成功の本質第85回 BALMUDA The Toaster /バルミューダ

家電の「枯れ果てた市場」でも大ヒット商品を生み出した「気づき」

バルミューダ ザ・トースターと付属の給水カップ。窓は小ぶりにした。石窯のようになかをのぞく楽しみを喚起させつつ、加熱効果も高めるためだ。
Photo=バルミューダ提供

キャッチコピーは「感動のトースター」。2000円から買えるオーブントースターで2万2900円(税別)の高価格ながら、2015年6月の発売から1年間で10万台以上売り上げた「バルミューダ ザ・トースター」とは、どんな商品なのか。東京・武蔵野市にある家電ベンチャー、バルミューダの3階建ての本社を訪ねると、広報担当者から「ぜひ、食べてみてください」と試食を勧められた。
最初は普通の食パンのトーストだ。扉を開け、パンを焼き網の上に置き、上部の給水口から専用の5ccカップ1杯の水を入れる。モード選択で「トースト」を選び、時間を3分にセットする。スタートからほどなく正面の窓が一瞬曇った。「水がボイラーの熱で水蒸気になり、庫内に充満した状態」だという。窓からのぞくとパンの表面が徐々にきつね色に変わっていく。最後に色が急に濃くなったかと思ったら、「チン」と焼き上がった。
小麦の香ばしさ。表面はサクッ、なかはモチモチフワフワ。何もつけなくてもバターの風味が口に広がる。おいしさに驚かされた。続いてクロワッサンとフランスパン。表面が焦げたり、硬くなったりせず、焼きたてのような味わいが再現された。最後はチーズを乗せたトーストだ。溶けて少し焦げたチーズの風味が絶妙。これほどのおいしさを堪能できるなら、パン好きが税込み2万5000円近く払っても買うのが納得できた。発売から1年以上経っても入手2カ月待ちが続く。
「トースターという『枯れ果てた市場』でも、新たな仕掛けをしていけば、周囲は全員寝ているので勝てるとは思っていました。でも、これほどの売れ行きは想像以上でした」
と、発案者であるバルミューダの創業者、寺尾玄社長も驚く。なぜ、これほどヒットしたのか。その理由は、寺尾自身の体験と深く結びついている。

人はモノを通して体験を買う

寺尾玄
バルミューダ 代表取締役社長
Photo=勝尾 仁

ある日、寺尾は浅草の有名洋食店のシェフが書いたレシピ本とシェフ推奨のフライパンを合わせて4000円ほどで購入。週末、家でレシピ通りにハンバーグをつくったところ、子供たちが大喜びした。私生活ではほとんどモノを買わないのに、なぜ立て続けに買い物をしたのか、と考えたとき、あることに気づいた。
「その日は、『父ちゃん、すごい!』となるわけで、結局、私は本とフライパンを買ったのではなく、この体験を買ったんじゃないかと思ったのです。そこで、世の中を見渡したら、人はモノより体験を買っているという仮説を否定する事例が見つからなかった。トイレットペーパーでさえ、紙ではなく、快適に拭くという体験を買っている。すべてはこの気づきから始まりました」(寺尾)
人はモノを通して体験を買う。この気づきは会社設立後の事業のあり方そのものを問い直すことになった。
寺尾は異色の経歴を持つ。20代はミュージシャンの活動に専念したが、スターになる夢は挫折。次の道を考えたとき、音楽活動に不可欠だったパソコンなどの「道具」に目が向いた。デザイン誌で見たデザイナーの活躍にも刺激され、モノづくりの世界への転身を決意する。ある町工場へ、昼のアルバイトが終わってから毎晩通い、金属加工や切削など一通りの技術を身につけると、2003年、1人で起業。パソコン周辺機器の製造販売を開始した。
デザインや機能にこだわった製品は高評価を得たが、リーマンショックで受注が止まり、社員3人の会社は倒産の危機に陥る。「どうせなら、つくりたかった製品をつくろう」。以前から環境やエネルギー問題に関心があり、興味を持っていた扇風機の開発に着手した。外側と内側の2重構造の羽根で心地よい風を生み出す「GreenFan」を2010年に3万3800円(税別)で発売。翌2011年、大震災 後の節電意識の高まりのなかで大ヒットし、その年のバルミューダの売り上げは2年前の約19倍にまで急伸した。

五感をすべて使う体験は「食」

その後も、空気清浄機、加湿器、暖房機器などを発売する。ところが、ヒットは続かず、多くが季節商品だったこともあり、売れずに在庫が積み上がり、赤字の月が続いた。なぜ売れないのか。そんなとき、レシピ本の購入をきっかけにした気づきがあった。
「自分たちはそれまでモノをつくっていたにすぎなかった。GreenFanは風の心地よさという体験を提供しましたが、それはたまたまで、私自身は『いちばんいい扇風機』をつくろうとしただけ。いいモノをつくれば売れると思い、どんどん機能を上げていっても、お客さまから見て、体験できる価値が認められなかった。ならば、どんな体験を提供すればいいのか。体験は五感を伴います。五感のすべてを使うのが『食』です。キッチン家電であれば、通年商品で経営の安定にも結びつく。私が毎朝パンを焼いて食べるトースト派だったことから、トースターの開発に行き着きました」(寺尾)
寺尾には10代のころ、パンにまつわる忘れられない思い出があった。父親は独特の教育観を持ち、小生の息子にも「人はなぜ生きるのか」と問い続けた。ものごとを深く考える習慣がついた少年は17歳で高校を中退し、生き方を模索しに地中海沿岸を1年間放浪する旅に出た。最初の目的地は好きな作家ヘミングウェイが愛したスペインのロンダ。列車、バスを乗り継ぎ、たどり着く。疲労、空腹、心細さ。1軒のパン屋で買ったパンを口に入れたとき、涙があふれ出た。「これが命の源なんだ」と心と体で感じ取った。トースターの開発を思い立った背景にはそんな原体験もあった。
2014年春、「トースターをつくる」と発案すると、50人に増えていた社員たちからは初め当惑の声があがったが、ある出来事が社内の意識を変えた。5月、近くの公園で土砂降りのなか敢行した社内バーベキュー大会に、社員が食パンを持ってきた。炭火で焼くと、表面はカリッと焼け、なかは水分が十分に残り、誰もがおいしさを絶賛した。
「この味を再現できれば、バルミューダのトースターができる。これはやるしかないと全員が納得した瞬間でした。うちは扇風機の開発以来、制御の技術は蓄積があり、それを活かせる。開発コンセプトは『世界一のトースト』。トースターではなく、『世界一のトースト』をみんなに食べてもらおうと、体験のことしか考えませんでした」(寺尾)

Photo=バルミューダ提供

3段階の温度帯で焼く

バルミューダでは企画段階で、デザインチームが先行して試作品をつくって実験を始め、どんな技術を使い、どんなデザインのものをつくるか、方向性を絞り込む。トースターについては、プロダクトデザイナーとして中途入社したばかりの20代の松藤恭平が指名された。本人が話す。
「最初、炭火でトーストを焼いてみたのですが、いくらやっても再現できない。そういえばバーベキュー大会の日は土砂降りだったと思い出し、水分に着目しました。既存のトースターの庫内に加湿器のノズルを突っ込んだりして実験を繰り返し、熱したスチームでパンを包むとおいしく焼けるのではないかと当たりをつけました。問題はどうすれば、おいしく焼き上がるかということで、その答えはどこにもありませんでした」
以降、開発チームが試作品づくりを開始してからも、「焼き方の最適解」を求め、ひたすら実験を繰り返す毎日が始まった。庫内温度、焼く時間、ヒーターの種類、庫内の広さ等々、いくつもの要素の組み合わせを変えながら、焼いては食べて、味を確かめる。判断基準も自分で考え、「焼き色」「食感」「風味」の3つを五感で評価しながら、制御のプログラムに落とし込んでいく。その間、1〜2週間ごとに寺尾にも試食してもらい、指示を仰いだ。
「次第に舌が鍛えられ、どの要素が何に関係するか、焼き方のパターンがわかるようになりました」(松藤)
半年後、1000枚焼いた末、「最高の焼き方」が見つかる。温度を徐々に上げていき、160度の中温でじっくり焼き、最後に220度の高温で焦げ目をつける。これは化学反応の面からも最適解であることが、文献を調べて判明する。まず60度前後ではパンのなかのデンプンがアルファ化(糊化)し、噛むと甘みを感じるようになる。160度前後ではメイラード反応といって、糖とアミノ酸が反応し、きつね色に色づきながら香りの成分が生まれる。220度前後で炭化が始まり、表面がカリッとなる。
この間、水は水蒸気になって庫内に充満するが、パンに触れるとその表面に水分の膜をつくる。その膜によりパンのなかの水分やバターなどの油脂成分がしっかり残ったまま焼かれるので、外はこんがり、なかはしっとりした仕上がりになる。

「おいしさ」よりも「うれしさ」

松藤恭平
バルミューダ クリエイティブ企画室 デザイナー
Photo=勝尾 仁

松藤氏は記録魔だ。「最高の焼き方」を求め、実験の結果を文字や写真で事細かに記録し、次につなげた。
Photo=勝尾 仁

ところが、成果を寺尾に披露すると、「あまりおいしくない」と言われてしまう。実験を行う2階と寺尾のいる3階とでは電圧に数ボルトの差があり、それが焼き方に影響を与えていた。開発は継続され、パンの枚数、厚み、庫内の余熱の有無、電圧などの条件が変化しても、同じ焼き上がりになるような制御が完成するまで、さらに半年間、4000枚を焼く実験が続けられた。味の最終的な判断は寺尾が行い、ゴーサインが出された。
「おいしさの感覚は数字で計れない。数値化できないものに価値があるので、最後は私がおいしさのジャッジメントをしました。それが想像以上に売れたのは何を意味するのか。気づいたのは、お客さまにとってこの商品の価値の本質はトーストのおいしさだけにあるのではなく、うれしさにあるのではないかということでした。焼き上がりを知らせる音も何十種類のなかから選んだ。窓もなかをのぞきたくなるようあえて小ぶりにした。すべてが合わさってうれしさが生まれる。お客さまにとって大事なのは人生です。その人生をよりよくする道具を提供できた。バルミューダという会社はどうあるべきか、トースターを通して、もう一度、確認することができました」(寺尾)
バルミューダは2015年、ミッションを掲げた。「ク リエイティブな心で夢見た未来を、テクノロジーの力で実現して人々の役に立つ」。クリエイティブの意味も以前は単に「新しいモノを生み出す」ことだったが、「人々の人生をよりよくするための昨日と違う何かを生み出す工夫」と考えるようになった。
今後はロボット事業への進出も視野に入れる。寺尾は「スマホはすごい道具であっても、裏返して置いたら何もできないのに対し、ロボットは人間に自ら働きかけて役に立つ道具」と定義し、「必ずしも人型である必要はない」という。「うれしさ」の提供を目指すバルミューダはロボットでも既存の常識を覆すに違いない。(本文敬称略)

Text=勝見 明

人が経験により感じ取るクオリア(感覚質)が平凡な製品市場に気づきをもたらし非凡を生む

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
人は赤い花を見たときに「赤い」と感じる。そのように体験を通して主観的に得られる質感を「クオリア(感覚質)」と呼ぶ。寺尾氏の「スペインのロンダで口にしたパンの感動の味わい」も、「バーベキュー大会で焼いた食パンのおいしさ」も鮮烈に記憶されたクオリアだった。
寺尾氏は有名洋食店のレシピ本とフライパンを購入した際の経験から、人はモノを通した体験というコトを求めていることに気づく。この気づきからトースターという平凡な家電の分野で非凡な製品を生み出したのには、自身のクオリアが大きな役割を果たしている。その寺尾氏いわく「人生は数値化できないことのほうが素晴らしい」。
寺尾氏がトースターの開発を発案したのは、五感すべてを使う体験は「食」だと考えたとき、自身の朝食がトーストだったからだ。それは分析的で演繹的というより直観的で帰納的なアプローチだった。
ただ、既存のカテゴリーを超えて「世界一のトースト」という非凡でクリエイティブなコンセプトを導き出すには、発想をジャンプさせる「飛ぶ帰納法」であるアブダクション(仮説生成)が必要であり、寺尾氏の場合、ロンダやバーベキュー大会での体験を通して得たクオリアが踏み台的な役割を果たした。優れたクリエイターは豊かなクオリアを知の根底に持っていることを改めて認識させられる。
しかし、「世界一のトースト」のコンセプトは主観的なアートの世界にあり、具現化するにはサイエンスへの変換が必要だ。担当の松藤氏は合計5000枚のトーストを焼き、また、寺尾氏の指示を受け、自らのクオリアを磨き、それをテクノロジーに変換し、最適な焼き方を見つけ出した。
バルミューダには扇風機の開発以来、制御技術の蓄積があった。自社の知識資産を活かせば最適な制御ができるという知識ベースの戦略も寺尾氏にはあった。アブダクションが生むクリエイティブなコンセプトは、この戦略があってこそ製品化できた。
多くの企業はなぜ、非凡な製品を生み出せないのか。たとえば、トヨタが「もっといいクルマ」を目指すのは、レーシングドライバーでもある豊田章男社長の現場でのクオリアと結びついている。分析ばかりでなく、アートとサイエンスを総合すべきだ。「おいしさ」からさらに「うれしさ」を追求する寺尾氏の生き方は、21世紀の知識社会を実現するリーダーシップモデルになるはずだ。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。