極限のリーダーシップ経営者 山本久美氏

突然の夫の死と社長就任。不安な気持ちは今でもある。でも私のやり方で進んでいく

w158_kyokugen_001.jpgPhoto=波多野功樹

「世界の山ちゃん」といえば、ピリ辛の「幻の手羽先」で知られる居酒屋チェーンだ。名古屋を中心に首都圏や関西、さらにはアジアにも進出し、現在約90店舗を展開する。1981年に創業し、会社を導いてきたのは山本重雄氏。カリスマ的な存在感で従業員を束ねてきた。しかし2016年8月、自宅で倒れ、59歳の若さで急逝する。
山本久美氏はそれまで、夫の重雄氏を支える妻として、そして3人の子どもを育てる母として毎日を過ごしてきた。「突然のことに呆然としました。主人は『僕が悪いようにはせんから』が口癖だったのに、いちばん悪いことになっちゃったじゃない……と」と、久美氏は振り返る。
さらに、重雄氏の葬儀を終える前から、会社をどうするかという問題が久美氏にふりかかる。重雄氏はまだ若く、後継者と呼べる人は社内にはいなかった。久美氏にしても会社との接点は、毎月発行する店舗向けの壁新聞「てばさ記」をつくることだけ。重雄氏から会社のことを聞いて手作りするのが習慣だった。

ふと気づいた会社への想い

重雄氏が懇意にしていたある取引先からは「久美さん以外に社長をやれる人はいない」と言われたが、「私は会社も大事だけど、子どものほうが大事だから社長なんてやれないと、一度はお断りしました」という。葬儀の直後から多くのコンサルタントが後任者の推薦や経営統合の話を持ち掛けてきた。重雄氏と親交が深かった人々からは「経営に関しては何でも自分たちが力になるから久美さんは自宅でハンコだけついてくれればいい」とも言われた。毎日さまざまな話が舞い込むなか、久美氏が感じていたのは「外から人が入ってきて、もしも利益第一の経営になってしまったら、夫が大事にしてきたアットホームな風土が壊れてしまうかもしれない」という迷いだった。
葬儀から数日経ったとき、久美氏は毎月恒例の「てばさ記」の作成にとりかかろうとした。社員からは「今月は中止にしましょう」と提案された。「そこで『ありがとう。そうさせてもらいます』と言うのが普通でしょうが、なぜか『それはお客さまへの配慮ですか? 私への配慮ですか?私への配慮なら要りません。書きます』と言ってしまったのです」
そう言ってから久美氏は、自分には、自分で思っていた以上に会社やお客さまへの愛がある、ということに気づいた。「これをきっかけに、自分が代表を引き受けるしかないと考えるようになりました」。夫の死から約10日後の決断だった。

w158_kyokugen_002.jpg久美氏は結婚して以来、店内の壁新聞「てばさ記」を手作りで毎月発行。写真は重雄氏が亡くなった直後に作成したもの。重雄氏の空を飛んでいくイラストに「次はどこに店を出そうかなぁ…? 空からさがしてみよう」と書いた。

カリスマ不在の組織を変える

久美氏の代表取締役就任以前、会社の重要な意思決定はすべて重雄氏が担っていた。「会長(重雄氏)が何もかもを決めていたので、組織には指示待ちの部分がすごくありました。何か問題が起こっても会長が出てきてくれれば何とかなるという感じでした」。しかし、重雄氏はもういない。そこで久美氏は最初に社員にこう伝えた。「私もわからないことだらけですが、ここから一生懸命一つひとつ覚えていきます。みんなもこれからは、自分たちで決めて自分たちで責任を取る、と腹を括ってほしい」。ともすれば空中分解が起こりかねない状況で、久美氏の一言は「亡くなった会長に恥をかかせるわけにはいかない」と、全員を奮い立たせた。
こうして走り始めた新体制だが、その後もコンサルタントや取引先からさまざまな話を持ち掛けられた。親切心からのアドバイスもあれば、下心のある話もある。「判断を急げ、急がないとたいへんなことになる」と迫られることも少なくなかった。もちろん、判断の機を逸して会社を潰すようなことがあってはならないという焦燥感はあったが、冷静に会社の様子を観察した久美氏にはある確信があった。「会長がいなくても、店舗は自立できている。店がしっかりと営業できているのだから、体制が整うまで本部が多少の足踏みをしたとしてもこの会社は大丈夫」。そこでまずは新規出店を最小限に抑え、利益を圧迫しないようにした。「ケチケチ戦法です」と笑って振り返る。
久美氏がつくり上げたのは、1人の強力なリーダーがいなくても成長できる組織だ。幹部社員には「以前のようにトップダウンでものがおりてくると思ってもらっては困る」と伝え、それまで店舗を運営する営業部と兼務していた経営企画や人事、財務といった機能を切り離して専任者を立てた。「よく知らないとか、深くはかかわらないという状態をなくして、スペシャリストになろうと声をかけていきました」
経営を引き継いで3年。今では国内外で新規出店も進めている。「でも、私は代表であっても、今でも社長を名乗ってはいません。社長というのは、すべての時間を会社のために使える人がやるべき、と思うからです。そういう人が育ってきたらいつでも代表を交代したいと思っています」

Text=木原昌子(ハイキックス)

山本久美氏
エスワイフード 代表取締役
Yamamoto Kumi 静岡県静岡市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知教育大学卒業後、小学校教師として働く。中学時代から大学卒業までバスケットボールに打ち込み、教師時代には小学生のミニバスケットボールクラブチームのコーチを務め、全国優勝に導いた実績を持つ。2000年、居酒屋「世界の山ちゃん」などを展開するエスワイフード創業者・山本重雄氏と結婚。2016年8月、重雄氏が急逝。翌月から現職に就く。小学生・高校生3人を育てる母でもある。