若者の時代富田望生氏(女優)

人も作品も、運命のなかで出会うもの。そこから生まれる感情を大切にしていきたい。

Tomita Miu 2000年生まれ。福島県生まれ。中学2年生のとき、宮部みゆき原作の映画『ソロモンの偽証』で女優デビュー。以降、映画『チア☆ダン?女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話?』『あさひなぐ』など数々の作品に出演。2018年は5月に初舞台『ハングマンーHANGMENー』、8月に映画『SUNNY強い気持ち・強い愛』、また、Netflixのドラマ『宇宙を駆けるよだか』にも出演するなど活躍の場を広げている。

デビュー作『ソロモンの偽証』で主要人物の1人である浅井松子役を演じ、見る人の記憶に残る演技が話題となった富田望生氏。以来5本の映画に出演、さらにドラマや舞台でも活躍し、注目を集めている若手女優の1人だ。福島県で東日本大震災を経験し、今、女優の道を着実に歩む18歳が輝きを放つ、その理由に迫った。

聞き手=清瀬一善(本誌編集長)

― 数々の映画作品で活躍されていらっしゃいますが、小さい頃から女優を目指していたのですか?

小学生の頃は、ピアノの先生になるのが夢でした。小学3年生のときから習い始めて、ピアノが大好きだったんです。何よりも習っていた先生をとても尊敬していました。2人の小さな子どもを育てながらも、夜遅くまで熱心にレッスンをしてくださり、そのやさしさと強さは私の憧れでした。自然と先生が卒業した高校や大学にも興味がわき、同じような道に進もうと思っていました。
でも、東日本大震災があって、母の仕事の関係で福島を離れて東京に住むことになってしまいました。仲のいい友達や大好きなピアノの先生と離ればなれになることが嫌で嫌で仕方がなくて、東京に行く新幹線のなかで「東京になんか行きたくない。今からでも福島に戻ろうよ」と言って母を困らせたのを覚えています。小学6年生になったときでした。

― 福島から東京への転居は大きな生活の変化だったと思います。

何の前触れもなく突然福島を離れなければいけなくなったことは、大きな衝撃でした。東京に来てから、学校へ通うことも、外出することも、ごはんを食べることさえ自分のなかで腑に落ちない感覚でした。ピアノを習ってもみたのですが、福島で習っていた先生でなければやる気になれなくて、すぐにやめてしまいました。でもある日、「今、私は何もしていないな」と思ったんです。何もしていないこの状況を変えたい。ただそのためだけに、インターネットでたまたま見つけたタレント募集に応募しました。合格してももちろんすぐに仕事があるわけではなかったのですが、週に1回レッスンに通う場所がある、ということがそのときの私にとってはすごく心強かったんです。女優になりたいというよりは、ピアノに代わる習い事感覚でした。

映画をつくる人たちの真摯な姿に引き込まれる

― 本格的に女優の道を歩もうと心に決めたのはいつですか。やはり『ソロモンの偽証』が大きなきっかけだったのでしょうか。

そうですね。『ソロモンの偽証』のオーディションの話があったのは、中学3年生に進級する直前でした。受験もあるので、ここで役がもらえなかったら辞めようと思っていました。でもオーディションでプロデューサーや助監督に初めてお会いしたとき、不思議とすごく距離が近く感じられたんです。強い意志を持って作品に取り組んでいる方とお話しできることがとても幸せで、みなさんを信じられると直感しました。オーディションは、2?3週間にわたるワークショップ形式。そのなかで同世代の人たちからも刺激を受け、徐々に「お芝居をやりたい」という感覚が自分のなかに芽生えたんです。

― オーディションで選ばれ、初めての映画での演技はどのような経験になりましたか?

校舎の屋上から落ちて亡くなった同級生の死の謎に立ち向かう中学生たちの姿を描いた映画『ソロモンの偽証』では、すべての中学生役に新人を起用。ワークショップ形式のオーディションを経て選ばれた。写真右から6番目が富田氏『ソロモンの偽証後篇』
監督/成島出(2015年)写真提供/松竹

『ソロモンの偽証』で松子ちゃんという役を演じられたことは、本当に素晴らしい経験でした。特に監督からは多くのことを学びました。「台本だけに縛られてはダメ、でも、自分の考えだけを押し付けるのもダメだよ」と目を見て伝えられたとき、役者としてのやりがいやプロとしての姿勢を初めて教えられた気がしました。お芝居への意識がガラッと切り替わった瞬間でしたね。そして、この監督ともっと時間を過ごしたい、お芝居を学びたいと思ったんです。『ソロモンの偽証』の撮影現場は、監督から周りのスタッフまですべての人が一生懸命。どのシーンの撮影のときも、ちょっとでも演技が違うと「まだいける、まだいける」と、スタッフ全員が文句も言わず、できると信じて待っていてくれる。そんな環境があったので、自分のすべてを出してやりきったという感覚になれました。
この経験がいろんな意味で私にとって原点になっています。大切なのは一緒に仕事をする人たち。だからそこに一生懸命じゃない人が1人でもいると頭にきちゃいます(笑)。

― その後もたくさんの映画作品に出演されていますね。演じるうえで意識していることはありますか?

演じるときは、一緒に作品をつくっている周りの人たちのためにやるんだ、という気持ちがいちばん強いです。セリフを発して、泣いて、笑って、という演技は全部、共演者やスタッフ皆さんからの影響に私が反応して生まれているものだと思っています。だから私はそれをしっかり演じなければいけないし、同じように周りに影響を与えていかなければいけないという気持ちです。『ソロモンの偽証』では、そうやって自分の感じたことをお芝居として表現していくことがとても楽しくて、同時に難しいということを知りました。だからこそ、これからも努力を続けていかなければいけないなと思っています。

― 『ソロモンの偽証』では、役に合わせて体重を増やしたと伺っています。

体重を増やすのは、原作の役に近づくための方法の1つにすぎないと思っていました。
「チア☆ダン」(*1)のチアダンス、「あさひなぐ」(*2)のなぎなたの練習も大変でしたが、役の女の子たちと同じ感覚をつかむことにつながると思っていたので、苦ではありませんでした。練習をするうちに自分の感覚が変わっていきますが、役の女の子たちも、きっと練習を通してこんな風に変わっていったんだろうなと思うんです。できなくて悔しくてつらいのは、私の感情ではなくて、役の子が感じてきた悔しさ、つらさなんだと。なので、「できなかったらどうしよう」という感覚にはなりません。
役に近づきたいと思って一生懸命やっているだけなんですが、周りの人からは、「望生ちゃんは憑依体質だよね」とよく言われます。『チア☆ダン』のときは、共演した女優さんたちが本当にキラキラしていたので、正直気後れする気持ちがありました。それも自分自身がそう感じたというよりも、演じた役の女の子が内気な性格だったので、演じているうちに気後れを感じたのだと思います。
こうやって役と向き合って生まれたいろんな感情や経験は私の宝物です。

震災で変わったことはすべて運命だと今は受け入れられる

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― 今、震災の経験は富田さんにとってどのようなものだったと感じていますか?

震災を経験して、自分の人生が大きく変わったと思います。
東京に引っ越したばかりのときは、福島の友達のことを信じられなくなったこともありました。福島にいる友達の苦しみをわかったつもりでいるだけなのかもしれないと悩む一方、ちょっとしたことで人を傷つけたり、それが跳ね返って傷つけられることもたくさんありました。自分が人にとても影響されやすい人間だということにも気づかされました。
福島の友達への気持ちの整理がつかないなか、『ソロモンの偽証』の舞台挨拶で福島に行きました。昔の小学校の先生や友達が映画館に見に来てくれたのですが、私自身は自分の道を見つけたとはいえ、やっぱり福島から離れたという事実にさみしさと悔しさがあって......。そのとき、監督が会場に向かって「こいつはこの作品と出合うために福島を離れる運命だったから、よろしくお願いします」と言ってくださったんです。その言葉が私を混乱から救ってくれました。私が演じた役は、出合うべき役だったんだ。そして人との関係も同じで、今は離れてしまっている友達とも、今は離れるべきときで、何年か、何十年か後にきっと楽しく話ができるようになるんだろうな、と思えるようになりました。周りのすべての人がものすごく大切だなと思うようにもなりましたね。

― これからの人生で、目指すものは何ですか?

これからもずっと女優を続けていきたいです。もちろん仕事の後に、後悔したり落ち込んだりすることもありますが、何よりもみんなが一生懸命になって1つの作品づくりに向き合えるこの仕事が好きなんです。
これから出合う作品でも、かかわる人たちとの間でまた違う感情が生まれると思います。そうやって、新しく生まれるものを紡いで残していきたいと思います。

(*1)『チア☆ダン?女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話?』広瀬すず主演の青春映画。全米チアダンス選手権大会を目指す高校のチアリーダー部員としてキレのいいダンスを披露した
(*2)『あさひなぐ』コミック原作の高校のなぎなた部の友情を描いた映画。なぎなた部員として西野七瀬ら乃木坂46のメンバーとともに活躍

Text=木原昌子(ハイキックス)  Photo=相澤裕明

After Interview

富田氏は役を演じる際、ほかの俳優の演技を受け止めて、感じて、反応することを心がけているという。そして、そうすることで、相手にも影響を与えていこうとしている。実はこれは、私たちが日常的に行っていることに似ている。それは、対話だ。彼女は、対話的な演技を通じ、他者の演技(アイデア)と自分の演技(アイデア)にシナジーを起こし、よりよい作品(成果)へと昇華させている。
彼女がこのような演技のスタイルを身につけるに至ったきっかけのひとつは、監督からかけられた「自分の考えだけを押し付けてはダメ」という言葉である。「自分の価値観や主張を無意識のうちに押し付ける」ことは、若者に限らず、私たち大人も犯しやすい過ちである。
対話を通じて、よりよい成果をあげようとするならば、相手に伝わりやすい話し方や言葉の余白のつくり方、そして自分の発言に対する相手の反応を受け止める寛容さを大切にしなければならない、とあらためて感じたインタビューだった。