難しい本のわかり方 ―理解することは破壊であり、創造にもなり得る
「難しい本」とは何か
ビジネスパーソンとの読書会を続けていくと、「難しい本」が読めないので、読めるようになるにはどうすればよいですか、という質問を受けることがある。人文書、特に哲学・思想の読解に苦手意識を持っている人は多い。
数学などの自然科学においては、「わからない」と「わかる」の境界線が明確だ。例えば、京都大学数理解析研究所の望月新一教授は、数学史上の超難問である「ABC予想」を、自身で考案した「宇宙際タイヒミュラー理論(IUT)」を用いて証明した論文で有名だ。この論文は、数学者による査読(論文の内容チェック)に8年を要している。要するに、この論文を理解できている人は、この世界にほとんど存在しないのだ。このような研究について、「自分はわからない」という相談をする人はいない。
一方、同じ理系でも古代生物学の研究は、説明されればわからないということはない。米国イェール大学教授だったジョン・H・オストロムは、1970年代、「小型の肉食恐竜の一部は鳥として進化した(恐竜は完全には絶滅していない)」という革新的な論文を発表し、その後の研究史の方向を大きく変えている(※1)。ただし、細かい部分を除けば、素人にも論文の推論や主張をある程度理解できる。むろん、同じように発想はできないが、その画期的な発想や実証を聞いた後では、その推論の流れを追うことが比較的易しいのだ。
これは、数学の研究の方が難しく、古代生物学の方が簡単ということではない。学問にはそれぞれに求められる推論・発想力、論理的思考力が異なるということなのだろう。
そもそも、いわゆる理系の難しさについては、「それはそういうものだ」と納得しているので、「わからない」に悩まないのである。
「わからない」をわかる
人文系の研究の「難しい」にも2つの種類がある。はじめに挙げられるのが、使われている言葉を初めて知ったという「わからなさ」である。現存在(Dasein)という言葉は、マルティン・ハイデッガーの主著である『存在と時間』における主要な概念であるが、ほとんどの人は日常生活で聞いたことがない言葉であるし、仮にこのドイツ語を辞書で調べて見ても「いること」「生活」「存在」という訳があるだけで、ハイデッガーの使い方を知るには、ハイデッガー(の解説書)を読むしかないのだ。
このように、わからない言葉があって理解することが難しい場合は、基礎的な知識を積み上げるしか方法はない。なぜならば、哲学者は過去の哲学を再解釈したり、他の哲学者との違いを示したりしながら自説を主張するからだ。哲学の歴史を知らないと、言葉の使い方の違いが「わからない」のである。同様のわからない言葉は心理学、社会学、人類学などでも容易に見つかる。
ただ、この言葉の「わからなさ」は、ある意味では先ほどの数学の例と同じで、「納得できるわからなさ」だ。ハイデッガーの『存在と時間』なんて通読した人が少ないのだから、みんなわからないと思えて、難しい本を読めないという悩みにはならない。
その一方で、使われている言葉の意味はわかる(というか日常的に自分も使っている)のだが、本を読んでもその内容がつかめないという「わからなさ」がある。これは、一番モヤモヤとする難しさなのではないか。こういう難しさが人文書には多く存在する。先述した難しい本は、まず勉強して知識を増やすという方向性が明確であり、そもそもどこで理解を諦めるかも判断しやすい。しかし、言葉はわかるが、文章全体がわからないという状態(木を見ても森が見えない)は、まさに「読書の迷子」になった気分だろう。
「わかった!」体験の秘密
読書迷子から脱出する「糸口」を見つけるために、私の「わかった体験」を紹介しよう。心理学の本を読んだときの経験である。
心理学者ではない私から見ると、学習、記憶、思考、言語、パーソナリティという言葉が並ぶ心理学の本は、知的に新鮮だったが、同時に「わからないこと」に溢れていた。特に学習についての記述は驚きであった。
私は、熟練形成について心理学はどのように説明しているのかという関心を持って本を入手したのであるが、最初の説明は「条件付け行動」であった。ロシアの生理学者のパブロフ(1849〜1936年)が行った条件反射の実験が紹介されていたのだ。要するに、犬にベルを鳴らしてえさを与えると、ベルを鳴らしただけで、犬が唾液を分泌するようになるのだが、「これが学習なのか!」と驚いた。それと同時に私の中に学習の新しい概念が生まれた。例えば、アルコール依存症になることさえ一つの学習だったと言えるのだ。
私は、学習、学び、熟練形成という一般的に使われる言葉に無意識に何かポジティブなイメージを当てはめていたのだ。そのイメージをアンインストールして、新しいイメージや意味をインストールするということが「わかる!」ということだと理解したのである。
要するに、一般的に使われている言葉には、使われているからこそ、一面的なイメージや意味を与えられている。それが頭から離れないので、本に書いてあることが理解できないのである。だから、人文書を理解するには、まず、「言葉と意味の関係」を不安定にさせることが必要だ。この不安定な曖昧さに耐えられない人は、絶対に書かれてあることが理解できない。言い換えると、人文書を読む価値とは、この不安定な曖昧さに耐える能力を身に付けるということになるのかもしれない。
自然科学は読めるし、好きだが、人文科学は苦手だということは、自分の基礎的な認識の破壊(それは、つまり再構築への向かう第一歩なのだが……)が苦手なのかもしれない。
イコール(=)のチカラ
さらに付け加えると、私はこの不安定な曖昧さという「ネガティブなもの」に思わずワクワクしてしまうことに、創造性の秘密が隠されていると思う。
このワクワクを感じられる本として、異色の京都紹介本、岸本千佳著『もし京都が東京だったらマップ』(イースト・プレス,2016)を紹介しよう。この本は、京都で不動産業を営む著者が、京都の各街を東京の街に喩えて説明した地図にはじまる(※2)。例えば、この本では、以下のようなイコールの関係が示される。
このイコールに皆さんは納得できるだろうか。
出典:『もし京都が東京だったらマップ』岸本千佳/イースト・プレス
四条大宮=赤羽
烏丸=丸の内
叡山電鉄沿線=JR中央線沿線
御所南=目白
岡崎=上野
北山=代官山・青山
京都駅=品川駅
御所東=代々木
壬生=清澄白河
河原町四条~五条=蔵前
北野=松陰神社前
北大路=二子玉川
西陣=谷中、紫野=根津
新京極=竹下通り、河原町~烏丸=渋谷~裏渋谷
正解か不正解にかかわらず、このイコールは創造的な行為だ。われわれは、普通、意味や本質が同じだからイコールになると考えている。同じ重さ、同じ長さという数字で測れるものが代表であろう。しかし、あえて無理にでもイコールとしてみることによって、「四条大宮=赤羽」ならば、「四条大宮・赤羽的なるもの」という意味が創造されたともいえる。
素朴な自然科学観(現在は他の自然科学観もあるが)において意味・本質は人間以前に存在し、後から人間が名付けたと考えるだろう。しかし、はじめに<意味>があって言葉で名付けたのではなく、名付けたから<意味>が誕生したと考えることもできる。このように言葉で<意味>を生むことがクリエイティブなのだ。
「本質」の創造主になる
言葉と意味の「不安定な曖昧さ」に遊びながらそれらを創造する。これは、われわれも子ども時代にはできていたことではないか。
例えば、男子が大好きな三国志の登場人物と日本の戦国時代を比較して、武将や指揮官、策士をイコールでつないでみる。そこに人間の共通本質が浮かび上がる。
歴史の勉強と考えなくてもよい。『テンゲン英雄大戦』(漫画 坂ノ市クバル,原作 裕本恭,コアミックス)を読めばよいし、人に加えて神も加えた『終末のワルキューレ』(作画 アジチカ,原作 梅村真也,構成 フクイタクミ,コアミックス)を読んでもよい。男子たちは、イコールを引いて「本質」が生まれるかどうかを実験していたのだ。もちろん、違いが際立ってしまい、本質を創造できないこともある。

何ごとも練習だ。観察を繰り返し、思い切ってイコールを引き続ける。徐々に難度をあげていくこともおすすめだ。
アントニオ猪木に始まる新日本プロレスと、つんく♂が立ち上げたハロプロの歴史を学び、思い切ってイコールでつないでみるとよい(前田日明=後藤真希とか)。しっくり来なければ(本質が生まれなければ)、だったら前田は鞘師里保だとか、本質が生まれるまで何度も引き直してみればよいのだ。
さて、この難度の高い、創造の試行錯誤について、私自身は何時間でも具体的に語れる自信はあるのだが……残念ながらこのスペースにも制限がある。さらに、その語りについてきてくれる人がどれだけいるのか……自信がない。
(※1)「『何も教えてくれない』と『何でも教えてくれる』の間で得たもの:国立科学博物館副館長 古生物学者 真鍋真氏」
(https://www.works-i.com/column/knowledge-my/detail001.html)
(※2)現在、以下のURLでこの地図を見ることができる。
(https://stroly.com/maps/1586094873)
梅崎 修氏
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
Umezaki Osamu 1970 年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程修了( 経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
◆人事にすすめたい1 冊 『労働・職場調査ガイドブック』(梅崎修・池田心豪・藤本真編著/中央経済社)。労働・職場調査に用いる質的・量的調査の手法を網羅。各分野の専門家が、経験談を交えてコンパクトにわかりやすく解説している。
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