人事、仏に学ぶ感情的になった社員から悩みを相談されたら

法事などで「南無阿弥陀仏」ととなえたことはありませんか?これは、無限(=阿弥陀)である仏様に帰依(=南無)する、という意味です。
無限の力を持つ仏に比べれば、人間は「有限」な存在です。かの親鸞聖人ですら、自らを「凡ぼん夫ぶ」、すなわち煩悩にまみれた人間だといいました。不完全で1人では何もできず、欲望や怒りにたやすく揺れ動く。それが、人間なのです。
人事担当者や管理職は時に、社員や部下から悩みをぶつけられるでしょう。彼らのなかには、泣いたり怒ったりする人がいるかもしれません。日本企業では職場で感情をあらわにするととがめられがちですが、彼らの感情を否定してはなりません。人間はロボットではなく、感情に左右される存在なのだと受け入れることが大切です。
仏教には、自分を利すると同時に他人も利し、それで丸く収めるという「自利利他円満」という言葉があります。人事担当者には、成果を上げて経営者や上司に評価されたいという思いがあるでしょう。そうした「自利」はあってもかまいません。ただし、同時に「他者の利」を考えよと仏教は教えています。もし、社員が感情をあらわにするほど苦しんでいるならば、彼らに寄り添い、感情をぶちまけた理由を考えましょう。
人事や管理職が1人の社員の言動や感情に真摯に向き合い、問題に向き合えば、社員全員の苦しみを取り払える可能性があります。そうすれば、自分自身が将来ぶつかるかもしれない課題も解決できるでしょうし、同時に、人事や管理職としての成果につながるはず。まさに自利と利他を同時に満たす結果となるのです。
このときに気をつけるべきは、社員や部下が抱える悩みを、あくまで「現実」として見ることです。
釈迦族の王子だったお釈迦様が悟りへの道を踏み出したのは、王城から出たときに生老病死というこの世の苦しみ(四苦)、つまり「現実」を目にしたのがきっかけ。決して、最初から仏教のあるべき姿を想い描いていたわけではありません。人事もいたずらに理想を追うのではなく、逃れられない現実と向き合うこと。そして、その解決に全力を尽くすことが大事なのではないでしょうか。

Text=白谷輝英 Photo=平山諭

三浦性曉氏
浄土真宗本願寺派信行寺僧侶
Miura Syokyo 高校時代に親鸞の法語集『歎異抄』と出合い、仏教の道へ。龍谷大学卒業後に仏教の教えを広める「布教使」となり、40年近くにわたって全国で講演活動を行うかたわら、現在は「寺カフェ代官山」にて老若男女問わずさまざまな相談に乗っている。著書に『お坊さん、「女子の煩悩」どうしたら解決できますか?』(青春出版社)。