共鳴協奏 働くのこれからを議論する【所内対談】労働供給制約前提の労働政策へ転換を 働き手目線で社会を変える

労働供給制約が強まる中、労働政策も人手不足社会を前提とした施策への転換を迫られている。リクルートワークス研究所の古屋星斗主任研究員と、厚生労働省でこれまで労働政策の立案に関わってきた松原哲也客員研究員が、労働政策が社会に対してできることは何かを議論した。

古屋星斗・松原哲也写真

人材をまずどこに投入するか 意思決定者の不在が社会の足かせに

――最初に現在の労働市場について、お二人のお考えや課題意識を聞かせてください。

古屋:日本の労働市場は、労働供給制約が高まる中で転換点を迎えています。特に課題だと感じているのは、貴重な労働力をまずどこに投入するかという「優先順位」を決める仕組みの不在です。地方には、例えば災害で崩落した道路の復旧と高速道路の拡張、公共施設の改修など、建設需要だけでも複数が同時に存在します。しかし発注者が国土交通省、高速道路会社、自治体などに分かれているため、限られた人手のもとでどの工事を優先すべきかを誰も決めてくれないという悩みが、地方の建設会社の社長さんたちからしばしば聞かれます。

中央集権的な行政システムの日本では、意思決定者が地方の現場から遠く、現場の実態に即した課題解決に必要な判断を下せない。これが構造的な人手不足に直面する中、社会の足かせになることを懸念しています。

松原: 人々の価値観の変化に伴い、求められる施策が多様化していることに加え、労働供給の制約も避けられなくなる中、政策のあり方が問われています。確かに全国一律に政策を展開した結果、地方と現場とのニーズの間にちぐはぐが生じることもあるので、この点をどう考えるか。ニーズに合った政策を作るには、ターゲットとなる層を定めデータなどで実態を把握する必要がありますが、データが出るのを待っていては、変化のスピードに対応しきれない。このため先んじて政策を打つか、あるいは現状維持に徹するかになりますが、この二者択一になってしまっているように感じられます。

また、今のシステムは問題を抱えつつも実装されており、これまでの成功体験を覆してまで根本的に変えようという力も働きづらい。ただコロナ禍以降、労働者が減少する中で社会をどう支えるかという危機意識の共有や、働き手から見た政策論が許容されつつあると感じており、今がジャンプをしてみるチャンスなのかもしれません。

中小企業に労働分配の仕組みを作る

――ここからは労働政策について、テーマ別に論じたいと思います。まず賃金決定のシステムについて、日本は企業内の賃上げ機能が不十分だとの指摘があります。これについてどのように考えますか。

古屋:帝国データバンクの調査では、最低賃金の引き上げに伴い時給を「100円以上上げる」と答えた中小企業が25%に上る一方、「1円も上げられない」という回答も16%存在し、二極化した実態が明らかになりました。また日本政策金融公庫の調査では、1年前よりも採用を増やした小企業の割合が過去最高となり、増やした理由の1位が「将来の人手不足への対応」でした。将来に対する危機感を強める経営者は、賃上げを進めるでしょう。問題は、「1円も上げられない」という企業で働く労働者の賃金を、どう底上げするかです。労働組合の組織率が低下した今、特に中小企業では、労組に代わって労働分配率を高める機能を「仕組み化」する必要があります。外部労働市場で、つまり転職を通じて賃金を上げることが重要なのは間違いないですが、私は同時に内部労働市場を使った賃上げメカニズムについても、改めて議論が必要だと思うのです。

松原:中小企業は、もともと労働組合のない職場が多いので、交渉して賃上げとはなりにくい。大企業の労組が高い賃上げ率を実現し、中小企業へ波及させていくという役割はありますが、近年は政府や経営側が賃上げ目標を打ち出すことも多く、組合の存在が揺らいでいるとの指摘もあります。また、最低賃金の引き上げも中小企業に賃上げを促す効果はあると考えますが、大幅な増加にはなかなか結び付きづらいのが現状です。

賃上げはさまざまな要因・要素がからみますが、働く現場での労使交渉が大事なことは言うまでもありません。組合のない企業が労使で取り決めをする際は「過半数代表」を選出するなどの仕組みが使われますが、過半数代表が一人で経営者に対峙して賃上げまで要求するのは難しく、やはり集団で交渉する何らかの枠組みが必要です。

古屋:労働供給制約によって労働者一人ひとりが貴重な資本となっているにもかかわらず、個人を支える機能は欠落しています。そこで労働者の代理人として、雇用主との交渉に当たる「エージェント機能」を設けてはどうかと考えています。人材派遣会社の中には、派遣スタッフに代わって派遣先と賃金交渉をしている会社があります。ハイスキルワーカーはもちろん、非正規労働者の待遇改善を促す仕組みとしても、活用できる可能性があると思います。

「完全雇用」達成後の労働政策を考えるとき

――これからの労働政策に求められる機能について、どのように考えますか。

古屋:日本も含め多くの国の労働政策は、求職者と企業のマッチング強化などの失業対策が柱となっています。しかし日本は失業率が2%台と、ほぼ完全雇用が達成された状態であり、人手不足を前提とした労働政策へと転換すべきです。

松原:まず「近い将来、働く人は相当減少する」ということを、政策の真ん中に置くべきです。その上で、政策の軸足をより一層「働く人目線」に移す必要があります。働き方と労働市場は、別々のものとして議論されがちです。働く人が、望む働き方を選ぶことを可能にする、それができなければより働きやすい職場に移れることを、一体的に考えて政策を立案する。働きやすい職場を増やすため、待遇改善や賃上げの環境整備を進めることも重要です。

その意味でも、働き方改革関連法で残業規制が導入されたのは画期的でした。2024年には物流や建設など、長時間労働が特に懸念されていた職場にも規制が適用されます。そうなれば物流も、即日配送のようなサービスは提供しづらくなるかもしれないですが、消費者もそれを理解すべきでしょう。同時に導入された同一労働同一賃金も、日本の働き方に関する考え方に一石を投じたという意味において、価値が大きかったと思います。

松原哲也メッセージ:「働く人が望む働き方を実現できる」を起点とした労働政策を
古屋:日本では従来、社会の変化を追いかける形で法改正が行われてきました。しかし働き方改革関連法を含めた過去10年ほどの労働改革は、長時間労働など社会の課題を先取りする形で、判例の基準を超えた水準の規制が設けられ、その結果、経営戦略をも変える結果をもたらしました。

法律を増やすことは、規制強化につながるとの指摘もあるでしょうが、最賃のような最低限のルールだけで、労働者の健康や生活を守ることは難しい。かつてエコノミックアニマルと呼ばれた日本の労働時間は、OECDでも低い水準となり、結果として仕事をしやすくなった女性やシニアの就業率が上昇しました。労働政策を通じて社会を変えられることを証明したと思います。

古屋メッセージ:働き方改革は経営戦略をも変えた。労働政策を通じて社会が変わる
松原:労働政策の役割は、セーフティネットの土台の上ですべての働き手が望む働き方を実現できるよう、なるべく多くの選択肢を準備することです。働き方に対する考えが多様化すれば、政策としても当然、よりテーラーメイドな対応が求められます。例えば「来月はプライベートの予定があるので、今月長めに働いてこの仕事を終わらせたい」という声にどう対応するのか。やはり過労のリスクがあると考えるのか、希望する人に特別な対処を行って、許容してもよいと考えるのか。働き手それぞれの価値観を否定せず、希望に応えようとしたとき、どのような法制度が必要なのかという視点が大切です。

リアルと乖離する労働統計 省庁・企業双方のデータで実態を把握

――最後に、労働市場の実情と統計データが示す結果の乖離が生じている可能性について、議論したいと思います。政策のベースとなる統計は非常に重要ですが、専門家からは近年の労働統計が、実態から乖離しているのではないか、という問題提起もなされています。

古屋:松原さんと議論したかった点です。労働供給制約下において、労働市場の解釈が難しくなってきていると感じるのです。例えば、厚生労働省がハローワークの求人・求職者数を基に算出する有効求人倍率は、ここ1年ほど1.3倍程度で微減を続け低調に推移しています。他の各種官民調査が労働需要の顕在化を明らかにしているのと比べて、有効求人倍率の増減のトレンドは奇妙で、労働市場の実態と整合性が取れていないと感じます。これには2つ、原因があると考えています。一つは、ハローワークのメインユーザーである地方の中小企業に「求人疲れ」が広がっていること。実際に採用・育成の繰り返しに疲弊した経営者から「求人を出すのをやめた」という声も聞こえてきます。もう一つはより構造的で、ハローワークに求人を出しても、待っているだけではまったく採用ができないために、訴求力を上げる必要性に迫られ民間サービスでの求人に切り替えている可能性があることです。こう考えると、現在のハローワーク統計と、他の官民統計の動向すべてがきれいに解釈できます。結果、有効求人倍率と労働需要の乖離幅が大きくなっているのではないかと考えます。

松原:ハローワークの最重要機能はセーフティネットであり、有効求人倍率もハローワークに出された求人・求職者を集計するので、従来から全体像の把握には限界もありました。ただ民間のサービスも、求職者一人が複数のサービスに登録していることが多いなど、公的な統計を代替するだけの精度を持たせるのは難しいでしょう。

ただ労働市場の全体像を、公的データだけに依存せず民間の状況を踏まえて総合的に把握することは、今後ますます重要になると思います。過去にもコロナ禍において、公的な統計で捕捉しづらい飲食などのアルバイトの実態について、サービスを提供する民間事業者に情報提供してもらったことがあります。2022年に施行された改正職業安定法にも、行政が民間の事業者などと協力して、雇用対策に当たることが盛り込まれています。

古屋:労働市場が構造的に変わり、全体像は確実に見えづらくなっています。人手不足が経済活動においてボトルネックになりつつある中、地方財務局が定量・定性両面で収集している経済情勢に関する情報を労働政策に反映させるなど、民間企業だけでなく省庁間の連携も求められると思います。

議論のまとめ
より良い社会、より良い職業生活のために、労働政策をはじめとする社会政策ができることは何か。そもそもどんな目標に対して仕事のルールは作られるべきか。転換点を迎える日本社会において、意思決定のあり方から政策立案の基礎となる統計まで、異なる視点を持つ2人の対談から論点が見えてきます。(聞き手:大嶋寧子

執筆:有馬知子