成功の本質第109回 Lumada(ルマーダ)/日立製作所

顧客との協創を通じ隠れたデータに光を当てデジタル化で課題を解決

w161_seikou_01.jpgニチレイフーズの工場で働く従業員が、ルマーダによって構築された要員計画を参照しながら、打ち合わせをしている。これまでは熟練者の経験と勘が頼りで、膨大な手間と時間を要した計画立案がAIの活用によって自動で行えるようになり、負担が大きく軽減した。
Photo=日立製作所提供

新型コロナウイルス対策をめぐり、日本の企業・組織のデジタルトランスフォーメーションの遅れが表面化したが、その一方で、ネット販売強化などデジタル改革を進めた企業は景気減速下でも高収益をあげ、明暗を分けた。環境が激変するなかで、企業が成長を続けられるか、退場を迫られるかは、デジタル化が大きなポイントになる。わけても注目されるのが、AI(人工知能)の活用だ。
AIは人の代替か、人の能力の補完かの議論はいったんは終息したが、今なお問われるのは、「AIは人間に何をもたらすのか」という、人とAIとの関係性だ。この問いに1つの解を示しているのが、IT分野に強い日立製作所が、成長戦略の中核に据えるシステム構築事業「Lumada(ルマーダ)」だ。illuminate(照らす)とdata(データ)を合わせた造語で、「顧客のデータに光を当てて新しい価値を生み出し、経営課題の解決や事業の成長に貢献する」と定義される。ルマーダ事業のスタートは2016年。売上高は2019年度が1兆370億円と、グループ連結売上高8兆7672億円の約12%を占める。
日立はリーマンショック後の2008年度決算で、国内製造業では過去最悪の7873億円の赤字を計上。再建を託された川村隆会長兼社長はITで高度化された社会の実現に向け、「総合電機」から「世界有数の社会イノベーション企業」になる目標を掲げた。当初は、創業以来100年以上蓄積したモノづくりの技術による社会イノベーションを目指した。ここに来て、ルマーダに多くの資源を投じるに至った背景として、事業責任者のチーフ・ルマーダ・ビジネス・オフィサーの熊﨑裕之は、「モノからコトへ、提供する価値の転換があった」と話す。
「モノ、すなわちプロダクトの提供に加え、お客さまの困りゴトをデジタルで解決する。日立には、モノづくりに加え、OT(オペレーショナル・テクノロジー=制御・運用技術)のノウハウ、基幹系システムなどで取り組んできたITがあります。この3つを組み合わせ、どの業種にも共通して対応できるプラットフォームがあれば、データから価値を生み出すデジタル事業を加速できるという議論から生まれたのがルマーダでした」

「協創ワークショップ」の開催

w161_seikou_03.jpg熊﨑裕之 氏
日立製作所 理事
サービス&プラットフォームビジネスユニット
Chief Lumada Business Officer
Photo=日立製作所提供

各部門で実施されるルマーダ事業のプロジェクトは、「顧客の課題分析→データ解析などによる仮説構築→プロトタイプとその検証→顧客への提供」といった流れになる。このプロセスで特徴的なのは、デジタル事業ながら、顧客側と日立側の人間同士が直接関わり合うアナログ的な世界が一貫して重要視されることだ。それは「協創」という独自の概念で表現される。熊﨑が続ける。
「モノからコトの解決へと変わると、解くべき課題は多岐にわたります。供給サイドで考えて提供する形はほとんどあり得ず、一緒に新しい価値をつくり出していく。それが協創です。そのため、お客さまの課題分析のプロセスも、個別の課題より次元の高いビジョンの共有から始めます。たとえば、利益率を上げたいという課題を持っているお客さまの場合、なぜ利益率を上げたいのか、自分たちはどんな会社でありたいのかというビジョンについては漠然として、明確でなかったりします。そこで一緒に深掘りしていく。ビジョンが違えば、同じ課題を抱える企業でも、どのデータに光を当てるのか、どのように利益率を上げるか、議論や方法論が分かれるのです」
顧客との協創において、特に重点が置かれるのが、「場」を共有するワークショップだ。日立のWebサイトにも掲載されている、あるプロジェクトでのワークショップの映像を見ると、多様なツールを使いながら、参加者が自由に意見を出し合う光景が展開されている。
「ツールを活用し、互いに心を開いて課題認識や課題解決のアイデアを出し合い、気づきを得ていく。この取り組みを『協創ワークショップ』と呼んでいます。重要なのはファシリテーター役で、その力量によって協創活動の成果も左右される。そのための人材の育成も行っています」(熊﨑)
最近の事例を見てみよう。冷凍食品最大手ニチレイフーズがルマーダにより、工場での最適な生産計画と要員計画の自動立案システムを開発し、2020年1月から国内4工場で導入を開始したケースだ。

w161_seikou_02.jpg協創ワークショップの様子。ファシリテーターが重要な役割を担う。2019年4月、東京・国分寺市にある日立の中央研究所内に新設された研究開発拠点「協創の森」にて。
Photo=日立製作所提供

武器は数理最適化技術と機械学習

w161_seikou_05.jpg柳田貴志 氏
日立製作所
産業・流通ビジネスユニット
産業ITソリューション部 
担当部長
Photo=日立製作所提供

ニチレイフーズでは生産関連のシステムを独自に開発してきたが、生産計画と要員計画についてはシステム化ができずにいた。プロジェクトを立ち上げた日立の産業ITソリューション部担当部長の柳田貴志が理由を話す。
「生産計画も要員計画も従来、計画担当の熟練者が経験と勘にもとづいて作成していました。生産計画の場合、冷凍食品は品目数が非常に多く、複数のラインで生産するため、それらを組み合わせると、1つの工場で単純計算で最大16兆通りの生産パターンがありました。手作業を必要とする工程も多い。そこで、熟練者が商品やラインの特徴、要員の状況など多くの複合的な条件を踏まえて絞り込んでいく。それはまさに言語化できない暗黙知です。これがシステム化を困難にしていたのです」
生産にはさまざまな制約条件がある。すべてが制約条件どおりに生産されれば、システム化が可能だ。それを難しくしていた大きな要因は、各ラインの生産許容量のように、絶対守られる制約がある一方で、熟練者が「この場合は納期を遅らせたほうが効率がいい」「この生産とこの生産は連続させずに間をおく」といった具合に、あえて違反する制約が存在していたことだった。しかも、その判断も、「なるべく」「できるだけ」といったあいまいな表現が少なくなかった。
「熟練者も、限られた時間のなかで、自分はいちばんいい解を出していて、それよりいい計画をつくれるものはほかにいないと自信を持っている。ただ、100点満点ではなく、70点かもしれないとも思っている。実際、その生産計画をもとに要員計画を立てると、人の配置が平準化されずに山谷ができて、従業員の希望に完全に沿った勤務体系の実現が難しい状態にありました」(柳田)
熟練者の経験や勘をデジタル化する。そのため、2つの技術が用いられた。プロジェクトマネジャーを務めた技師の新井智也が説明する。
「1つは、日立が鉄道のダイヤ作成で培ってきた数理最適化という技術です。これは、明文化された制約条件から最適解を導くことができます。しかし、熟練者の言語化できない判断を反映することは難しい。そこで、もう1つ、AIの機械学習の機能を組み合わせる。熟練者が作成した過去の計画履歴データをAIに学習させれば、熟練者の計画パターンを抽出することが可能でした」
ただ問題は、AIは熟練者の「なるべく」や「できるだけ」の判断が行われる度合いや制約に対する優先度などは数値で出せるが、どのような制約をどのような状況で違反するのかという判断の仕方までは解析できないことだった。これは人が設定しなければならない。そこで、熟練者と協創ワークショップで直接向き合う「業務理解」というプロセスが重要な意味を持った。熟練者と向き合い、品目ごとのそのときどきの適正在庫量のような、明文化されていない制約を聞き出す。柳田が話す。
「それには、インタビューやエスノグラフィー(行動観察)のスキルも必要で、そのための研修も行いました。それでも、制約が仮に10個あるとして、引き出せるのは7個くらいで、残り3つは熟練者が『当然のこと』として無意識で行っていて、言葉には出てこない。そこで7個の制約条件をもとに試作の計画をつくり、熟練者の計画とのずれを示すことで、漏れていた制約に気づいてもらう。泥臭いアプローチを繰り返しました」

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未知の暗黙知も探索する

業務理解では拾いきれない事実をAIがあぶり出すこともあった。熟練者が「絶対違反しない」と話していた制約を計画履歴のパターンでは実際に違反していることを示し、「思い込み」を排除した。新井が続ける。
「お客さまのなかに深く入り込み、一緒に詰めていかなければ、お客さまにも見えていなかった知見まであぶり出すことはできません。直接対話する業務理解と熟練者の傾向を洗い出すデータ理解の結果を落とし込むことで、最適解を導くシステムをつくることができたのです」
システムが出した解を熟練者がチェックし、修正があれば、それをまた機械学習させる循環を繰り返し、システムを成長させていく。こうして開発プロセスをなぞると、光を当てるデータには熟練者のなかにある暗黙知も含まれることがわかる。柳田はその意味合いをこう話す。
「熟練者は、限られた時間のなかで暗黙知にもとづいて計画をつくります。その暗黙知の再現なら70点止まりでしょう。業務理解のステップでは、熟練者の頭のなかには潜んでいて、もし時間があれば、本人も気づくかもしれない未知の暗黙知を見つけ出そうとする。そこにも光が当たれば、90点まで高めることも可能になるのです」
要員計画も、生産計画と同様に最適化を実現。完成した自動立案システムの導入効果をシミュレーションしたところ、計画立案に要する時間は従来の10分の1に短縮可能になり、生産品目の切り替えのための時間は約50%削減、適正在庫乖離率は約28%低減した。従業員の休暇希望を100%叶える計画立案も可能になった。ただ、柳田によれば、「数字で表せない効果も大きい」という。
「運用が始まった工場の熟練者からは、こんな声が聞かれました。『今まで時間がなくて、やりたくてもできなかったことに時間を割けるようになったのがうれしい』と。優秀な人材がよりクリエイティブな仕事と向き合うことができる。これは何より、AIの活用が人間の仕事を支援するためにあることを示していると思います」
日立は、2022年3月期を最終年度とする中期経営計画において、海外売上比率を従来の51%から60%超まで高める目標を掲げた。期待されるのが、ルマーダ事業の海外展開だ。顧客との協創を、海外を含むグループ内のどのセクションでも実践できるよう、課題の抽出法や仮説検証の手法、使用するツール、協創の場のつくり方などをモデル化して、「NEXPERIENCE(ネクスペリエンス)」という方法論を確立。また、これまで手がけた事例から課題解決の共通部分を抽出して汎用化し、パッケージで提供する体制も整備した。

w161_seikou_06.jpgPhoto=ニチレイフーズ提供

米ディズニーとも提携

海外展開の拠点となる子会社はアメリカに設置。 ロンドン、アメリカのサンタクララ、シンガポールなどに、NEXPERIENCEを活用できる顧客協創の拠点を開設した。2019年秋には米ウォルト・ディズニーと提携。センサーでアトラクションの各種データを集め、適切な保守点検で稼働率向上を図る。テーマパークを1つの街に見立て、スマートシティの事業拡大への布石とする。熊﨑が話す。
「OT面は米GE、独シーメンスも強みを持っていますし、IT面では米IBM、GAFAなども取り組んでいますが、プロダクト、OT、ITをあわせ持つ企業は世界でも稀で、それが日立の強みです。ワークショップで議論する文化は、むしろ日本よりも海外のほうが進んでいる。コクリエーション(協創)の概念も受け入れられやすいでしょう」
ルマーダという日本発の協創モデルにより、日立がいかに海外市場を攻略するか、注目したい。(文中敬称略)

Text =勝見 明

AIと人との協創により効率の追求にとどまらない創造性を高めるデジタル化が実現

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
ニチレイフーズの計画立案のシステム化において興味深いのは、アナログとデジタルの関係性だ。熟練者の計画履歴データをAIに学習させれば、計画パターンを抽出できる。これはデジタル化だ。しかし、それだけでは熟練者の立案のレベルには達しない。AIは、熟練者が暗黙知をもとに判断した結果としての計画をパターン化することはできても、「どのような状況に対してどのように考えるのか」という判断のプロセスはAIにはわからない。そこで、協創ワークショップで対話しながら、熟練者の暗黙知の探索が行われる。
ここで注目すべきは、熟練者が意識しながらも言語化が難しい暗黙知にとどまらず、徹底した対話により、熟練者も気づいていない無意識という暗黙知の根源(柳田氏のいう「未知の暗黙知」)にまで光が当てられ、形式知に変換されることだ。ここに価値が生まれる。フェイス・トゥ・フェイスの相互作用により、暗黙知の根源まで共有するという共感能力は、AIには代替できない。新しい価値は常にアナログの世界で創造される。
ただ、熟練者の暗黙知には、アナログの対話でも引き出せない「思い込み」の部分も残る。それが、AIの抽出する計画パターンに表れることで熟練者も気づきを得る。つまり、デジタルにも、アナログにも、それぞれ限界があり、相互に補完することにより、工場で働く人々の休暇の希望を100%実現できる最適な計画が可能になる。
アナログの世界でデジタルからは生まれない価値を創出し、同時にアナログの限界をデジタルで超えていけば、デジタル化やAI化も、単なる効率追求ではなく、創造性を高めることにつながる。これは、AIと人との“協創”ともいえよう。
このプロセスを知の変換という視点からとらえると、AIと人との間で、擬似的な知識創造のサイクルが回っているようにも見える。計画履歴データには熟練者の暗黙知が凝縮している。AIはそれを機械学習することで共有し、計画パターンとして表出化する。一方、対話による業務理解では、計画パターンでは把握しきれない熟練者の暗黙知の根源まで照らし出され、データ化される。機械学習によるデータ理解と人による業務理解が連結化し、数理最適化により解が導かれる。その最適解をAIはまた学習し精度を高めていく。
AI化も人との間で擬似的な知識創造が行われていけば、常に創造的であり続ける。人とAIの新しい関係性が、ここにあるのではないだろうか。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。