Macro Scope生き物の性質は数式で予測できる

w161_macro_02.jpg理論生物学者 藤本仰一氏
Fujimoto Koichi 大阪大学大学院理学研究科生物科学専攻准教授。学術博士。2001年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了。その後、東京大学助手、ERATO 複雑系生命プロジェクトグループリーダー、大阪大学テニュアトラック准教授を経て現職。主な研究分野は複雑系の物理学、理論生物学。

生物学と物理学との共創で、今まで見えていなかった生物の生態が明らかになりつつある。理論生物学の世界で、物理学とは一見かかわりのなさそうな身近な不思議を解き明かそうと研究を続ける大阪大学の藤本仰一氏に、研究の成果と、異分野の人々が共創して価値を創出するための要諦を聞いた。

― 藤本先生がフィールドとされている理論生物学は、私たちにとってあまり馴染みのない分野です。

物理学では理論物理学を専門とする人がかなりの割合でいます。主に数学的なモデルを使って理論を構築し、既知の実験で示された事実や自然現象などを説明するだけでなく、未知の現象を予想して物理理論を確立しようとします。アインシュタインの相対性理論などがまさにそれにあたります。100年、150年の歴史のなかで、その功績があまりに大きかったため、多くの実験物理学者も理論物理学者を信頼しています。
理論生物学も同様に、数理的な理論やモデルを使って、生命現象の一般法則を見つけたり、予測したりする分野です。簡単にいえば、生命現象にはこういう法則があるはずだ、という予想に、理論的な考察や計算、実測データを加え、確かな実態のあるものにしていくというもの。生物学の理論の代表はダーウィンの進化論やメンデルの遺伝の法則ですが、これらは数学的な考察というよりは、膨大な観察の蓄積によって理論が導き出されています。生物学はどちらかといえば観察することに重きを置いてきて、それによる貢献が大きかった分野なのです。理論生物学は実データと数理的考察を組み合わせた発展途上の方法論だといえるでしょう。
それでも近年は、物理や数学との組み合わせで何か新しいことをやりたいという学生も出てきています。ですから、これからの可能性が大きな学問だと思います。

物理、生物、人類学、芸術と多様な領域を試行錯誤

― ご自身はどのようにして物理・数学と生物の間を研究領域とするようになったのですか。

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大学進学時にはどの分野に進むか決めあぐね、選択をコイントスに委ねるくらい迷ったのです。結果、工学部の物理系に進みました。大学院では素粒子や宇宙というような物理の王道ではなく、社会に比較的近い複雑系という領域を選び、このとき、ある現象に対するモデルを作ってコンピュータシミュレーションすることを学んだのです。
自分の可能性を物理学でとどめたくないと感じたこともあり、人類学や社会学の領域に興味を持ってフィールドワークをしたり、現代美術の作品を作ってみたりとしばらく試行錯誤しました(笑)。そのいくつかのうちの1つに生物学があって、ほかの領域よりも相対的に研究がうまくいったから、というのがこの領域で研究をしている理由かもしれません。
感謝しているのは大学院時代の指導教員であり、そのままその研究室で職を得たために、最初の上司でもある教授です。芸術作品を作るためにしばらく研究室に来ません、と言っても必要以上に詮索しない、とても寛容な方でした。早い段階で1つに分野を決めず、あれこれ試せたことは、本当によかったと思います。一見違うものを結びつけ、そこに法則性を見出そうとするのが好きだし、得意そうだと気付くことができたからです。最近は大学の研究もスピーディに成果が求められますから、そんな余裕のある環境は得にくいでしょうね。

前ガン細胞のガン化の過程をシミュレーションで示す

― 藤本先生の研究領域を拝見していると、昆虫や花、ガン細胞までとても幅広いですね。

私は今は生物科学科に在籍していますが、かつては物理学のコミュニティにいました。現在、研究の多くは研究室内外のほかの研究者や学生たちとの共同研究です。その共同研究者の専門領域を扱うことが多いために、結果、多様な生物の研究をすることになるのです。
たとえば前ガン細胞がどのようにしてガン化していくのかを、数理モデルを使って明らかにしようとしたプロジェクトがあります。細胞には“目”がありませんが、周りにどんな細胞があるかは認識できます。前ガン細胞は人の体に毎日のようにできますが、それを正常な細胞が察知して取り除く、ということを繰り返します。ところがそれがたまたまうまくいかないと、前ガン細胞がどんどん分裂して周りの細胞を殺し、正常な細胞の間に入り込んで増殖し、腫瘍になる。このプロセスを知りたいと思いました。
きっかけは、医学系で実験をベースに研究するチームに誘われたこと。そこに、物理や数学にも興味があるという生物系の学生が加わって一緒に始めたのです。

―どのようにして前ガン細胞が増えていくのですか。

腸や皮膚の表層にある上皮組織は、基本的には六角形の細胞の集合体です。それぞれの細胞が周囲の6個の細胞と接着して、多細胞のネットワーク構造を形成しています。前ガン細胞は、この構造のなかに割り込んでいきます。細胞には、六角形よりも七角形、七角形よりも八角形、というように角数が大きくなればなるほど面積が大きくなるという性質があります。前ガン細胞は常に角数を増やして優先的に“領地”を大きくし、周囲の正常細胞の角数は減って小さくなって死んでいきます。前ガン細胞は細胞分裂を介さずに面積を広げ、周囲の細胞を殺して乗っ取っていくことがわかりました。
私たちの研究グループが担ったのは、正常な多細胞組織のなかに前ガン細胞が混ざった状況を、コンピュータシミュレーションで予測することでした。その後、実験チームによって、ショウジョウバエを用いた生態実験でこの予測の正しさが証明されました。

―細胞の変化をコンピュータモデルで予測した、ということですよね。

そうです。実は当初、実験チームが多忙だったり、この研究の優先順位が低かったために、あまり前に進まなかったのです。そんなとき、学生が「前ガン細胞と正常な細胞を混ぜたらどうなりますか?」と素朴な疑問を持ちました。じゃあ、卒業研究としてそのシミュレーションをやってみようか、ということになったのです。
実は、細胞は泡に形状が似ています。泡のなかを満たしているのは空気で、細胞にはタンパク質やDNAが詰まっている。このように中身は違っても、多角形の形状の性質が共通していることは物理の世界では40年ほど前から知られていました。そこで泡の性質を参考に、作った数式をベースにしてシミュレーションしたのです。
このシミュレーションの結果を実験チームに見せたら、「もっと調べるべきだ」と急に熱量が上がりました(笑)。研究のスピード感が急に増したのはここからです。

“リアリティ”が持てれば異分野の共創は進む

―ビジネスの世界でも、部署横断のプロジェクトではそれぞれ“本業”が忙しく進まないことがあります。なぜ、急に熱量が上がったのでしょうか。

これは正直、よくわからないのですが、相手が“リアリティ”を感じてくれたからだと思います。私たちはいつもコンピュータ上の仮想の生物について語っているのですが、実験の研究者は自分が扱っている生き物のことを常に考えています。リアリティが持てるモデルを作れれば、ほかの分野の人と同じ土台の上で議論できますから、研究が進むというわけです。このケースでいえば、私たちが作った泡をベースにしたモデルが、普段彼らが見ている細胞の形と似ていたためにリアリティを持ってくれたようです。
私も、熱量が上がるときはやはりリアリティを感じたときです。データがあるんですが、何か料理できませんか、というような共同研究の誘いにはあまり興味が持てない。

―人事の世界でもAIやデータを活用したロジカルな人事が注目されています。机上のシミュレーションとリアリティベースの現場人事との軋轢や葛藤と、構造は似ているように思います。先生にとってリアリティとは、どのようなものですか。

生命現象の裏側に数学的法則が見えるかどうか。たとえば、我々の指が5本であるように、桜の花弁は5枚。植物の根の先端の形は錦帯橋と同じ。一見大きく異なるものを同じ数式で表したい、という思いは持っています。
まったく異なるものであっても、形が同じであれば共通した性質を持つ、というのは根拠のない仮説ですが、機能的に優れているから進化しやすかった、ということがあるかもしれません。ですから、一見異なる生物と非生物だけれども、コンピュータシミュレーションを使うことで共通性を発見したい。そして、その生物がなぜそのような構造を持つに至ったのかを解き明かしたい。生きていくうえで安定的であるための生物の構造が、人間が知恵を絞って作った非生物と同じ構造になったのであれば、とても興味深いですよね。

Text=入倉由理子Photo=宮田昌彦 Illustration=内田文武

After Interview

研究者の多くは早い段階でやりたいことを見つけ、好奇心に忠実に研究に没頭したからこそ今がある。そんなイメージが強い。しかし、藤本氏の歩んできた道は、コイントスが象徴するように常に試行錯誤だった。両利きの経営では、“知の探索”と“知の深化”をバランスさせることをイノベーションの源泉とする。藤本氏も研究領域を限定する前に、知の探索によって幅を広げ、いくつかの出会いと気づきを経て知の深化をバランスさせ、数々の実績を残してきた。
藤本氏のキャリアを語るうえで指導教員の存在は外せない。自由奔放なゴールの見えない知の探索への寛容さが、藤本氏のキャリア支援につながったのは間違いない。理論生物学の世界で成果をあげる藤本氏が学生の素朴な疑問に耳を傾け、「それ、やってみようか」と面白がって共に始めた研究が実を結んでいく様子は、“人は育てられたように育てる”を体現している。藤本氏の今後の活躍はもちろん、後進の活躍にも期待が高まる。

聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)