頂点からの視座益田由美氏(フリーアナウンサー)

生涯、いちリポーターとして。

1981年から15年も続いた国民的人気番組「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターとして世界を飛び回り、その体を張ったリポートで人気を博した益田由美氏。民放の女性アナウンサーとして定年まで勤め上げるのは非常に珍しく、フジテレビでは初となった。約40年にわたって現場にこだわり続けた益田氏に、仕事を通じて紡いできたものは何であったかを語っていただいた。

1955年生まれ。フジテレビのアナウンサーとして活躍。現地からのリポートを得意とし、数々の企画に参加。2015年2月、定年を迎えた。

― 30歳を過ぎるとフリー転向や、管理部門への異動が多い民放の「女子アナ」ですが、益田さんは定年まで勤め上げられました。フジテレビでは初と伺っています。

ありがとうございます。自分でもまさか定年まで勤めるとは思っていませんでした。でもね、私は、一般的なアナウンサーのように理路整然とニュースを報じたり、番組の司会を務めることができませんでした。だから私がやってきたことは「女子アナ」ではなく、現場を取材してその情報を届ける「リポーター」だと思っています。

― 世界各国の異なる文化や習慣を現地取材による報告とクイズ形式で紹介する「なるほど!ザ・ワールド」では、益田さんのリポートが、鮮やかな記憶として残っています。

今も当時の「ひょうきん由美」のイメージをお持ちの方が多いのですが、実はあの番組に出ていたのは6年半だけなんですよ。過酷なロケが続くうちに腰や首を痛めてしまって、やむなく降板しました。あの番組では「反射神経」を徹底的に鍛えられました。私には台本が渡されないまま、収録するのです。何が起こるのかまったく知らない状態で、常にぶっつけ本番。「怖くてできないならできなくていい、そのまま怖がっている姿を撮る」という方針でした。カメラに向かって話していると、カメラの後ろに立つディレクターが、目で何かを知らせようとしている。その意味を瞬間的に判断して周囲を見回してみる。そうして見つけたものに、私自身が驚いたり、思わず声をあげたりする「即興」が、そのまま視聴者の方々の驚きや発見とシンクロするのが、リポーターとしての醍醐味でした。収録中は、見慣れないものがあれば必ず触ってみる、食べられそうなものは必ず口にする、ということを貫いていました。視聴者の方が画面を見て感じる、「あそこにあるものは何だろう」「あれはどんな味がするんだろう」という疑問にすべて答えたいと思っていましたね。

― 世界中の現場では何を大切にされていましたか。

そこに暮らす方々に対して、失礼にならないということですね。何かに触れるときも、たとえ言葉が通じなくても、目としぐさで、「これに触ってもよいですか?」と訊ねて了承を得るようにしていました。リポーターの仕事は、出会った方々の人間性を引き出すことです。その方々が「嫌だな」と思うことをしては心を開いてもらえず、人間性に到達できないですから。

日本の自然の美しさをどうしても伝えたい

― 「なるほど!ザ・ワールド」降板後は、日本の自然を紹介する番組を作ってこられましたね。

「なるほど!ザ・ワールド」は、ゴールのないマラソンを脇目も振らず走っている感じでした。でも、番組降板後、走るのをやめてゆっくり歩くようになると、日本の自然が見えてきたんです。四方を海に囲まれ、国土の約7割が森林、河川は一説によれば2万本もある。何よりも四季がある。そんな日本の自然を紹介する番組を作りたいと、編成に企画書を出していました。なかなか通らなかったのですが、新番組「ニュースJAPAN」が始まるタイミングで、「リバーウォッチング」という企画を立ち上げることができました。この企画の初期の頃、岩手県の和賀川へ行ったときに、心の師匠に出会いました。案内をしてくれたその方に「蜘蛛の巣を見て」と言われて目をやると、前日の雨露がびっしりついた蜘蛛の巣。逆光だとクリスタルのように輝くんですね。滝のそばでは「足元を見て」と。しぶきと陽の光で私の足元に小さな丸い虹ができていて、歩くとその虹が一緒に付いてくるのです。なんとも言葉にできないくらい素晴らしかった。そのとき、はっと気づきました。その方が見せてくださったのは、見ようと思えばいつでも見られる美しさ。自分が気づきさえすれば、あちらから飛び込んできてくれるんです。そんな日本の自然の美しさをもっとたくさんの方に伝えていきたいと、自分がこの先やるべきことを、そのときに見定めたように思います。

― アウトドア番組「晴れたらイイねッ!」も企画されました。どちらも長寿企画になりましたが、その秘訣は何でしょうか。

30代のうちに、信頼できるスタッフを自分の財産として抱えることができたからだと思います。その1人はあるカメラマンで、私の企画にはどうしても彼の力が必要でした。そこで、カリブ出張中だった彼に必死にコンタクトをとろうとしたんです。当時は、携帯電話もメールも普及していなかったので、彼が泊まりそうなホテルに目星をつけて、企画とともに「益田をオトコにしてください!」とファクスを送ったところ、奇跡的に彼の手元に届いたんですよ。とても忙しい人なのに、意気に感じてやってくれました。

― 人に恵まれることは、仕事を続けるという点においても大切ですね。

私は本来人前に出て話すことが苦手で、入社当初は周りにも「どうせ益田は1年でやめるだろう」と思われていました。でも、リポーターとして活動するようになって、人に伝えることの素晴らしさを知ってしまった。それも自分だけではできないから、皆さんの力を借りるしかありません。だから、私は身近なスタッフを大事にしたいと思っていて、「カメラマンさん」「音声さん」ではなく、お名前をお呼びすることを心がけていました。たまたま私は画面に出る役目でしたが、人に伝えるためにはいろいろな立場の人が対等に力を出し合うことが大事だと痛感しています。これからも、多くの人の力を借りて、世界中の人に日本の自然の素晴らしさをリポートしていきたいですね。

Text=千葉望Photo=橋本裕貴

After Interview

「なるほど!ザ・ワールド」は、我が家で唯一、夜9時台でも「見ていい」番組だった。益田氏がリポートする回は、体を張った突撃リポートがひときわ輝いて、胸を躍らせた。日本のテレビで初、日本の女性で初、というような場所を訪れ、すべてを「実際に体験」しながら伝えてくれたのが益田氏だった。
この「現場取材で情報を伝える」ことこそが、益田氏の真骨頂である。外の世界のできごと、わけても世界の美しさを人々に伝えたいという想いは、活躍の舞台を国内に移してからますます強くなった。アナウンサーでありながら、スタジオで原稿を読んだことはほぼ皆無なのだという。その意味で、リポーターは益田氏の天職だったのだ、と思う。実際には、週に2つのリポート番組を続けるのは、たいへんな体力仕事だ。週5日は出張という過酷なスケジュールが続いた。それでも「伝えたい。現場に行きたい」のだという。1つの仕事を勤め上げた秘訣は?と問うと、「ガチガチにならず、ふにゃふにゃとしていること、でしょうか」と笑顔で答えてくれた。その柔らかさは、自分の信じるものに向かって歩み続けるタフネスに支えられている。

聞き手=石原直子(本誌編集長)