人事トップ30人とひもとく人事の未来サントリーホールディングス 執行役員 ヒューマンリソース本部長 宮脇潤治氏

雇用不安なく、長期視点で人を育てる。それを原点に変化の時代に合った人と組織の関係を構築

聞き手/石原直子(リクルートワークス研究所 人事研究センター長/主幹研究員)

石原 御社は大型のM&Aやグローバル展開を進め、組織の多様性が高まっていると思います。現在は、どのような人事課題を持っていますか。

宮脇 2030年に向けた経営戦略を踏まえ、人や組織のあるべき姿をまとめました。「人間の生命の輝きをめざし、多様性にあふれ、イノベーションを起こし続ける、“やってみなはれ集団”」というものです。また、これは、自律した多様な個人と柔軟で機敏な組織から成り立つと考えました。一方で、現状を見つめてみると、日本社会の人口ピラミッドと同様に社員の年齢構成が変化していること、若年層と中堅・シニア層との価値観のギャップが拡大していること、さらには、新型コロナウイルスなど予測困難かつ急激な変化による事業への影響で、グループ内各部門の人材需給ギャップが急速に顕在化したこと、という3つの課題が浮かび上がってきたのです。

人材育成元年と定め長い目で人を育てる

石原 それらの課題を解消するには、人事は何をすべきとお考えですか。

宮脇 議論を重ねた結果、もう一度原点に返って、人を育てることを我々の仕事の中心に据え、進化させようと考えました。2021年を「人材育成元年」と位置付け、様々な施策を進めています。そして従業員にまず、会社として雇用を守るという考え方に変わりはないということを伝えています。安心して会社のなかで様々な経験をして、自らしっかり育っていってくださいというメッセージを打ち出しています。

石原 とても重要なことだと思います。最近はジョブ型とか副業といった言葉だけが独り歩きし、ともすると従業員は「会社は雇用を守る気がないのではないか」という不安にかられることにもなりかねません。長い目で人を育てていくという姿勢を明確に打ち出したことは、大きな安心につながるのではないでしょうか。

宮脇 もちろん事業環境が大きく変化しているなかで、会社が何かをしてくれることを期待するだけでなく、一人ひとりが自ら育っていくことが不可欠です。人の育て方も一様ではありません。だからこそあらためて、実力本位をさらに徹底していくことも、同時に人事の柱としました。実力を高めている人にどんどんチャンスを与えて、結果を出した人にはきちんと報いる。当たり前のことをしっかりやっていきたいと考えています。

個人の成長を軸に据えてローテーションを実施

石原 具体的には、どのような施策を進めているのでしょうか。

宮脇 環境変化が早く競争が激化するなかで、もともと当社の人材育成の強みであった事業や部門を越えた異動が少なくなっていました。人は新しい経験で大きく成長するという観点から、横断的な異動を計画的にもっと増やしていこうとしています。
そのときに大切なのは、組織の都合だけで人の異動を調整するのではなく、個人の成長を軸に中長期的に考えることです。これまでは年に2回の定期異動があり、その調整による異動が「主」でしたが、今後は年に1度、部門ごとにマネジャーが一堂に会した育成会議による異動を「主」に変えていきます。育成の主役は何といってもマネジャーですから、マネジャーが一人ひとりの強みや弱みを踏まえて、「伸ばし方」を話し合い、異動や研修を計画する、というタレントマネジメントの型を定着させたいと考えています。

石原 個々のタレントマネジメントを実践するとなると、現場のマネジャーの役割も大きくなっていきます。

宮脇 その通りです。グローバル統一の「サントリー・リーダーシップ・コンピテンシー」を見直し、サントリーが求めるリーダー像をより明確に言語化しました。従来のものは、グローバル共通で初めて作ったコンピテンシーでしたので、割と一般的な言葉でまとめていたという反省もあり、創業時から受け継ぐ「やってみなはれ」の精神も反映した、サントリーらしさが感じられるものに変えました。

経営から現場まで「やってみなはれ」を体現

石原 「やってみなはれ」は、国外の従業員向けにどう訳していますか。

suntory_sub.jpg宮脇 日本語のまま、“Yatte Minahare”です。「やってみなはれ」には、単に新しい挑戦をするということではなく、自分自身で大きな旗を掲げて、困難を乗り越えて最後までやり抜くという意味を含んでいます。今ならグループ4万人の従業員ほぼ全員に通じると思います。

石原 全世界に浸透すべく努めているのですね。

宮脇 もちろん一人ひとりが自分なりにその意味を咀嚼するには、それなりに時間がかかります。バリューを理解するためのトレーニングプログラムを受けたり、経営トップの意思決定に触れたりするなかで、徐々に理解が深まっていくものでしょう。振り返ってみると、経営トップが率先して実践しているかもしれません。2014年のビーム社(現ビームサントリー)の買収は、その最たるものだったと感じています。

石原 日本の非上場会社が世界的なトップブランドを持つ米ビーム社を約1兆6500億円で買収したのですから、世界中が驚きました。その直後に新浪社長が電撃就任し、見事に統合を果たしています。まさに経営トップ自ら「やってみなはれ」を実践し、良い結果に結びついている。これは会社として大きな自信になるのではないでしょうか。

宮脇 そうですね。その流れを、次へ次へとつなげていくことが我々の責務だと思っています。

石原 人事に求められるスキルも変わってくるでしょうか。

宮脇 専門的なスキルよりも最も大切なのは、現場のビジネスや人をいかに深く理解できるかです。もともと飲料事業は独自の人事部門を持っていたのですが、2021年1月から酒類事業のほうにも人事部門を作り、ホールディングスの人事と三者で連携しながら仕事を進めていく体制に変えました。事業の現場に人事を置くと、ビジネスの状況がどうなっているか、現場の人が何に悩んでいるかがよくわかるし、入ってくる情報の質も量も変わります。現場を深く理解した上で、事業部の責任者のビジネスパートナーとして、一緒に人を育てていく形にしています。

石原 「人を育てる」ことに原点回帰したとの話でした。さらに変化が激しくなる時代、人と組織の関係はどうなっていくと思われますか。

宮脇 2020年3月のパンデミック宣言の直後、海外ではレイオフも横行しましたが、新浪がグローバルの主要会社のトップに対して雇用を最大限守るようにメッセージを出しました。海外の従業員にもこれが非常に響いたようで、例えばビームサントリーの2020年のエンゲージメントスコアはここ10年で最高でした。
令和に入ってから、これまでとは質の異なる予測困難な変化が次々と起きています。そのなかで雇用不安を感じていては、短期だけでなく中長期視点でも考え、リスクをとって新しいことにどんどん挑戦することがなかなか難しくなるのではないでしょうか。実力本位の徹底によるフェアネスや緊張感は大前提としても、一生懸命仕事をしてくれていたら雇用は大丈夫だというメッセージは、会社と個人との信頼関係の根本になる大切なものだと思っています。

サントリーホールディングス 執行役員 ヒューマンリソース本部長 宮脇潤治氏
2020年1月、ヒューマンリソース本部副本部長、ヒューマンリソース本部グローバル人事部長。2021年1月より現職。

text=瀬戸友子 photo=刑部友康