若者の時代近藤龍一氏(科学作家)

物理学も数学も独学。「好き」こそがすべての学びの原動力

Kondo Ryuichi2001年生まれ。東京都内私立高校1年生。1歳から本を読み始め、9歳で偶然出合ったホーキング博士の本から量子力学に興味を持つ。以来、あらゆる関連本を読み、独学で量子力学を学び、12歳で原稿用紙400枚分におよぶ量子力学の解説本を書き上げる。2017年、『12歳の少年が書いた量子力学の教科書』(ベレ出版)として出版され、注目される。

2017年7月に出版された『12歳の少年が書いた量子力学の教科書』。難解な「量子力学」の解説を執筆当時「12歳」という年齢でまとめあげた事実と、物理学者も認める内容の正確さとわかりやすさで話題となった。その著者、近藤氏は現在16歳の高校1年生。10代でそのずば抜けた才能を発揮し、1冊の本を書き上げた、その原動力は何か。

聞き手=清瀬一善(本誌編集長)

― 著書『12歳の少年が書いた量子力学の教科書』は物理学の創生の歴史から最新の量子力学の理論までが網羅されています。近藤さんが大学で学ぶレベルの物理学をどのように学んでいったのか、どのような思いで本を書かれたのか興味を持ちました。まず、この本はどのような本か教えてください。

目指したのは、量子力学の入門書と専門書の間となるような、「中間本」というものです。
難しいイメージの量子力学が、漠然としたものから、より具体的になるような。いろんな量子力学の本を読んできたけれど、それでもよくわからないという人にとって、知識の点と点を埋められる本にできたらいいな、と考えて書きました。その点ではほかにはない本になっていると思います。量子力学を学びたいと思った人なら年齢を問わず、誰でも読者になるはずです。

― そもそも、近藤さんはなぜ量子力学に関心を持つようになったのですか。

世界の物理学者の写真の切り抜きが敷き詰められた近藤氏の勉強机。物理学に興味を持つきっかけとなった本『ホーキング、未来を語る』には、赤ペンでの書き込みがびっしり。

まず物理学に興味を持つきっかけになったのは、9歳のときに図書館の廃棄書籍を見ていて、偶然手に取ったホーキング博士の本でした。物理の世界では自分の常識では考えられないことがあるということが衝撃的でしたね。たとえば、時間はどこでも一定だという概念が普通だと思っていたのに、時間も空間も伸び縮みするものだという。これは面白いなと思い、そこから物理学の独学を始めました。

― 本を書くほどまでに近藤さんを夢中にさせた物理学の魅力とはどんなところにあったのでしょうか。

物理には、自然の姿を簡潔な数式で表すことができる美しさ、いろんな現象の真理を導き出せる楽しさがあります。知れば知るほど、物理を通じてこの世の法則を知りたいという思いが強くなりましたね。
独学の途中、数式がわからなくて苦労しましたが、自然を言葉で記述するには数式しかないことがわかってからは、数学も独学しました。あくまで物理を理解するための数学ですが。

― 数学オリンピックなどへの興味はないのですか?

数学の難しい問題を解く快感を追い求めているわけではないので、あまり興味を持っていないんです。

― 完全に独学で大学レベルの高度な知識を得るのは大変なことだと思うのですが。

勉強という意識はあまりなくて、遊びという感覚ですね。とにかく物理が面白くて好きだというのが今でも変わらない原動力です。
もともと本が大好きなんです。小さい頃から本をたくさん読むように育てられて、母によると、1歳くらいのときから本を読み始めていたようです。絵本からスタートし、図鑑、つぎに地理や天文学の本に夢中になりました。身近なものよりも、遠くにあるものが好きで、日本の地理よりも世界の地理、今生きている動物よりも古代の恐竜に興味を持っていました。小学校にあがってからは、近所の図書館4カ所から貸し出し冊数いっぱいまで本を借りてきて、文学から哲学書までジャンルを問わず読み漁っていましたね。

入門書と専門書をつなぐ量子力学の「中間本」を目指す

― 量子力学の「中間本」を目指したということですが、このようなコンセプトの本を書こうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

僕自身、いろんな本を読んで物理を勉強していたのですが、そのなかで、入門書と専門書では内容の飛躍がとても大きいと感じていました。入門書はわかりやすいのですが、厳密な物理の説明ができていない。知識を深めていくと、「本当にこう考えていいのかな」と不安になってくる。ところが専門書になると突然数式が出てきて、とたんに難しくなる。その数式も、結果の式が既知のこととして書かれていて、そこに至るまでの思考の過程が見えてこない。この2つの間を埋めようと思いついて書いたのがこの本です。
もともと自分の習得した知識を、家族や友人に教えることが好きだったので、原稿を書くときもそんな感覚で、あまり悩むことなく6カ月くらいで書き上げました。原稿用紙に鉛筆書きでしたが(笑)。

― 研究志向の強い人のなかには、他人に教えることが苦手、興味がないという人も少なくありません。近藤さんのように、教えることが好きという人は希少な存在だと思います。

僕は、物理学においては、「研究する」と「伝える」ことは同じくらい重要であるといってもいいと考えています。なぜかというと、物理学は自分の研究が自分の世代だけで終わらないものがほとんどだからです。あとの世代に引き継いでいかなければいけないものなんです。ですから、100年、200年先を見据えて、今、物理がどれだけ面白いのかということを伝えるのも大事なことだと思うんです。
そういう意味で米国の物理学者ファインマン(*)は、尊敬する物理学者の1人です。彼は一流の研究ができて、ノーベル賞もとれて、いい教科書が書けて、面白い講義ができる。打楽器のボンゴの名手としても有名だったようです。最高ですよね。

自力で出版社に原稿を売り込み、晴れて本に

― この本が出版されるまで、苦労されたことはありましたか?

中学受験が終わった小学6年生の冬から原稿を書き始め、できあがったのが中学1年生の秋でした。自分の頭で整理したことを書いていくだけなので、原稿を書くことはそれほど苦労しませんでした。
けれど、出版社への売り込みは大変でした。最初はやり方もわからなかったので、これまで読んでいた物理学の本の出版社にアポイントをとって、直接自分で原稿を持ち込みました。でもほとんど門前払いに近い感じでしたね。「会社の方針で持ち込み原稿は受け付けない」「原稿を送ってもらっても送り返すしかない」と言われ、相談にものってもらえず、ヘコむこともありました。でも必ずどこかにこの価値を感じてくれる出版社があると思っていました。原稿ができあがってから1年ほどが経った頃、最後の手段だと思い、これまでとは違う出版社13社に企画書とプロフィール、原稿の一部を添えて郵送したんです。そうしたら3社から連絡がきて、そのなかの1社で出版が決まりました。

― 売り込みをすべてご自身でされていたのですか?

はい。全部1人で。
実際に刷り上がった本を見たときはうれしかったです。著者に自分の名前が載っているのっていいな、と(笑)。本が好きだったので、いつか自分が書いた本を出版してみたい、という気持ちもありましたし。

座右の銘は「我思う、故に我在り」

― 難しい問題に取り組むときなど、問題解決の糸口を得るために普段から心がけていることなどはありますか?

部屋には手作りのホワイトボードがある。そこに数式を書きながら考えるのが、近藤氏の日常だ。

物理学はいろんな方面からのアプローチが大切で、センスも必要です。ですから、幾何学や自然科学などの分野の本も読んで幅広い知識を持つことが大事だと感じています。また、文学や哲学などの教養は、物理学の専門家になる場合でも必要だと思います。僕も昔から文学書や哲学書などをたくさん読んできましたが、実際に考えを巡らせるうえで参考になることがたくさんあります。
デカルトの「我思う、故に我在り」という言葉が好きで、大きく書いて部屋に貼っています。自分の存在意義を疑え、ということは、逆に言えばすべてのものを疑いなさいということ。そういう姿勢が大切なのだと思います。

(*)リチャード・フィリップス・ファインマン/米国の物理学者。1965年、ノーベル物理学賞受賞。
カリフォルニア工科大学の講義をもとにした物理学の教科書『ファインマン物理学』は世界の物理学の教科書のスタンダードとなっている。

Text=木原昌子(ハイキックス)  Photo=相澤裕明

After Interview

12歳で量子力学を独力で理解した天才。近藤氏の著書を読んだ際に抱いた印象はこれだった。しかし、1時間半じっくり話をするなかで、彼の持つ多くの魅力に気づかされた。
最初に驚いたのは、高い自律性だ。独学を「遊び」と表現し、関心を持ったことを深く掘り下げて理解するための努力を惜しまないし、さまざまな分野の本を読むことで自らの世界を広げることを純粋に楽しんでいるため、多様な視点を獲得できている。また、問題発見・解決への高い意欲も持ち合わせている。ただ先人の知を学ぶだけではなく、「既存の教科書や入門書には何が足りないのか」「どうすればよりよくなるか」を考え続けている。そして、彼の最大の強みは、目的を達成するまで諦めない力だ。1つのやり方に固執せず、試行錯誤する。書籍の出版にこぎつけることができたのは、この強みを磨き続けたからだろう。
近年のITの発達によって、「直接会うこと」の価値が疑問視される時代になった。しかし、実際に会って、直接言葉を交わさなければ気づくことが難しい「その人ならでは」の魅力は多い。どの出版社も、一度は近藤氏に直接会ってみるべきだったのではないだろうか。