マクロとミクロを往還しながら偶然と越境が導いた科学技術社会学の世界
東京大学名誉教授
福島真人氏
東京大学大学院社会科学系博士課程修了、博士(学術)。科学技術社会学(STS)や現代アートに関する研究に従事している。東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授等を経て現職。著書に『学習の生態学』『「実験」とは何か』などがある。
科学技術と社会の動的な関わりを研究する「科学技術社会学(STS)」。その第一人者である福島真人氏は、最初からこの道を目指したわけではなかった。科学少年としての原体験、芸術や心理学への傾倒、文化人類学のフィールドワーク、そして認知科学との出合い。これらの体験を経て、著書である『学習の生態学』(ちくま学芸文庫)で示された学習の実験的領域は、職場での学習を生み出す考え方として魅力的であり、同時に生態系として維持することの難しさも教えてくれる。未知の領域を恐れずに越境する福島氏の知的遍歴を聞いた。
偶然の出合いから人類学のフィールドへ
現在の私の専門は、「科学技術社会学(STS:Science and Technology Studies)」という分野です。自然科学のダイナミズムを社会科学の目を通して観察する学際融合的な分野で、1980年代から欧米を中心に発展してきました。私が本格的にSTSに足を踏み入れたのは2000年代ですが、そこに至る道筋は紆余曲折があります。
小学校時代はどちらかというと「科学少年」で、4年生のときの自由研究では、勝手に調べて壁に張っておくと、それを真似して自由研究をする同級生が現れたり、しまいには学外から見学者が来たりしました。親に買ってもらった顕微鏡で、微生物(特にゾウリムシ)を観察し、5年生のときには科学特待生として週末に特訓を受けたりもしました。成果を提出する週を間違えて都の発表会には出せませんでしたが、担当者が悔しがっていました。
進学した私立の中高一貫校は、生物系があまり強くなく、次第に芸術分野に関心が移り、クラシック音楽や文学、西洋絵画などに、6年間どっぷりと浸かりました。高校の後半になると外交や国際関係に関心を持ち、そちらの方向に進みたいと思うようになります。
大学時代は、国際関係と並行して、深層心理学的な関心が深まりました。当時は小此木啓吾さんはじめ精神医学を軸に国民性や組織の分析を行うアプローチが盛んで、「組織を研究しつつその病理も分析する」という点に惹かれました。このころから現在に至るまで「組織」あるいは「制度」の働きには強い関心を持っています。
当時、駒場では総合的な社会科学科が新設され、社会科学を広く学ぶ機会を得ました。その際、比較精神医学の専門家の講義があり、パプアニューギニアでの精神病の話や、精神病院での問診の場に立ち会うという経験から、個人病理と大きな地域文化の交錯という分野に進みたいと考えました。
そのときに出合ったのが、「心理人類学」という分野で、『サモアの思春期』のマーガレッド・ミードや『菊と刀』のルース・ベネディクト等が有名です。精神分析学的な観点が強いですが、近年人気のエマニュエル・トッドの理論的な前提もここにあります。

それまでこの領域の研究とは特に接触がなかったものの、当時私の周辺の社会科学系は、理論研究オンリー、あるいはせいぜい統計的アプローチ中心で、フィールド調査というタイプはいませんでした。
しかし、いくら精緻な方法論を構築しても、社会ははるかに複雑です。それへの経験を欠いたまま、大上段に社会や文化を語るのは変だと考えていたこともあり、フィールド調査は肌にあっていました。
最初の調査地はインドネシアのジャワ島ですが、
その選択は予算が確保できたという点も大きかったです。後でわかったのは、当時のジャワ研究は、米国人類学の大御所クリフォード・ギアツや、『想像の共同体』論で一世を風靡したベネディクト・アンダーソンら大物がひしめいていました。また国内でも団塊世代を中心に、社会科学一般に研究の層が厚く、やりにくい感じもありました。
現地に2年間滞在し、スハルト体制という国家権力が、地域の政治や宗教的活動と相互交渉するあり方を詳しく調べました。このアプローチは当時としては斬新だったと思います。サミン運動という奇妙な農民運動にも接し、「この世にあるのは、人とモノだけ。人は言葉によって世界を造る」みたいな話に驚嘆しました。今STSでやっていることの原形みたいな話です。その後、タイで新仏教と政治の関係を調査しましたが、日本の仏教とはまったく異なる上座仏教の世界にふれたのは大きな収穫でした。
イギリス留学で研究フェーズがシフト
1990年から2年間、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に滞在し、研究方針が大きく変わりました。社会人類学部は東南アジアに強くなく、内部では派閥対立があり雰囲気はあまりよくありませんでした。アルフレッド・ジェルという、最近アート理論で有名になった人が私の(形式上の)担当でしたが、正規の学生のような義務もなかったので勝手に動いていました。
その際、たまたま認知科学の勉強会があり、そこでブール代数やチョムスキーの生成言語学、あるいは心の哲学といった、まったくの未知の世界にふれる機会がありました。そこで2年かけて認知科学の基礎文献を徹底的に読み込んだことで、研究フェーズが「人間の思考一般に共通する普遍的なパターンを認知科学の視点から追究する」という方向に変わりました。語用論で有名な、ダン・スペルベル等も近隣の大学に来ており、たまに会って議論をしました。
そこでは「計算主義(コンピュテーショニズム)」、つまりコンピュータをモデルに人間の思考を解明しようとするというアプローチの骨格を学びましたが、日本に帰るとそこでの認知科学の動向は、「状況的認知(シチュエイテッド・ラーニング)」や「生態学的心理学(アフォーダンス)」研究といったものが台頭しはじめており、東京大学の佐伯胖(ゆたか)さんが旗を振って翻訳した、ジーン・レイブとエチエンヌ・ウェンガーの『状況に埋め込まれた学習』という本に長い解説を書かされました。
計算主義に比べると、何となく既視感がある話でしたが、その批判にはもっともな点も多いです。ただし、そこでいう「状況」が、教室の中の会話とか、限定的な範囲だけなので、むしろ組織の現場における認知と学習の研究をより長期的に行うことにしました。精神病院や救命救急センターなどで長期フィールドワークを行い、人々がどのように思考し、テクノロジーを使いこなしているのかを観察し、そこから現場レベルでの認識、問題解決、学習およびその失敗、ミクロのリスク管理といった側面を詳細に分析しました。
2000年代に入り、こうした研究関心が、当時欧米で勃興しつつあった「科学技術社会学)」と共振するということがわかってきて、特にフランスのイノベーション社会学研究センター(CSI)のミッシェル・カロンやブリュノ・ラトゥールといった人々とコンタクトをとりました。2003年にはそこに滞在し、その後は特に次の世代と国際的ネットワークを作り研究を進めます。舞台が医療施設から科学系ラボに移り、理化学研究所のバイオ系研究室で数年過ごし、日本でほとんどなかったラボラトリー研究や、科学政策の実際も調査しました。この時期から成果はすべて英文国際誌で発表しており、『真理の工場』から『「実験」とは何か』に至る近年の著作はその集成です。今はSTSから見る現代アート界についての『価値の実験室』を準備中です。
過去の蓄積を踏まえて新たな一石を投じる
様々な分野を通過してきたので、未知の領域に対してさほど拒絶反応がありません。「どの分野も真剣に取り組めば理解できる」という実践的な自信が身に付いたからでしょう。ここら辺の感覚は米国の徹底した専門主義よりも、むしろ欧州、特にフランス圏のそれに近い気もします。
科学を対象とする場合も、外国語の習得と似た面があります。最初ケミカル・バイオロジーの発表を聞いたときに、ペルシャ語の詩を聞くようでしたが、だんだん言っていることがわかってきて、最後には「今日の発表はいまひとつ」とか、隣の専門家に聞くと、渋い顔で頷いていたりします。もちろん完璧はあり得ませんが、目的は科学実践を取り巻く諸関係を理解することなので、現場の科学者の手助けを得つつ、そうした社会的領域を詳細に見ています。
ただし、学問一般の性質として、どれだけ現場を理解しても、それだけでは論文にはならない。進行中の様々な議論と関連づけ、どのように新しい視点を提示できるかがポイントです。実際は、どんなテーマも、すでに先行研究が存在することも少なくないため、過去の文献を読み込まずに、新しい貢献を示すことはできない。その保守性と厳しさこそが、学術の世界の特徴です。

本来、STSは従来の社会科学の常識を覆す野心的な主張を含んでおり、海外では現在も激しい論争が続いています。ヨーロッパのSTSでは、科学を「文化的・社会的実践」として捉える視点がある程度共有され、文化史や社会史、経済史と科学論が比較的自然に結びついています。近代科学を生み出したという自負も、そこにはあるのでしょう。一方、日本では、目先の調査で精一杯という感じです。その背景には、一つは日本人研究者によくある、重箱の隅をつつくような専門の壁があり、問題をより大きなスコープで論じることが少ないことがあります。
もう一つの問題は、英語というインフラヘのアクセスの差です。この20~30年で状況は決定的になり、人文学・社会科学の分野でも英語で論文を書くことが当たり前になりました。英語嫌いのフランス人も、近隣の東アジアの人々も英語で書く時代です。英語圏ジャーナルの国際化はすさまじく、高い熱量の議論が交わされています。対照的に、日本人は依然として英語に弱く、発信力も限られている。その結果、情報面で大きく立ち遅れているのが現状です。それはSTSのみならず、近傍の社会科学一般でも感じます。
大西洋を挟んだ欧米圏には強固なネットワークがあり、そこで議論が爆発的に展開されます。極東に位置する私たちがそこへ参入するには、常にそのネットワークと接触し続けなければなりません。理系の研究者は、その現実をよく理解していますが、人文社会系では国内だけでも何となく成立してしまう面があります。この「大西洋中心主義」をいかに乗り越えるかは、極めて大きな課題といえるでしょう。
TEXT=瀬戸友子 PHOTO=刑部友康
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