頂点からの視座服部幸應氏(料理研究家)

食を通じて日本と外国を結ぶことは、
僕の1つの役割だと思う

料理研究家、医学博士、教育者など、食の専門家として多彩な顔を持つ服部幸應氏。長きにわたる活動に対して国内外から授与された賞は50を超え、食の世界に多くの事績を残している。活動の根幹を成すのは、自らが提唱し、牽引し続けてきた「食育」だ。30年以上前から人の心身を健全に育む食育の必要性を訴え、「食育基本法」(*)の成立を導いた。食育をライフワークとする服部氏の活動は、今や縦横無尽に広がつている。

)食育に関する基本理念、施策の基本事項について定めた法律。2005年に施行され、その後、小・中・高の学習指導要領にも「食育の時間」が組み込まれた。

Hattori Yukio_1945年生まれ。1977年、服部栄養専門学校校長に就任。著書や講演活動を通じて食育を牽引し、内閣府、厚生労慟省など、多くの公的機関の要職にも就く。

― 2015年、フランスの最高勲章である「レジオン・ドヌール勲章」のシュバリ工章を叙勲されました。服部さんは、ことフランスの料理や文化を日本に普及させる活動を長く続けていらっしゃいますね。

もう40年近くになるでしょうか、毎年、フランス人シェフや料理研究家を招き、日本の若手料理人の育成に努めてきました。たとえば、有名シェフであるジョエル・ロブション氏などを招聘して、講習会を開いたり、情報交換したり。日本の料理人の技術向上を願ってのことです。僕はたまたま、若い頃から父に連れられてフランスを何度も訪れ、"本場"を教え込まれてきたから、それをちゃんと伝えなくてはいけないと。
今では逆に、フランスから「和食の技術を教えてほしい」という話もけっこうあります。交流が始まった頃は相手にもされなかったんだけど(笑)、和食の価値の高まりとともに、非常に関心が高くなっている。フランスに限らず、食を通じて、日本と外国を結んでいくのは、僕の1つの役割だろうと考えています。

― 服部学園の創立者であるお父様の下で、幼い頃から「食」を中心に厳しい教育を受けられたとか。

そうですね。父の影響で、母も祖母も、料理には本当に気を配っていました。僕自身、幼い頃から包丁を握らされていましたし。しつけ全般にも厳しくて、「本当にうるさい家だなあ」と思っていましたよ(笑)。
育った環境からすれば、この道に進んだのは自然な流れだとしか言いようがない。ただ、自分の行く道を明確に意識するようになったのにはきっかけがあります。大学生のとき、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んだこと。化学物質による深刻な環境汚染について書かれたもので、非常に影響を受けました。ここから食物連鎖であるとか、オーガニックに対する関心が高くなり、食の「安心・安全・健康」が僕の最重要テーマになった。食を取り巻く環境問題は一層深刻になっていくという危機意識が強かったので、自分なりに学び、メディアやいろんな機会を通じて問題を提起してきたつもりです。

健全な心身を育む、"共食"の重要性

― その流れのなかで食育を提唱され、世界に先駆けての食育基本法成立へとつながりました。

食育って「Eating Education」と言ったほうがわかりやすくて、つまりは食べ方の教育なんです。基本は3つ。安心・安全な食材を選ぶ力、家族と食卓を囲むことでマナーや社会性を身につける共食力、そして、食糧や環境問題などといった広く地球の食に対する関心。これらを培うことの重要性を訴えてきたなか、それが法律化されたことは、大きなステップになりましたね。

― なかでも、共食の大切さを強調されています。

食育のカギを握っているのは、家庭教育なんですよ。食事を一緒にし、コミュニケーションを取ることで、子どもは礼儀作法や多くの一般常識を学んでいきます。共食は、いわば健全な心身を育む場でもあるわけですが、高度経済成長による著しい核家族化で、そういう原点的な日常を維持するのが難しくなってしまったでしょう。
孤食、個食、小食などを指す「こしょく」が、生活リズムや精神面にも悪影響を及ぼすことは、昨今問題視されていますよね。単に食べる物のどの成分が体にいい、悪いという議論をする前に、そういう大元の、我々の生活を根本から見直さなければいけない時が来ているのです。

食育を柱に広がる活動領域

― 食育が意味するものは大きいですね。

追究すればするほど深く、広くなっていくのです。その食育の原点として、僕が着眼しているものにオキシトシンというホルモンがあるんですよ。「幸せホルモン」「愛情ホルモン」などと呼ばれているように、これはスキンシップや家族団楽(だんらん)、リラックスをしているときに脳から分泌され、ストレスや不安を和らげてくれるといわれています。僕が家族で食卓を囲む大切さを訴え続けてきたのは、1つには、このオキシトシンの有用性を確信しているからです。
ところが社会は複雑になり、大人も子どももストレスを抱えている。とかく「仕事が忙しい」「時間がない」と、食卓を囲むことのみならず、現代人はオキシトシンを分泌させる機会をわざわざ失うような生活を送っている。送らざるを得ない環境にあるのも事実です。だからといって、嘆き批判ばかりしていても先に進めないので、現状に正対し、失った部分を埋めていくというのかな......今後は、より実践的な施策を進めていきたいと考えています。

― 現在、特に注力されていらっしゃることは何でしょう?

2020年の東京五輪に向けた「フード・ビジョン策定です。開催時に、各国の選手にどのような食事を提供するかという"食の方針"決め。前々回のロンドン大会でも、前回のリオ大会でも方針の柱になったのは安全な食材、つまりオーガニックです。当然、日本もそれを掲げるべきなのですが、実はハードルが高い。日本での有機JAS認定を受けた有機栽培の割合は、農産物全体の0.27%しかないのが現状ですから。オーガニックの普及に努め、世界に恥ずかしくないビジョンを策定すべく、今動いているところです。
結局、食育をやっていると、あれもこれもと全部つながつてきちゃうんですよ。大変なんだけれど、追えば追うほど広がるこの世界は、それだけ面白くもある。間違いなく、僕のライフワークだといえますね。

Text=内田丘子(TANK) Photo=橋本裕貴

After Interview

1990年代に人気を博したテレビ番組『料理の鉄人』をはじめ、服部氏はメディアでの露出が多い。ある年齢以上の人ならば、黒のスタンドカラーのスーツを着て料理を評論する服部氏の姿を、容易に思い浮かべることができるだろう。華やかな舞台で、盤石な地位を保ってきた実力者というイメージは強い。
だが、今回お目にかかって、服部氏の「本願」を初めて垣間見た。本願とは仏教用語で、仏が人々を救うために起こした誓願を指す。服部氏の本願とは、豊かで安全な食とその場を通じて、人々が幸福になること。食育の重要さを提唱し続け、2020年東京五輪のフード・ビジョン策定に向けては、オーガニックの普及のために奔走するなど、地味で息の長い活動こそが、実は氏の活動の中心なのだ。70歳を超えた今なお、国内外を飛び回り、関係者をつなぎ、現場を見て歩く日々だという。本願は、人的な願いを超えて、人々の安寧のために起こすもの。服部氏の活力の源も、自身を超えた日本人への思い、環境への思いにある。
仕事を通じていつか「本願」を持ち得るか。そしてその成就のために全力を注ぐことができるか。服部氏からの問いは、私たち働くすべての人に向けられている。

聞き手=石原直子(本誌編集長)