人事は映画が教えてくれる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に学ぶ 幸福な下り坂のキャリア

右肩上がりの成功とは異なる2人のミドルの幸福が私たちに示唆するもの

w159_eiga_02_02.jpg【あらすじ】かつてはテレビ番組の西部劇で主役を張るスター俳優だったリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、望むような仕事が得られなくなり、落ちぶれた自分に苛立ち、悩む日々を送る。そんなリックのスタントマンであるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は良き相棒として公私にわたりリックを支えていた。彼ら2人と、シャロン・テート(マーゴット・ロビー)などの実在の人物が交錯しながら、1969年のハリウッドの表と裏が描かれる。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、1969年のハリウッドを舞台に、落ちぶれたかつてのスター俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と彼のスタントマンで公私にわたる相棒クリフ・ブース(ブラッド・ピット)の対照的な生き方を描いた作品です。
最初に言っておくと、この映画を初めて見たときにはまったくおもしろいとは思えませんでした。ラスト以外、劇的な展開は一切なく、深い心象風景が描かれているわけでもない。懸命にストーリーを追って観ていると、肩透かしを食らいます。
しかし、ストーリーそのものに大した意味がないことを踏まえてもう1回観るとまるで印象が変わるのです。読者のみなさんにも、2回観ることをお勧めします。
まず、ブラッド・ピットが演じるクリフがナチュラルでカッコいい。トレーラーハウスで犬と暮らす様子から、彼が経済的に成功していないことは明らかです。リックにマネージャー代わりとして便利に使われ、同じ飛行機に乗ってもリックがビジネスクラスなのにクリフはエコノミー。もう決して若くはないことを考えれば、普通なら不満を感じる状況に思えます。
しかしクリフはそんな現状に対して肯定的で、自己充足的な大人なのです。容姿端麗でケンカも強い(劇中ではなんとブルース・リーと一悶着を起こし、相手に恥をかかせます)クリフは目指そうと思えば俳優としてもっと上を目指せるのではないかと感じさせますが、彼にはそんな野心はありません。リックに対して嫉妬のような感情を抱くこともない。それどころか、時には泣き言を言うリックをなだめ、良き友人として寄り添い、支え続けます。

w159_eiga_01.jpgリック・ダルトンの全盛期、撮影所でインタビューを受けるリック(右)とクリフ・ブース(左)。リックの自信に満ちた表情が印象的だ。

今のミドルの多くは当たり前のように出世を願って、向上心をエネルギー源として生きてきました。向上心にとらわれ過ぎると強い欠乏感や渇望感に苛まれることになり、いつしか劣等感を覚えるようになる。そこには不幸しかありません。しかし、クリフには向上心はなく、その裏返しとしての劣等感もない。このキャリア観、生き様は私たちに幸福なミドルのあり方の一例を示しています。
一方、リックは、まさに右肩上がりを志向し、だからこそ現在の自分の不甲斐なさに苦しみます。酒を飲み過ぎて本番でセリフを飛ばしてしまった失態の後、控え室で癇癪を起こし、「なんで本番前にウイスキーサワーを8杯も飲んだんだ! 何をやっているんだ!」と自分を罵ります。暴れ回り、鏡のなかの自分をにらみつけるリックの姿はみっともないのですが、あのシーンに共感するミドルもいるのではないでしょうか。
その後、リックは血のにじむような努力でセリフを頭に叩き込み、直後の撮影では見事にプロとして演じ切ります。しかし、実力があっても、チャンスは相応に訪れるとは限りません。現実は理不尽です。
結局、リックは自らの限界を自覚し、当初は都落ちのように思えて嫌がっていたマカロニ・ウエスタン(イタリアのB級西部劇)への出演を受け入れます。彼はこのとき、山を登ることだけをひたすら考えていた人生から、下山を楽しむ人生へと切り替えたのです。東京大学名誉教授の姜カン尚サン中ジュンさんの言葉を借りれば、「幸福の基準」を下げたともいえます。
リックのその後については想像を膨らませるしかありませんが、スター俳優として主役を張ることへのこだわりを捨てたリックは、この後、今までにはなかったような役で新たな活躍の場を見出すかもしれない。私はそんな予感を抱きました。
若き日に第二次世界大戦に従軍した経験が転機になったと思われるクリフのように最初から達観することは、多くのミドルにとって難しいことでしょう。だからこそ、リックはギリギリまでもがいた。それがあったから、幸福の基準を下げるという難しい決断もできました。「幸福な下り坂のキャリア」は、その先にこそあるものなのです。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

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