労働需給シミュレーションの「限界」とどう向き合うか
構造的な働き手不足やAIの普及などによる雇用環境の変化に直面する日本社会。先行き不透明な将来を見据えた対応策を検討していく上で不可欠なのが、労働需給シミュレーションだ。日本でこの分野を長きにわたり担ってきた労働需給推計実務の専門家である、元三菱総合研究所労働政策分析担当研究部長の木村文勝氏とともに、労働需給推計の目的や課題、留意すべきポイントを探った。

「失業率対策」から「人手不足対策」の時代へ
古屋:木村さんは労働需給シミュレーションの最前線で長年活躍されてきましたが、どのような経緯で推計に関わるようになったのですか。
木村:きっかけは1980年代に遡ります。労働省(現厚生労働省)の業務を三菱総合研究所が受託した流れで私が担当するようになりました。
古屋:2004年から「労働力需給の推計」を公表している厚生労働省所管の独立行政法人「労働政策研究・研修機構」(JILPT)も、まだ設立されていない時代のことですね。
木村:そうですね。当時は5年ごとの国勢調査をもとに新たな人口推計が出るのに合わせ、労働需給推計もアップデートしていました。その後、JILPTに業務が引き継がれた際、シミュレーションに用いる計量経済モデル(以下、モデル)に精通した担当者が必要ということになり、私が継続してお手伝いすることになりました。ちなみに、経済データを数式でモデル化して分析する手法を確立して政策策定に応用したパイオニアは、1969年に第1回ノーベル経済学賞を受賞したオランダのヤン・ティンバーゲンという経済学者です。
古屋:それを伺って腑に落ちました。オランダ政府は現在も、頻繁に労働需要や求人動向の推計・分析を実施し、EBPM(Evidence-Based Policy Making、客観的なデータや証拠に基づく政策立案)を積極的に推進しています。その原点はここにあったのですね。一方、現代日本において労働需給を予測することには、どんな意味があるとお考えですか。

木村:私が推計に携わるようになった1980年代や1990年代は人手が余ることが社会として大きな問題となり、「失業率」に社会の耳目が集まる時代でした。このため、国が雇用確保に向けた施策を企画・立案する際にベースとなる前提条件として労働需給推計を活用する意図がありました。この名残りでJILPTの推計も当初は、就業・失業状況を把握するために実施されている総務省の労働力調査で得られた労働者数をそのままベース指標に組み込んでいました。
しかし今は、人手不足が主要な社会課題に浮上しています。将来の労働需給の姿を描くという役割に変わりはありませんが、推計の目的の変化に対応し、日本全体で労働力が「不足」している状況をどう描くかが問われています。産業別や職種別の違いが焦点となってきますし、また、大都市圏と地方の格差が拡大する中、地域別推計のニーズも高まっていますね。
古屋:地域別推計に関しては私もつい最近、富山県の労働需給推計を実施する機会があり、働き手の県外流出の予測をどのようにモデルに落とし込むか苦心した経験があります。全国規模の需給推計では社会的移動はほとんど勘案する必要がないためです。これは一例に過ぎませんが、モデルに組み込むデータの選択が、全国で行うモデルと地域別モデルでかなり違うものとなることを肌で感じました。
木村:私も2000年ごろ、静岡県の労働需給推計に携わる機会がありました。この際、県の担当者は産業別需給の把握を重視していました。自治体は産業別に振興施策を展開していますから、労働需給についても産業別に予測したいわけです。ただ、将来の労働需給の姿を描く上で留意しなければならないのは、一つのモデルですべてが明らかになるわけではない、という事実です。モデルに組み込む前提条件は通常、労働需給の影響要因として想定される主なものに限定されますから、現実世界のすべてを模することは困難です。
労働生産性の変化をどう見積もるか
古屋:「前提条件」が大事というお話の関連で言えば、今重視されているのが技術の発展をモデルにどう組み込むかという問題は、推計上難しい部分の一つだと思います。具体的には、労働生産性の変化をどう見積もるかという課題ですが、これは非常に悩ましいポイントです。推計モデルの精度を上げるために今後どんな考え方が求められるとお考えですか。
木村:JILPT の2018年の「労働力需給の推計」で、OECD(経済協力開発機構)が調査したAIによる雇用への影響を外生的に取り込もうとしたことがあります。その結果、「すでに人が余っている」という推計となり当惑しました。OECDレポートの職種別のAIによる生産性向上比率をそのまま雇用代替率として上乗せしたため、実態と乖離した推計になったのです。ここから言えるのは、技術革新については新しい技術がどの段階から実際に雇用現場に影響を及ぼし始めるのかという「時期」と、その効果を把握する「量」に関するデータが存在しないことがもたらす問題です。このため、技術の変化を定量的に予測に反映させるのは極めて困難です。

古屋:今この瞬間も労働の現場は生成AIなどによる技術革新の影響を受けて進化しているのに、その効果を無視して将来の労働需給をシミュレーションすることはできない、ということですね。私は、労働需給シミュレーションを扱う際、確度の高い前提として織り込めるのは人口動態だと思っています。人口動態推計は「外れた」と報道で指摘されることが多い印象もありますが、せいぜい数%の誤差です。この確度と比較すると外需の影響や技術革新の状況のボラティリティは圧倒的に高い。そう考えると、JILPTモデルとして木村さんが設計してきた「人口×労働参加率」モデルが導く労働供給推計の信頼度は高いと思っています。
木村:そうですね。しかしこれも、地域別推計となると難度が高くなります。厚生労働省の雇用政策研究会で座長を務めていらっしゃる樋口美雄先生(慶應義塾大学名誉教授)が、東京に人口が集中する背景として「地方には雇用機会がないから」と指摘され、こうした要素も組み込んだモデルを作れないか、と問題提起されています。東京は地方に比べて雇用の受け皿が大きいだけでなく、職種のバラエティも豊富です。自分のやりたいことや才能を伸ばせる職に就きたいと考えている人は、大都市圏に集まりやすい傾向があるのは否定できません。長期的に見れば、「雇用機会」の影響は小さくないと私も思います。ただ、それをモデルの変数にどう組み込むか、となると話は別です。
古屋:自分が好きな仕事で稼げるのであれば、という理由で東京に住む人は少なくない。その分、人口が集中する、というお話ですね。しかし、その影響をモデルに反映させるには、人口移動モデルと経済・労働モデルの相互作用を組み込むといった手に負えないほど複雑な数式を用いる必要がある、と。産業別・職種別推計で言えば、地域における「職業選好」も異なるでしょう。
木村:労働力率に影響する要因はさまざまです。例えば、東京と比べて北陸地方の女性の労働力率が高い背景に、育児面で親族の協力を得やすい環境が整っているという要因が挙げられます。
古屋:話が逸れますが、そのことを裏付けるデータとして、北陸地方の「世帯当たり人員数」の多さが挙げられます。三世代同居で祖父母に子育てを手伝ってもらえる環境が整っていることが、女性が社会参画しやすい背景にある、と私は推察しています。労働供給側のモデルに組み込む変数として、ほかに念頭におかれていることはありますか。
「多様な働き方」にどう対応するか
木村:労働供給関数については、女性よりも男性の設定条件の方が難しい面があります。男性は何を変数に採用しても、モデルの決定係数が高くならない印象です。
古屋:同感です。男性の労働参加率(15〜64歳)は非常に高いため、説明力のある変数が見つからない。

木村:男性は昔から世帯の主な稼ぎ手だったため、よほどの資産家でない限り、賃金の多寡にかかわらず雇用機会さえあれば働きに出る傾向が根強く残っています。これは、「非核所得者」(世帯で主たる収入を得ている労働者ではない労働者)が多い女性の労働力率が賃金や労働時間の影響を受けやすいのと対照的です。既婚女性の場合、夫の稼ぎや財産によって働いたり働かなかったりする傾向が浮かびますし、配偶者のいない女性、それも若年層では男性の壮年層と同様に賃金などに影響を受けずに働く傾向が強いです。
古屋:シニア男性に絞った場合はいかがでしょう。
木村:シニア男性は比較的、賃金や労働時間に反応しやすい傾向がありますね。
古屋:私も同じ感触を持っています。ただ、フルタイム就業していない就業者も多いため、マンアワーでの分析が求められますね。そして、労働供給側の推計で今後、重要度を増すのがシニア層だと思っています。今はどの推計も基本的には全年齢で同じモデルを採用していますが、シニアについては別の労働供給モデル式が必要ではないでしょうか。というのも、働いているシニアの方々に話を伺うと、お孫さんに小遣いをあげることが働きがいになっているというお話もよく耳にします。これは一例ですが、同居家族の形態や配偶者の有無のほか、貸家か持ち家かといった可処分所得に影響する要素や年金額といった要素も、シニアの場合はより顕著に労働力率に影響している。
木村:私の方でも、年齢別の労働力率関数を検討しています。男性壮年層ではあまり明確にはわかりませんが、既婚女性層では資産保有状況や世帯の主な稼ぎ手の収入による影響が関数の推定結果を見ると推測されます。ただ、働いて得た収入をどう使いたいかについては個人の嗜好に由来する面も小さくないため、それぞれの特性に応じて労働時間や賃金も影響してくるイメージです。

古屋:興味深いお話です。働き方の多様性の流れでお伺いしたいのは、労働供給量を労働投入量ベース(マンアワー:一定期間に労働者各人が実際に労働した延べ労働時間数)で推計するか、労働者数ベースで推計するか、という議論です。女性やシニアの短時間労働者が増加し、1人のフルタイマーがパートタイマー2人分の労働投入量と等しいケースもままあります。こうした実情を加味すると、今後はマンアワーベースで考えていかざるを得ないと思っています。
木村:そこはマンアワーベースの労働需要がある、と単純化して考えてよいのではないでしょうか。労働供給側は提示される賃金や労働時間に合わせて働き方を決めていくわけですから。
古屋:労働需要側についてはいかがでしょう。今は基本的に産業別GDPをもとに労働需要が推計されていますが、人口動態の関連が明らかな内需産業については、人口動態をベースにした労働需要推計の方が推計の確度は高いのではと私は考えています。これは医療・介護分野が顕著ですが、地方の現業職の労働需要は人口動態と密接な関係があるように考えられます。
木村:国内市場に依存する内需産業の場合、エリアごとの人口のボリュームに応じた財・サービス需要に対応して労働需要が必要になります。立地に際して地理的制約を受けるFoot tight産業(立地を変化させにくい産業)の労働需要は予測しやすい半面、労働力や資本の地理的制約を受けないFoot loose産業(立地を変化させられる産業)の労働需要は、行政の施策や企業の経営戦略に依存するため予測が難しい面はあります。
古屋:そうですね。私は昨今、労働供給側推計に対して労働需要側推計は難度が高いと考えており、高い精度で労働需要を予測できるのは、人口動態に基づいた予測が可能な内需産業に限定されると思っています。地域独特の産業構造に基づく地域統計積み上げ型の地域別推計の強みはそこにあるとも思います。一方で、技術の発展、景況変化や経済安全保障の問題、企業の立地戦略といったマクロからミクロに至るファクターによって大きな影響が出る製造業や情報通信業のようなFoot loose産業や、インバウンドの動向に左右される飲食・宿泊業の労働需要予測は極めて困難です。
シミュレーションの「前提」は何か?
古屋:近年は政府や民間研究機関を含むさまざまな機関や団体が労働需給シミュレーションを実施していますが、これまで述べてきたような「限界」や「弱点」を克服することは簡単ではありません。その上で、今後の労働需給推計に求められる視点、とりわけシミュレーションする実務者の側が留意すべき点は何だとお考えですか。
木村:フリーランスやスポットワークといった多様な働き方が広がっていますが、その実態は公的統計ではほとんど捕捉できていません。しかもそのウエイトは年々増しており、何らかの対応が必要です。公的統計で把握できない分野については、民間のデータも可能な限り活用することを検討していくべきだと思います。時系列の影響が見られない場合はクロスセクション(横断的観察)なども適宜取り入れるなど、分析手法を工夫する余地はまだあるはずです。
古屋:では、政策立案者やビジネス・メディア関係者など、労働需給推計を見る側・活用する側に求められるものは何だとお考えですか。
木村:無条件で将来の姿が描かれているわけではない、という前提を理解した上で活用していただく必要があります。予測が当たった、外れたという点にフォーカスされがちですが、それぞれのモデルの目的や、どのようなデータや前提条件によって導かれた予測なのか、といった点に留意して複数の結果を見比べるのがよいと思います。
古屋:私も労働需給シミュレーションは「結果」と同じくらい「前提」がどう設定されているかが重要であるとお話しすることがあります。現実の社会を完全にシミュレートすることは不可能ですが、どのように姿を近づけるのか、その前提を知ることで「どういった社会課題に向き合う際に参考とすべき結果なのか」を理解することができます。
最後に、労働需給シミュレーションの限界や難しさについて、特に気をつけていらっしゃることはありますか。
木村:先にも言及しましたが、公的な統計データがない部分の影響がどんどん増しているように感じています。近年は年齢別や性別、保有資産別などによって異なる「分布」の状況を把握するニーズが高まっていますが、これも公的データではあまりカバーできていません。一つの手がかりは、マイクロシミュレーションモデルで使われる、調査対象者の個票データを用いた分析です。特定の属性の個々人がどう行動するかを確率的に推定するモデルの開発は時間や労力を要しますが、有効な労働政策を展開していく上で不可欠な実態把握のためにも、これからますます重要になると思います。
古屋:確かに、富山県モデルでは個々人の職業選好を全員分マイクロシミュレーションしましたが、重要な示唆が得られた面がありました。お話、大変勉強になりました。本日はありがとうございました。
【プロフィール】木村文勝氏
慶應義塾大学経済学部卒業。財団法人三菱経済研究所に入所後、株式会社三菱総合研究所の設立に伴い同社へ移籍。産業構造および労働経済に関する調査研究に従事し、政策研究部長、研究部長(労働政策分析担当)を歴任。朝日大学大学院経営学研究科講師(産業構造特論)を兼務するほか、北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科客員教授(産業政策システム)、跡見女子大学講師(産業と職業)を兼務。株式会社三菱総合研究所を定年・継続雇用後に退職。 専門は、産業構造論・産業連関分析、計量経済学、労働経済学。
執筆:渡辺豪
撮影:平山諭
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