「働く」の論点働き方に不満。転職と残留、どちらを選ぶ? ―“Exit Voice”理論の実際― 中村天江

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友人が会社や仕事の愚痴をこぼしていたら、皆さんはどのようにアドバイスするだろうか。

筆者は労働市場の高度化を研究テーマにしているため、転職は良いか悪いかの二分法で語ることができるほど単純ではないことを知っている。タイミングや状況によって、転職が最善のことも、今の企業にとどまることがベストのこともある。そのため、話を聞くまでは、意見を言わないようにしている。
ところが、筆者のような留保付きの態度とは対照的に、「不満があったらさっさと転職するべき」という歯切れの良い意見を聞くことが最近、増えているように思う。人材不足が深刻になり、企業の求人意欲は旺盛なため、好条件で転職しやすくなっていることも、転職を積極的に勧める背景にはあるだろう。これらの点は筆者も同意するところだが、それをさしひいても、転職をキャリア形成の有効な切り札だと考えている人が増えているように感じるのだ。
いまや、「転職判断は慎重にすべき」という考えが、時代遅れになっているのかもしれない。
そこで今回は、働き方に不満があったときに、会社に残るのと転職するのとどちらが良いのかについて考察する。考察には、同一人物の複数年にわたる状況を分析できるリクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」の2017、2018、2019年調査のデータを用いる。分析の対象は、2017年調査時点で25~49歳だった正社員である(※1)。

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2-1 正社員の約3割が仕事に不満

そもそも仕事に不満のある人はどれ位いるのだろうか。最初に、正社員の仕事満足度を確認しておこう(図1)。
仕事に「満足」「どちらかというと満足」を合わせると33%、「どちらともいえない」が38%、「不満」「どちらかというと不満」を合わせると29%となっている。「どちらともいえない」を含めると仕事に満足している人と不満な人は、おおむね7:3である。

図1 仕事満足度図1.jpg出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査2017
25~49歳の正社員、N=12864

2-2 仕事満足度と転職の関係

次に、仕事満足度と転職の関係を確認してみよう。2017年調査時点で仕事に満足していた人は、2年後も同一企業で継続して働いている割合が85%、転職する割合が15%である。仕事に不満があった人が、2年後も同一企業で継続して働いている割合は77%、転職する割合が23%である(図2)。
やはり、仕事に不満がある人は不満のない人に比べ、転職する割合が高い。なお、仕事に不満がなくても転職する人が存在するのは、自ら希望しなくても突然、転職先から誘われることや、家庭や会社の事情によって転職することもあるからである。

図2 仕事満足度と転職図2.jpg出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査2017,2019
2017年調査時点に2549歳の正社員で、2019年調査で転職について回答、N=4812

2-3 転職によって仕事満足度は上昇する

では、転職によって、仕事満足度は上昇しているのだろうか。転職の有無によって、2年後の仕事満足度に違いがあるかをまとめたのが、図3である。
2017年時点で仕事に満足していて、同一企業で継続して働いている場合は、2年たっても仕事に満足している割合が83%と高い。転職したとしても、満足度は77%である。
一方、2017年時点で仕事に不満があり、その後も同一企業で継続して働いている場合は、2年後に仕事に満足している割合は39%しかない。つまり、不満の割合が61%に達するのである。他方、仕事に不満があって転職した場合は、仕事に満足している割合が58%と、半数を超えている。転職したかどうかによって、仕事の満足度に、実に20%ポイント近い差が生まれている。
この結果は、仕事に不満があった場合は同一企業で働き続けるよりも、転職した方が状況を改善できることを意味する。つまり、「不満があるならさっさと転職した方がよい」というアドバイスは、一面の真理なのである。
一方、仕事に満足している場合は、同じ会社で働き続けた方が満足度を維持できるという結果でもある。仕事内容について、現状を見極めることが大切といえるだろう。

図3 仕事満足度の変化図3.jpg出所:リクルートワークス研究所「就業実態パネル調査2017,2019
2017年調査時点に2549歳の正社員で、2019年調査で転職について回答、N=4812

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3-1 “Exit Voice”理論

図3の結果から、仕事に満足している場合は同じ企業で働き続ける方が、仕事に不満がある場合は転職した方が、満足度が上昇することがわかった。ところで、不満を感じたときに個人がとりうる行動は、転職だけなのだろうか。
ここで、ある研究理論を紹介したい。政治経済学者のHirschmanは、不満を解消する手段には離脱(Exit)と発言(Voice)があり、離脱によって不満のある状況から脱出する方法と、発言によって事態の改善を促す方法は、忠誠(Loyalty)によってさまざまな形態をとりうると主張した。国家間の交渉から、商品製造者と顧客の関係、血縁関係と、社会行動全般に適用できる概念として提唱された“Exit Voice”理論を、その後、Freeman and Medoff(1984)らが労働条件の分析に用い、今日では、離脱と発言は労働分野でも一般的な概念となっている。
この理論にもとづくと、仕事における不満の解消には転職のほかにもう1つ、発言という手段があることになる。

3-2 個人が“Voice”をあげる難しさ

近年、「#Me Too運動」やインターネット上での告発により、セクシュアルハラスメントやパワーハラスメント、人権侵害、企業の人材マネジメントの不備が表面化するようになっている。個人の声がきっかけとなり問題が公になると、加害者は猛烈な批判にさらされる。いまや企業は、インターネット上の炎上を警戒するようになりつつある。
「働く」においても、労働市場の流動化にともない、「低賃金に寛容な日本社会 ―雇用と賃金を約束した日本的雇用の副作用―」 で述べたように、労働条件の交渉単位が集団から個人に移りつつある。
しかし一般に、労働者は使用者に比べ情報量が少なく、交渉力も弱いため、人事権を有している使用者と対等に交渉することは難しい。形式的には正しい手順をふんだ、しかし実体は理不尽な報復人事が行われる懸念もついてまわる。日本は諸転職環境も外国のようには整っていない。職場で忍耐力を求められ(「忍耐力」という会社員のスキルの是非)、泣き寝入りを余儀なくされることも珍しくない。
「交渉が決裂したら辞めてもいい」という離脱オプションをもたない労働者が声をあげることは、容易ではない。

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4-1 賃金に対する満足度

働き方に不満があるときに、「会社に残って事態の改善を目指すのと、転職によってやり直すのと、どちらが得策か」というのが本稿の問題意識である。そこで、ここからは、発言による不満の解消について確認していこう。
ただし、仕事内容に関する発言の調査データがないため、仕事内容と並ぶ労働条件の根幹である賃金について分析していく。
まず、賃金が仕事内容に対して高い、あるいは、低いと感じているかをまとめたのが図4である。仕事内容に比べ賃金が「極めて高い」1%、「高い」4%、「合っている」44%、「低い」41%、「非常に低い」11%である。「極めて高い」「高い」「合っている」で49%、「低い」「非常に低い」で51%と、高いと低いが半々となっている。

図4 仕事内容に比べた賃金図4.jpg出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査2018
2017年調査時点に2549歳の正社員で、2018年調査で賃金について回答、N=9093

4-2 賃上げの要望

次に、賃金を上げてほしいと何らかの形で要望したことがある割合をまとめたのが図5である。「公式要望あり」とは、「賃金を上げるために、職位や仕事内容を変えてほしいといった」「賃金を上げるために、査定評価を見直してほしいといった」「会社の賃金制度や人事制度を変えてほしいといった」のいずれかをしたことがある場合であり、「非公式要望あり」とは「雑談のなかで、賃金を上げてほしいといった」割合である。
仕事内容に比べて賃金が高い者は、「公式要望あり」11%、「非公式要望あり」9%で、全体の20%が賃金を上げてほしいと声をあげている。仕事内容に比べて賃金が低い者では、「公式要望あり」21%、「非公式要望あり」15%と、36%が何らかの要望を伝えている。
賃金に不満があると、やはり、発言によって事態の改善を図ろうとすることがわかる。

図5 賃金の高低と賃上げ要望図5.jpg出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査2018
2017年調査時点に2549歳の正社員で、2018年調査で賃金について回答、N=9093

4-3 要望によって賃金は増えているか

賃上げを求めたことにより、実際に賃金が増えたかどうかをまとめたのが図6である。図6の左側は同一企業で働き続けた者の年収増加の比率であり、図6の右側は転職した者の年収増加の比率である。

図6 年収が増加した割合図6.jpg出所:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査201720182019
2017年調査時点に2549歳の正社員で、2018年調査で賃金、2019年調査で転職について回答、N=4168
2019年調査と2018年調査の年収の差分から「年収が増加した割合」を算出

まず、同一企業で働き続けた場合をみてみよう(図6左側)。もともと仕事内容に比べて賃金が高い場合、賃金を上げてほしいと「公式要望あり」だと年収増加率は51%だが、「公式要望なし」だと年収増加率は47%にとどまる。一方、もともと賃金が仕事内容に比べて低い場合は、「公式要望あり」だと年収増加率は43%、「公式要望なし」だと年収増加率は46%である。
つまり、もともと賃金が高い場合は、声をあげることによって賃金が増えるが、もともと賃金が低い場合は、声をあげても賃金は増えていない。むしろ減る可能性もある。
この傾向は、転職した場合は、一層顕著に表れる(図6右側)。もともと賃金が仕事内容に比べて高い場合は、「公式要望なし」だと年収増加率は36%にとどまるのに対し、「公式要望あり」だと年収増加率は56%まで上昇する。転職では、賃上げを求めるかどうかで、転職後の年収結果に差がつくといえよう。
ところが、もともとの賃金が仕事内容に比べて低い場合は、「公式要望あり」の転職だと年収増加率は32%なのに対し、「公式要望なし」では年収増加率が36%となっている。もともとの賃金が低い場合は、賃上げの要望は効果をもたない。
以上をまとめると、もともと仕事内容に比べて高い賃金をもらっている場合は、同一企業にとどまるにせよ、転職するにせよ、積極的に高報酬を求めることにより、より高い賃金を得ることができる。とくに転職するときは、賃金について明示的に要望することが効果的である。
一方、もともと賃金が低い場合は、要望しても、その要望が十分にかなうとは限らない(※2)。賃金については、好条件の者はより好条件に、悪条件の者はより悪条件になっていく、二極化が起きている可能性がある。

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働き方に不満を持ったとき、転職するのが得策かどうか、というのが本稿の出発点だった。“Exit Voice”理論にもとづいて分析したところ、主に3つのことが明らかになった。
まず、仕事に不満がある場合は、同じ会社にとどまるよりも転職した方が、仕事満足度が高くなる可能性が高い。仕事不満の解決策としての転職は、大いにありえる。
一方、賃金に不満がある場合は、転職するよりも同じ会社にとどまるほうが、賃金が上昇する可能性が高い。賃金に不満がある場合は、賃上げを要望しても賃金が上がるとはいえない。“Voice”や“Exit”だけで賃金を増やすことは難しいため、市場価値の高いスキルを身につけたり、経験をつんだりするなど、他の努力がいる。
ただし、もともと賃金が仕事内容に比べて高い場合は、賃上げを求めることで同一企業内でも賃金が増えるし、転職するとさらに増える可能性がある。賃金に満足している場合は、仕事内容や将来の展望、働き方など、他の条件で、その会社で働き続けるのか、転職するのかを判断してもよいといえるだろう。
分析を通じて、転職によって仕事満足度を高められることが確認できた。また、もともと好条件で働いている者は、企業に要望をうまく伝えることで、より望ましい働き方を手に入れることができる。
何を重視してキャリアをつくりたいかは、人それぞれである。納得のいくキャリアをつくっていくには、状況やタイミングに応じて“Exit”と“Voice”を使いこなすことが重要だ。

中村天江

※本稿は筆者の個人的な見解であり、所属する組織・研究会の見解を示すものではありません。

(※1)「全国就業実態パネル調査」は毎年1月に調査を行い、「昨年1年」について尋ねている。2017年調査では2016年の実態を、2019年調査では2018年の実態を尋ねているが、本稿では調査年を表記している。
(※2)中村天江(2019)「個人の“Voice”と“Exit”と、賃上げ ―賃金に対する制度・風土・感度が乏しい中で―」『季刊個人金融』2019年秋号では、各種属性をコントロールした分析を行っている。