進化の過程で、人間がサバイブできたのは、恐怖とか不安とか怒りがあったからだといわれます。感情語彙の数でも、日本語でも英語でも、ネガティブな言葉のほうが多いらしいです。だから、人間がなかなか幸せを感じられないのは当たり前なのだという説明の仕方をする人もいます。

梅崎:小説でも音楽でも、素晴らしい作品は、「好きだけれども嫌い」「しんどいけれども楽しい」のような人間の複雑な感情をアートに昇華していると感じます。ネガとポジの両方があるから、心のひだがわかる。その振れ幅があったほうが、他人のこともより理解できますね。感情リテラシーを高めていくことは、私たちが豊かに生きていく
ためにも有効だと思います。

Text=瀬戸友子 Photo = 刑部友康(梅崎氏写真)、 本人提供(渡辺氏写真)

w179_academia_watanabe-yayoi.jpg

渡辺弥生氏
法政大学文学部心理学科教授
Watanabe Yayoi
法政大学大学院ライフスキル教育研究所所長。教育学博士。専門は発達心理学、発達臨床心理学。筑波大学大学院で心理学を学び、筑波大学、静岡大学を経て現職。ハーバード大学とカリフォルニア大学サンタバーバラ校で客員研究員を経験。

w179_academia_book.jpg

人事にすすめたい本
『感情の正体』
(渡辺弥生/ちくま新書)
ネガティブな感情に翻弄されないための最新研究。友情や公共心を育み、勉強や仕事の能率を上げる方法とは。

梅崎修氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

Navigator