人事は映画が教えてくれる『十二人の怒れる男』に学ぶ"正義の少数者"のリスク

集団における意思決定を巧みにコントロールする「正しい主張」を警戒せよ

【あらすじ】スラム街に暮らす18歳の少年が父親を殺した容疑で起訴された。この裁判に集められた12人の陪審員は、暑く狭い陪審員室で審議に入る。評決の条件は全員の意見が一致すること。冒頭で11人は有罪を主張したが、8番陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが、「もっと話し合いたい」と無罪の立場を取る。8番が粘り強く証拠や証言の信憑性を検証していくなかで、偏見や先入観、無関心から有罪を主張していた陪審員たちが、1人また1人と無罪に意見を転じていく。

『十二人の怒れる男』は、「集団凝集性」や「集団による意思決定論」といったテーマで、人事研修の教材に使われることの多い作品です。
父親殺しの容疑をかけられた少年の裁判で、12人の陪審員のうち11人が「有罪」と主張。主人公の8番陪審員は、11対1という不利な状況から、全体の意見を「無罪」へと覆します(あらすじは右下参照)。
陪審員たちは初対面ですが、「全員一致で結論を出さなければならない」という課題を共有しているため、一種の仲間意識(=集団凝集性)が高くなっている。このような集団が、「自分の人生に何の影響もない」事柄について判断する際には、「じゃあ、まあいいか」と、全員が深く考えることなく無責任に結論を出す「集団浅慮」が起きやすい。そして、そこには強い同調圧力が働きます。
しかし、8番陪審員はこれに屈せず、一つひとつの事実を検証して、集団浅慮を切り崩していきます。社会心理学者のモスコビッチは、少数者でも一貫した主張を続けることで多数者の意見を変え、変革を起こしうる(=マイノリティ・インフルエンス)と提唱していますが、まさにお手本のような行動ですね。その姿はまさに「正義の人」です。
さて、ここまでは、一般的な『十二人の怒れる男』の解釈です。しかし、この作品はさらに別の角度からも参考にすることができます。
いったん、8番陪審員の動機や目的は無視して、彼の組織内行動にのみ注目してみましょう。すると、この主人公は「正義の仮面を被った策士」ととらえることもできるのです。
審議の流れを振り返ると、最初に「有罪」だとする同調行動が起きますが、8番陪審員が議論を混沌・葛藤へと導き、最終的に「無罪」で一致するという逆転現象が起きます。そしてここが大事なポイントですが、「無罪」に至るプロセスでも、実は同調行動が起きているのです。
この主人公は、一貫して論理的な印象を与えますが、よくよく検証してみるとずるいところが見受けられます。たとえば、「有罪か無罪かを話し合う」議論の冒頭で、「たった5分で人の死を決めてしまっていいのか」と論点をずらしています。無罪だと主張すれば彼に立証責任が生じますが、それを巧みに回避している。そして、このように「正しいこと」を言われてしまうと、論点がずれていても周囲は反論できません。
このほかにも、主人公は論理ではなく心理に働きかける行動をしばしば取っています。彼は、集団心理をコントロールし、同調行動へと導く術すべに極めて長けているといえます。ここで、「誤った同調行動もあれば、正しい同調行動もあるはずだ」と考える人もいるかもしれません。しかし私は、それには異を唱えたい。
同調行動が起きている時点で、その意思決定は「正しくない」のです。同調行動は組織行動を効率的にします。しかし、もしその意思決定が間違っていたときには、間違った方向に向けて全員で暴走することになる。つまり、同調行動自体が組織にとっては大きなリスクなのです。集団における意思決定で最も大切なことは、「自分たちの正義を信じすぎないこと」だと私は考えます。

8番陪審員は「正義」と「論理」と「心理テクニック」を組み合わせて、多数者を巧みに揺さぶっていく。この手法は会社組織の現場でもしばしば見られるものだ

8番陪審員は映画のなかだけの存在ではありません。たとえば、1990年代、私たちは年功序列や終身雇用を「悪いもの」だと思い込まされました。エビデンスを積み重ねて成果主義の正義を語る少数者が変革を起こしたのです。しかし、その背景には、人件費を下げたいという経営者の狙いもあったはずです。教訓めいた言い方をするなら、「悪魔は正義の仮面を被ってやってくる」のです。
正義を語る少数者に惑わされないために大切なのは、常にその意図を探ること。8番の陪審員がもし、正義の仮面を被った悪魔だとしたら、その魔の手から逃れるには、論理的に考え抜くしかないのです。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

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