スポーツとビジネスを語ろう4年間かけて基盤を整備。普及と強化を加速するため、今後は組織改革を目指す

日本サッカー協会専務理事 須原清貴氏

ビジネス界からスポーツ界に転身し、活躍している人々を取り上げる本連載。今回は、フェデックス キンコーズ・ジャパン(当時)やドミノ・ピザ ジャパンの経営者として知られ、2018年に日本サッカー協会の専務理事に就任した須原清貴氏にインタビューした。就任から4年が経ち、サッカー界や協会に対する理解をしっかりと深めた今、須原氏は日本サッカー界における「普及」と「強化」を次の段階に進めるべく動き始めている。
聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)


―多くの企業を経営してきた須原さんが、なぜ国内サッカー界を統括する競技団体の日本サッカー協会(以下JFA)に入ったのでしょう。

きっかけは、息子が参加していたサッカークラブでコーチ役を務め、審判の資格を取ったことです。それで東京都サッカー協会と関わりができ、続いてJFA審判委員会の仕事を手伝うようになりました。その後、審判委員会の小川佳実委員長(当時)からJFAの田嶋幸三会長を紹介され、2016年、会長からJFAに加わらないかと声をかけられました。
サッカーに関わったことで、私の人生は以前より豊かになりました。サッカー界に恩返ししたいという気持ちが強かったため、田嶋会長から依頼されたときは気持ちが揺らいだものです。ただ、JFAの実務を常勤で取り仕切る役割を果たすのは無理だと、そのときはお断りしました。

―なぜ断ったのですか。

理由は2つありました。1つは、経営の仕事に未練があったこと。そして2つ目は、サッカー界の知識があまりに不足していたからでした。
私はサッカーのプレー経験がありませんし、当時は審判に関わること以外はほとんど知りませんでした。また、数字を上げれば評価される世界で生きてきた私にとって、勝利や感動など「数値以外の目標」も求められる世界は未知の領域。どうしても自信が持てなかったのです。

―それで、最初の2年間は非常勤の理事として活動されたのですね。ところが2018年には、常勤の専務理事に就任されました。

非常勤の理事として働くうち、サッカー界の状況がわかってきたのです。そんなとき田嶋会長から「JFAの経営刷新に力を貸してほしい」と再び請われ、就任を決意しました。

―専務理事の役割は、非常勤の理事とどのように違うのでしょうか。

JFAの業務執行機関である理事会は現在、田嶋会長と4人の副会長、専務理事の私、3人の常務理事、21人の理事、3人の監事によって構成されています。私が以前務めていた非常勤の理事は月1回の理事会に出席するのに対し、専務理事は常勤という立場です。常勤の専務理事が担うべき業務執行に関する責任は、言うまでもなく重いですし、周囲からかけられる期待も非常に大きいです。

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普及と強化を進めるためマーケティングに注力

―JFAの現在のミッションはなんでしょうか。

我々は「JFAの約束2050」で、2050年までに達成すべき2つの目標を掲げています。1つ目は、選手やサポーターなどサッカーに関わるすべての人=サッカーファミリーを1000万人以上に増やすこと。2つ目は、FI FAワールドカップ(以下W杯)を日本で再び開催し、そこで日本代表が優勝することです。

―どちらも難しい目標ですね。

簡単ではありませんが、実現可能です。私がJFAに入った頃は、全人口の10分の1をサッカーファミリーにするのは難しいと感じたこともありましたが、途中からは達成できると考え始めました。イングランドやドイツ、ブラジルやアルゼンチンといったW杯優勝経験国は、人口比でほぼそれくらいのサッカーファミリーを抱えています。日本もW杯優勝を目指すなら、強豪国と同じくらいまでサッカーファミリーの裾野を広げる必要があります。

―普及と強化は、車の両輪のような関係なのでしょうか。

その通りです。たとえば、代表チーム強化を目的としたエリート選手の育成のみに莫大な予算を費やすアプローチは、サッカー界では成功しません。サッカーファミリーの厚みが不十分ななかでエリート層を強化しても、国際大会で思うような結果を出せていない国が多いのです。結局、サッカー文化を国内に根付かせることが、遠回りに見えて、代表強化にとってとても重要なことなのです。

―JFAで、須原さんはどんな役割を果たしているのでしょう。

多岐にわたりますが、大きな期待をかけられているのは、マーケティングとガバナンスの牽引役です。

―では、まずはマーケティング面に関するお話を聞かせてください。

選手や指導者の強化・育成に関する仕事は、森保一監督をはじめとするプロフェッショナルの領分です。私の役割は、彼らが存分に力を発揮できるよう、資金面を含めて活動しやすい環境を整えること。たとえば、スポンサー企業や放送局などと折衝し、外部パートナーとJFAのメリットを同時に最大化するなどです。

―その際、過去のビジネス経験はどのように役立っていますか。

BtoBビジネスを手がけていた頃の私は、「自社と顧客と『自社の競合』」ではなく、「自社と顧客と『顧客の競合』」の三角形を常に意識していました。今でもスポンサー企業と向き合うときは、その考え方が役立っています。たとえば、サッカーはほかの競技に比べて投資効果が高いと主張してもダメ。企業が抱える経営課題を見極め、それに対してサッカーがどう役立てるかを提案することで、はじめて相手の心を動かせるのです。ですから私は、スポンサー企業の四半期決算が出るとその日のうちに事細かに読み込み、どうすればその企業の課題が解決できるか徹底的に考えるようにしています。

長年のしがらみを超えガバナンス強化を目指す

―ガバナンスについてですが、サッカー界はほかの競技に比べ、かなり先を行っている印象があります。

スポーツ界のなかではそうかもしれません。スポーツ庁は2019年、スポーツ団体が適切な組織運営を行うための原則・規範を定めた「スポーツ団体ガバナンスコード」を公表しましたが、このときにモデルケースの1つとなったのがサッカー界でした。ただスポーツ界では「ガバナンスの優等生」であっても、一般企業に比べると優れているとはいえません。たとえば、理事会を最高意思決定機関としてよりよく機能させたり、もっとスピーディな意思決定ができるようにしたりするために、改善の余地は多くあります。

―理事会の参加メンバーが多い背景には、歴史的な経緯などがあったのではないかと想像します。そうした現状を改革するのは、骨の折れる作業ではないかと思いますが。

そうですね。新参者の私がいきなり組織を大きく変えようとすれば、皆からのサポートを得られないのは必然です。そこで専務理事就任からの4年間は、組織への理解を深めることに努め、改革に向け入念に準備を進めました。
事業会社の場合は、仕事を12カ月経験すると1周分のサイクルが終わります。ところがサッカー界のカレンダーは、オリンピックを頂点に据える他のスポーツと同様に、W杯を区切りとする4年周期で回っているのです。ビジネスとサッカーでは時間軸が異なるため、それに合わせて準備にじっくりと時間をかけました。私が次の任期に入る2022年以降は次の段階に進み、組織改革を本格的に始めたいと考えています。

w171_sports_02.jpgPhoto=日本サッカー協会提供

ビジネス界では味わえないスポーツの「感動の瞬間」

―スポーツ界で働く人のなかには、プレー経験があったりその世界に知り合いが多かったりするため、そのスポーツに強い思い入れを持つ人がたくさんいます。ところが、須原さんはそうではありませんね。

私は今でこそ、サッカーに対する思い入れはとても強いですが、選手経験はありませんし、審判をやる前はサッカーと距離があったのも事実です。ただ、サッカーをフラットに見られる人のほうが、ビジネスとして成功させやすいのかもしれません。私の過去を振り返ってみても、昔から格別の思いがあった教育業界で経営に携わったときは失敗したのに対し、着任時は取り扱う商材に過度な思い入れがなかったコピーサービスやピザの世界では成功できました。

―過度の思い入れがないからこそ、専門家に権限委譲したり、公平な判断を下しやすくなったりして、よい結果が出るのかもしれません。
では、最後に伺います。現在の須原さんにとって、何がモチベーションになっているのでしょうか。

経営者時代は数値目標を達成することがモチベーションでしたが、この4年間でかなり変わりました。おそらく「感動の瞬間」を生み出すことが、私にとって最大の喜びです。
たとえば2021年末に行われた天皇杯決勝戦では、アディショナルタイムに浦和レッズの槙野智章選手(現在はヴィッセル神戸に在籍)が劇的な決勝ゴールを決めました。その前の準決勝で観客に新型コロナウイルス感染者が確認され、試合は厳戒態勢のなかで開催。主催側の最高責任者だった私は各方面から猛烈なプレッシャーをかけられ、精神的に厳しい状態でした。それでもなんとか試合を開催して、5万7000人を超えるお客さまが熱狂したあの瞬間、スタジアムで喜びと充実感をいちばん味わえたのは私かもしれません。スポーツで味わう感動は、ビジネス界では得られない種類のものでした。
現在の私は、誰かから明確な数値目標を与えられてはいません。そうしたなかで前に進むためには、自分で目標を立て、その達成に向けて行動し続ける力が必要になるのではないかと感じています。

Text=白谷輝英 Photo=松谷靖之

After Interview

経営トップとして数々の実績を残してきた須原氏の転身には、とても興味があった。ビジネスの世界では、売上利益や株価といった数値目標の達成が求められる。その実績を買われての招聘であれば、スポーツの世界でも高い数値目標を掲げて変革を進めているだろうと想像していた。しかし、取材で見えてきた須原氏のスタイルはサッカー界を時間をかけて考察したうえでの適応だった。W杯を軸にすべての準備が進められるサッカー界に、ビジネスのスピード感を無理やり持ち込むのではなく、4年で1サイクルという時間軸を踏まえこの4年はじっくり準備を進めてきたというのだ。厳しい数値目標で組織を牽引しているかと思いきや、その様子は異なる。須原氏が我々に話してくれた実現したい世界は、勝利という結果を求めるだけではなく、多くの子どもたちがサッカーを楽しんでいるという明るい未来の姿だった。その目標は、プロ経営者として達成してきたどの数値目標よりもハードルが高いのかもしれない。

須原清貴氏
日本サッカー協会専務理事

Suhara Kiyotaka 慶應義塾大学法学部卒業後、住友商事に入社し、ハーバード・ビジネススクールに留学してMBAを取得。その後はボストン コンサルティング グループを経て、GABA、フェデックスキンコーズ・ジャパン(現キンコーズ・ジャパン)、ベルリッツ・ジャパン、ドミノ・ピザ ジャパンなどで経営に携わった。一方、子どもが通っていたサッカークラブでコーチ役を務めたのがきっかけでサッカー審判員資格を取得し、そこから東京都サッカー協会や日本サッカー協会とのつながりができる。2016 年、日本サッカー協会の非常勤理事に就任。2018 年には、常勤の専務理事に就任した。