人事のジレンマキャリア自律を促したい×ジョブローテーションは重要だ

環境の変化がますます激しくなるなか、キャリア開発は会社任せではなく、個人が主体となるべきだというキャリア自律の考え方が広がってきている。一方で、要員計画上、あるいは人材育成上の理由で、ジョブローテーションを行っている企業は数多い。会社都合で人材配置を決めるジョブローテーションと、自らのキャリアを自らハンドリングするキャリア自律は、両立するのか。人材育成のためにジョブローテーションを積極活用するサントリーの神田秀樹氏と、キャリア自律の重要性を説くリクルートワークス研究所所長・大久保幸夫の対談から、その可能性を探る。

大久保:まずは、貴社のジョブローテーションについてのお考えを聞かせてください。

神田:当社では、若手人材の育成を目的として、「入社後、最初の10年で3部署を経験」という方針を打ち出しています。新しい仕事に挑戦し、壁にぶつかって、それを乗り越えていくときに、人は大きく成長すると考えているからです。また、その時々の成長だけでなく、若い頃に幅広い経験を積むことによって視野が広がり、将来より高いポジションについたときに必ず役に立つはずです。

大久保:最初の10年は、自分が仕事をしていくための基盤を作る時期ですよね。ベースとしての型を身につけることによって、その後どんな仕事をするにせよ、自由度が高まると思います。型破りでも、きちんと型が身についていれば、足元は揺らぎません。

神田:「10年で3部署」の考え方は、人事方針の1つとして採用段階でも学生たちに提示していますが、ここに魅力を感じてサントリーを志望したという学生も多いんですよ。

「やり切った」という自信が次の挑戦につながる

大久保:要員計画を抜きにして、純粋に人材育成のことだけを考えたら、「5年で3部署」くらいのスピード感を持って経験値を高めるのも1つの手段です。これについては、どう思われますか。

神田:確かに教育的効果はあるかもしれませんが、本人の成長と同時に、やはり業務として一定の成果を上げることも忘れてはならないと思います。営業であれば、まったく相手にされないところから始まって、何度も得意先に足を運んで関係を構築し、最後に担当を離れるときは「あなたのおかげだ」と惜しまれるくらいになるのが理想ですが、1〜2年ではそこまでの関係を築くのは難しいのではないでしょうか。一定の成果を上げるまで、1つの仕事をやり切ったという経験も、本人の成長のために重要でしょう。

大久保:自分なりに挑んで完遂した、という達成感は非常に重要ですね。それによって自己効力感が生まれますから。5年で3部署を実現するならば、1〜2年で達成感を持たせる職務設計が必要でしょう。

神田:達成すれば、さらなるチャレンジにつながります。その後の成長も大きく違ってきますね。

大久保:私はよくキャリア形成のモデルを「いかだ下り」と「山登り」に例えています。それこそ最初の10年くらいは、「いかだ下り」の時期。自分がどこに向かっているかもよくわからないまま、とにかく目の前の状況に集中して、全力で急流を乗り越えるのです。
その繰り返しのなかで基礎力を鍛えたら、いよいよ「山登り」に移ります。自分がじっくりと腰を据えて挑んでいく領域を決め、山頂を目指してまっすぐに進んでいくのです。

神田:サントリーの場合は、10年ほど「いかだ下り」をした後も、全員が自分の道を定めて「山登り」に入るわけではありません。特定の分野で専門性を高めていく人もいますが、引き続き3〜4年で異動を続ける人もいます。どちらかというと、経験を積むほど、より大きなチャレンジに向かってさらなる激流に飛び込んでいくイメージが強いですね(笑)。「山登り」をするにしても、自分が決めた道を進むとは限りません。でも、思いもよらない未知の領域の仕事を「やってみなはれ」と任されて、結果的にそれが自分の可能性を広げてくれることも多い。山を登る道も、自分が決めた一本道だけでなく、裏道や獣道などいろいろありますから。

意思を持って自らのキャリアを考え続ける

大久保:必ずしも本人の志向や希望に合った道を進むわけではないとしたら、キャリア自律とジョブローテーションの両立をどのように図っているのでしょうか。

神田:そうはいっても、本人の意向をまったく無視して、一方的に配置しているわけではありません。当社ではキャリアビジョンという育成制度を運用しています。年に1度、一人ひとりが中長期でチャレンジしたい分野を考え、その価値観をふまえたうえで上司との面談を行うのです。人事と現場の社員の距離も近く、日頃から各部門に入り込んで、現場の状況や要望もきめ細かく把握するようにしています。そのうえで、本人の意向を汲みながら、適性も踏まえて適材適所の配置につなげています。
自分自身を振り返ってもそうですが、キャリアは、むしろ偶発性の掛け合わせによって切り開かれることが多いと感じています。たまたまある仕事を経験したことが自分の実力を引き上げてくれたり、たまたまある人に出会ったことでネットワークが広がったりするものです。
そして繰り返しになりますが、本人の希望する道が最善とは限りません。キャリアビジョンを実現するためには、実はこんな道もある、より成長できるチャンスがあるということについて、丁寧にコミュニケーションを重ねています。また、個人の視点に立った専門家に相談したり、アドバイスがもらえるキャリアサポート室も設置しています。

大久保:キャリアビジョン制度が、重要な役割を果たしているんですね。次の異動先を自分で決められるわけではないけれども、キャリアビジョンシートの作成を通じて、将来の自分のありたい姿を常に問い続けている、ということに効果があります。
そもそもキャリア自律とは、自分自身が自分のキャリアに対して意思を持つこと。たとえ思い通りにならなくても、自分のキャリアビジョンを自分で考えさせることは、キャリア自律を図るうえで欠かせない要素です。
今の自分の限られた視野の範囲で、やりたいことを決めるのが最善の道とは限らないので、会社と個人が知恵を合わせてキャリアを作っていく。だから希望通りの異動ではなかったとしても、「これはこれで1つの道だ」と本人も納得できる、と。

神田:そうですね。100パーセント希望通りでなかったとしても、少なくとも本人のキャリアビジョンに照らして80〜90パーセントの納得感を得られる配置を心掛けています。また、社員は総じて、与えられたチャンスを前向きにとらえています。大きなチャレンジであるほど「よし、自分がやってやる!」と気合いが入るようです。

より早い「いかだ下り」や計画的な「山登り」も必要

大久保:まさに「やってみなはれ」の文化ですね。

神田:会社の歴史そのものが挑戦の連続でした。ワインから始まって、日本で初めてウイスキー造りに乗り出し、絶対に無理だといわれるなかでビール事業に進出して......。当然、誰一人その分野のプロフェッショナルなどいないなかで、まったくのゼロから新しい市場を切り開いてきたわけです。
挑戦しないことは罪だという意識が浸透していますし、挑戦した人が評価される。挑戦した結果の失敗には比較的寛容で、敗者復活や再チャレンジの機会も多く残されています。

大久保:企業文化との整合性が取れていて、サントリー流のキャリア自律とは、新しい仕事に挑戦し続けることだといえるのかもしれませんね。
ただ一般的には、長いキャリア形成のプロセスには、腰を据えて1つのことに取り組む時期も必要だと考えています。「山登り」と言っているのは、何も新しい挑戦をしないという意味ではありません。「いかだ下り」が基礎となる足腰を鍛えるものだとしたら、「山登り」はその上に積み上げる専門力です。つまり、違う筋肉を鍛えるもので、特定の領域にじっくり取り組みながら、そのなかで自分はどんな強みを発揮して、どのようにして秀でていくか、計画的・戦略的に能力開発していく時期も重要でしょう。

神田:私自身も中堅の頃に人事を10年経験しました。一口に人事といってもさまざまな業務があり、幅広く全体を見られたのは、今にして見れば自分の財産になったと思います。

大久保:もう1つ、育児や介護との両立など、ライフサイクルの変化によって働き方に制約をつけざるを得ない社員も今後ますます増えていくと思います。そうなると、常に新しい挑戦を前向きにとらえることが難しくなるケースが出てくるかもしれませんね。
また、特に女性活躍推進の観点からは、出産・育児のサイクルに入る前に、よりスピードを上げて幅広い経験を積めるような仕組みも必要になってくるでしょう。

神田:個別の事情に関しては、今でもかなり丁寧に一人ひとりの社員に向き合っています。それぞれの事情を鑑みて、あまり無謀な異動を提案することはありません。
また、女性社員への成長機会の提供時期については、確かに今後に向けた大きな課題の1つだと感じています。「10年で3部署」はあくまでも基本的なポリシーであって、機械的に運用しているわけではありませんが、今後はさらにきめ細かな対応をするなり、新たな仕組みを設けるなり、具体的な施策を考えていければと思っています。

Text=瀬戸友子Photo=刑部友康