成功の本質第110回 RICOH Handy Printer/リコー

手で動かすことでサイズの制約を打破しプリンターを“スマホ化”

w162_seikou_01.jpg従来のプリンターでは印刷できなかったものにも印刷できる小型プリンター。開発の背景には「紙ではなくプリンターを動かす」という発想の転換があった。黒、赤、白の3色があり、大きさは(幅)46×(奥)121×(高)81ミリメートルと手のひらに収まるサイズだ。バッテリ―が内蔵され、コードレスで約2時間使える。

ポケットサイズのプリンターを手で動かし、紙の上をすべらせると、文字や画像が印刷できる。重さはわずか315グラム。水性インクがしみ込む素材であれば、布でも木でも、どこにでもプリントできるのが、2019年4月に発売されたリコーのモノクロインクジェットプリンター「RICOH Handy Printer(ハンディープリンター)」だ(実売価格は1台約4万~ 5万円)。
持ち運び可能なモバイルプリンターは、それまでも同業他社から各種販売されていた。ただ、紙送り方式のため、印刷には規格サイズの用紙が必要で、本体の大きさも用紙の幅より小さくはできなかった。一方、ハンディープリンターは本体を動かすため小型化が可能。段ボールなどの立体物や針金付きの荷札などにも、文字はもちろん、バーコードやQRコードも印刷できる。製品が発表されると生産計画の4倍近い注文が入るほど反響を呼び、2019年日経優秀製品・サービス賞優秀賞を受賞した。
「紙を送る」から「プリンターを動かす」へ。発想を転換して商品化するまでに要した期間は6年。その間、3度に及ぶ開発中止・中断の危機に見舞われた。それをどう乗り越えたのか。6年に及ぶ軌跡をたどってみたい。

センサーで本体の位置を検出

w162_seikou_03.jpg原田泰成氏
リコー
オフィスプロダクツ事業本部
SC事業センター
エッジデバイス開発室
開発二グループ
シニアスペシャリスト

「ハンディープリンターを着想したのは2013年5月ごろ。きっかけはスマートフォンとの出合いでした」
こう話すのは、発案者で開発プロジェクトリーダーを務めた原田泰成・オフィスプロダクツ事業本部エッジデバイス開発室シニアスペシャリストだ。
「スマホを使い始めて思ったのは、パソコンはデスクトップ、ノート、スマホと進化してきたのに、プリンターはスマホ並みの大きさや手軽さへと進化していないことへの疑問でした。ちょうどそのころ、従事していたプロジェクトが終わり、自分を見つめ直す時間が生まれた。入社以来7年間、プリンターの量産設計の仕事を続けてきましたが、就職時の採用面接では、自分で考えたものを世の中に送り出したいと語っていた。もう一度、原点に戻ろう。その2つの思いから開発を着想しました」
リコーには、事業化が決定した商品開発のほか、商品化ができるかどうか不明でも、技術的な可能性を探る「要素開発」という枠組みがあった。原田はこの要素開発の枠を使ってハンディープリンターの開発を提案。了承され、机上での技術的な構想づくりに入った。
考えた仕組みはこうだ。文字や画像などの印刷データは、スマホやパソコンで作成し、無線通信かケーブル接続によりプリンターに取り込む。印刷方法は2通り。1つは、本体を右へスライドさせて印字していくローラーモード。もう1つは、画像がヘッド(インク吐出部)より大きい場合、本体を右へ、少し下げて左へと往復させながら印刷するスライダーモードだ。
難しいのは、本体が固定された紙送り方式と異なり、ハンディープリンターが常に動く点にあった。そこで、本体に取りつけたセンサーでプリンター自体の位置をリアルタイムで検出する。ただ、ヘッドは動きながらインクを吐出するため、吐出開始の位置と実際の着弾位置にはズレが生じる。そのため、吐出したインクが正しい位置に着弾するよう、本体の動く速度から近未来位置を予測する。また、スライダーモードの場合、本体を往復させても、一度印刷した箇所にはインクを吐出しないよう、重ね印字防止の制御も組み込んだ。
原田は、この仕組みを基本特許として出願。2013年の秋口、開発を二人三脚で進めていくことになるある人物に協力を求めた。商品企画部門に所属し、販売会社リコージャパンに出向して営業支援の経験も持つ近藤友和・オフィスプロダクツ事業本部ソリューション事業推進室シニアスペシャリストだ。原田が話す。
「要素開発でもプロトタイプをつくるには、要員の規模を拡大する必要があり、承認を得るには、顧客のニーズがあるという商品価値を示さなければならない。そこで、一緒にニーズ探索をしてくれる協力者を求めたのです」
近藤は協力要請を快諾。その理由をこう語る。
「初めはリコージャパンの営業担当者の紹介を頼まれたのですが、会って話を聞いたら、すごく面白い企画だった。自分も一緒にニーズ探索をしたいと願い出たのです」
製品概要と顧客への提案を書き込んだ企画書1枚を持って、リコージャパンから紹介された顧客企業を回る。「世の中にない製品なので、お客さまも具体的な活用シーンはなかなか思いつかない。それでも、『こういう商品があったらいいね』と総じて好反応でした」(近藤)
w162_seikou_02.jpg印刷可能なデータは文字、画像、QRコード、バーコードの4種類。印刷データはパソコンやスマホのアプリから無線通信やケーブル接続で転送する。たとえば、流通業では顧客に配布するショップカードにネット通販サイトへつながるQRコードを印刷する。神社ではお札に参拝客の名前を印刷するのに使われている。

1年間、チャンスをやる

半年後の翌2014年3月、原田は要素開発の規模拡大を申請。直属の上司からは了解を得たが、2日後、事業本部長に報告すると、「技術的に不可能」と却下されてしまう。意気消沈するなか、4月に事業本部長が異動。原田も同じ事業本部内で異動になる。すると、プロトタイプづくりについて、新たな上司が「上には上げずに黙っている。俺の権限のもとで一度ものをつくってみろ。1年間チャンスをやる」。開発は一転復活した。原田が話す。
「その上司がチャンスをくれたのは、半年間、お客さまを回り、好反応から売れる可能性を示せたことが大きかった。その上司は、私と同じエレキ(電気)の設計分野の出身で、可能性に目を向けてくれたのも幸運でした」
2014年末、プロトタイプ1号機が完成。原田は再び近藤に連絡をとり、仕様をニーズにより近づけるための顧客回りを始めた。顧客を訪ねる前には必ず、近くの喫茶店で準備する。1号機は振動に弱かったため、移動中に故障していないか、店の片隅でテストを行う。特許出願中で、もし外部に漏れたら取得困難になる。店の防犯カメラに写らないよう、2、3人の男が体やノートで隠す。「人目にはあやしげな光景」(原田)が繰り返された。
プロトタイプを持参してのニーズ探索は、少しずつ、成果を上げていった。近藤が話す。
「実演すると、お客さまも『すごい、面白い』と即反応する。活用シーンを引き出すのはやはり難しかったのですが、何社も回っているうちに、お客さまからポロッと使い方のアイデアが出てくる。それを一つひとつ、地道に拾い上げていきました。出荷情報を見ながら手書きしていた針金付き荷札へのデータの印刷もその1つです」
やがて、開発コンセプトに賛同した顧客が顧客を紹介してくれる動きも見られるようになった。近藤が続ける。
「たとえば、訪問介護関連のシステムベンダーのお客さまから事業者を紹介していただき、現場を回ったこともありました。訪問介護の際、連絡事項や介護記録をノートに手書きし、事務所に戻ってパソコンで入力する手間をハンディープリンターは解決できるのではないかと。紹介が紹介を呼び、どんどん輪が広がっていきました」
近藤と一緒に訪問介護の現場を回った原田も、
「地方のある都市で2泊3日の日程で、そのベンダーの担当者も一緒に1日に10軒回ったこともありました。現場を大事にし、お客さまの声を拾う。現場重視、お客さま重視はプロジェクトの一貫した方針となりました」

w162_seikou_04.jpg発案から製品化まで実に6年の歳月を要した。左の3台がプロトタイプで、左からそれぞれ1号機、2号機、3号機。2号機は液晶パネルをつけたため、大型化した。右の3台が実際の製品。

ピンチを救った同志

w162_seikou_05.jpg近藤友和氏
リコー
オフィスプロダクツ事業本部
SC 事業センター
ソリューション事業推進室
エッジデバイス企画グループ
シニアスペシャリスト

プロジェクトに暗雲が垂れ込めたのは、2度目のニーズ探索を終え、改善点をもとにプロトタイプ2号機の作製に入る前の2015年9月のことだった。1号機の試作を支援してくれた上司から「開発中止」の意向が伝えられた。「理論上は開発可能でもコスト面など総合的に見て商品開発への移行は困難」との判断だった。原田には別の仕事が割り振られた。そのときの心境をこう話す。
「私自身、商品化のイメージがまだわかない段階でしたので、上司の言うことも理解できました。一度は拾い上げてくれた上司の判断なので、半分は納得した。でも、納得しきれず、継続の思いは捨てきれませんでした」
この窮地を近藤が救う。原田の上司に継続を強く訴え、
「企画がそこまで押すならば」と認めてもらったのだ。「この開発は絶対、終わらせてはならない。世の中になかったハンディープリンターはリコーが最初に出すべきである。出せば売れる。われわれには顧客を回り、ニーズを調べ続けてきた自負がありました」(近藤)
半年かけてプロトタイプ2号機を完成させると、さらに半年かけてニーズ探索を実施。ここで、原田は上司にクギを刺される。「3号機で商品化が承認されなければ開発は終わりだ。自分のやりたい仕様で精一杯やってみろ」。原田は3号機を社内外の展示会に次々と出展した。すると、「これはいつ発売されるのか」と大反響を呼び、2017年7月、商品化が決定。要素開発から発展した、メンバー約30名の商品開発プロジェクトが発足する。
ところが、開発を進めるうちに最後の障壁が現れる。品質評価部門から、スライダーモードについて「搭載不可」と評価されてしまった。本体の動かし方によっては、「往」と「復」とで印刷される画像の間に微細な隙間が生じることがある。それが品質基準に反するとの判断だった。主張をぶつけ合うだけでは平行線になると考えた原田は、品質評価部門の担当者とともに顧客を訪ね、顧客がハンディープリンターに求める品質レベルとしては問題ないことを顧客の声で証明し、担当者を納得させた。

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約200社に及んだ顧客回り

2019年4月、販売開始。するとさまざまな活用事例が報告された。たとえば、司法書士。契約書に情報を追加する際の「契約書の解体→追加の印刷→再製本」という手間を解決し、契約書に直接印刷する。あるいは、部品メーカー。出荷時に包装紙に手書きする個体識別番号では製造日と出荷日しか納品管理できなかった。ハンディープリンターでQRコードを印刷すれば、「どのラインで、いつ、何番目に製造したか」といった詳細な管理が可能になった。
発売が4月だったこともあり、子どもを保育園に預ける際に持参する紙おむつや子どもが学校で履く上履きの名前書きに使用するなど、個人需要も大きく伸びた。現在も、業務用途を中心に販売は順調に推移している。
リコーのWebサイトに、開発プロジェクトに参加したメンバーたちによる座談が掲載されている。そのなかで、ソフトウェア担当のリーダーが「ハンディープリンターの成功のポイント」として、「技術者がお客さまのところに足を運び、お客さまの言葉の背景や温度感をとらえて、自分の目でニーズを確かめたこと」をあげている。実は、原田は商品化決定後もニーズ探索を続け、プロジェクトメンバー全員、さらには購買や生産担当者も、「お客さまのニーズを体感し、お客さま目線でベクトルを合わせよう」と、少人数ずつ一緒に顧客を回っていたのだ。
こうして6年間を振り返ると、節目節目で顧客の声に後押しされながら、困難を乗り越えてきた軌跡がわかる。訪問した顧客企業は約200社に上った。原田が語る。
「自分の原点を見直し、夢のプリンターをつくりたいと、技術者の思いから始まったときは、売れるかどうか予測できませんでした。それが近藤と出会い、紹介されたお客さまを次々回り、お客さまがお客さまを紹介してくれて、どんどん人と人とのつながりが生まれ、その協力を得て発売までこぎ着けることができました。つながった人々への感謝。それが今、いちばんに出てくる言葉です」
顧客と向き合うという基本の大切さを、原田らの取り組みは示した。ポストコロナ社会では顧客との直接の対面は制限されるだろう。それでも、基本をいかに実行していくか、新たな知恵と工夫が求められる。(文中敬称略)

Text =勝見 明 Photo=リコー提供

イノベーションの実現には「温故知創」と政治的プロセス
上司部下間の「真剣勝負」が重要だ

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
紙送りによる“用紙幅の呪縛”を打破したハンディープリンターのイノベーションは、どのような発想から生まれたのか。過去から現在に至る歴史の流れの背後にある文脈を読み解き、“跳ぶ仮説”により、論理分析では導くことのできない新しい未来を思い描く力を「歴史的構想力」と呼ぶ。
原田氏も、パソコンがデスクトップ、ノート、スマホへと進化してきた歴史の流れのアナロジーとして、プリンターについても、紙送り機能という既存のコア技術の延長線上ではなく、「スマホ並みの小型化、手軽さ」という未来像を構想し、自分が「いま、ここ」でやるべきことを決めた。イノベーションは多くの場合、歴史的構想力にもとづく「温故知創」の発想から生まれる。
ただ、世の中に存在しない商品を開発する際、社内には賛同者だけでなく、批判者も生まれる。賛否相半ばするなかで了解を得るのは容易ではなく、否定論を抑える政治的プロセスが必要になる。
ハンディープリンターの開発の場合、技術的な斬新性や実現可能性だけでは、社内の了解を得るのが難しい状況になると、顧客回りで探索したニーズにより、開発の正当化を図った。逆にいえば、正当化の手段として、顧客の声を拾い集めた。イノベーションの実現には、政治的プロセスによって障壁を突破する判断力と実行力も求められる。
ところで、上司と原田氏との関係性も興味深い。前任の事業本部長の「却下」を自分の責任でくつがえして開発継続を了解した上司は、部下と真正面から向き合い、部下にも本気で事に当たるよう、「真剣勝負」を求めた。その後、開発中止の意向を示し、近藤氏の直訴で継続を認めたときも、原田、近藤両氏の真剣度を読み取ったのだろう。最終試作については、「商品化できなければ終了」と背水の陣へと追い込んだ。
原田氏もそれに応える。最後まで顧客回りを続けて、顧客という“最強の援軍”を確保し、プロジェクトメンバーも顧客訪問に伴って、自らの軍勢の足固めをおろそかにしなかった。イノベーションは真剣勝負の世界でこそ実現する。
最終的に成功を収めた原田氏は、6年間を振り返って、「人と人とのつながりに感謝」という言葉を口にした。そのつながりには、上司も入っていることだろう。ハンディープリンターの開発は技術的なイノベーションだが、実現した過程をなぞると、人が主役のヒューマナイジング・イノベーションでもあったことを実感する。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。