著者と読み直す

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆

半身のコミットメントこそが、『働きながら本が読める社会』をつくる

2024年10月17日

本日の1冊

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』  三宅香帆

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆 表紙「働きだしたら本が読めなくなった」「本を読みたいのにスマホばかり見てしまう」。なぜ、私たちはそんな悩みを抱えるようになったのか。この問いに気鋭の文芸評論家が挑んだ。日本人の労働と読書の歴史をたどりながら、本が読めないほど全身全霊で頑張らざるを得なくなっている現代の社会構造を浮き彫りにする。最終章は働きながら本が読める「半身社会」への提言。読書を入り口に、働き方や生き方を考えさせられる。(集英社刊)

発売後1週間で10万部を突破するなど異例の反響を呼んだ本書。タイトルにハッとし、「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」という帯文にトドメを刺されて、手にする人が続出した。

著者の三宅香帆さんは1994年生まれの気鋭の文芸評論家。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いは、三宅さん自身の体験から生まれた。幼い頃から本の虫で、大学院在学中に『人生を狂わす名著50』でデビューするなど本にどっぷり浸っていた。それなのに、人材企業に就職した途端に読めなくなったという。

「仕事は楽しく、新入社員のプレゼン大会で1位になったりもしたんですが、あるとき、最近本を読んでないなと。特に学生時代好きだった古典や海外文学などにまったく手が伸びなくなりました。週5日、朝9時半から夜8時過ぎまで働いていると、まともに本が読めない。時間があってもSNSや動画ばかり見てしまう。これってどういうことなんだろうと」

結局、本が読みたすぎて3年半で会社を辞め、文筆専業に。ウェブ連載をきっかけにこの問いに正面から向き合った。序章から登場する映画『花束みたいな恋をした』も執筆の刺激になった。

「主人公は、本や漫画などの趣味が合って恋人になった麦と絹というカップルで、麦が就職し仕事に熱中するにつれ、2人の心が離れていくというストーリーです。恋愛映画として話題になりましたが、私が『肝』だと感じたのは、小説ではなく自己啓発書を手にするようになったころの麦が、ゲームアプリのパズドラを虚無の表情でやっているシーンでした。労働と読書が両立しないというテーマが初めて可視化された。私もこの切り口で書きたいと思ったんです」

情報=知りたいこと
知識=ノイズ+知りたいこと

謎解きは、明治以降の読書と労働の歴史を追いながら進む。1980年代まで立身出世や日々の労働に必要な「知識」を与えてくれるメディアだった本。それが1990年代以降読まれなくなったのは、人々が「知識」ではなく、そこから「ノイズ」を取り除いた「情報」を欲するようになったから。本は、歴史や他者の文脈などの「ノイズ」を多分に含んでいるがゆえに読まれなくなった──というのが、大雑把な論旨だ。結論にたどり着くのは第8章。ビジネス書・自己啓発書をよく読む人や若い層からは、「もっと早く結論を出してほしかった」という反響が寄せられた。ミステリー好きの三宅さんにとって「謎解きが最後にくるのは自然」であり、「歴史や読書論・教養論の面白さも届けたい」気持ちもあったが、「歴史の謎解きはあくまでノイズであり本論ではない、と考えた読者もいるのだ」と受け止めた。

自己啓発書の分析も興味深い。自己啓発書は読書離れと反比例的に1990年代以降市場が拡大している。三宅さんはその背景に、日本にも押し寄せてきた新自由主義の波があると見る。

「自己啓発書がなぜこれほど読まれるのか調べる過程で、『ノイズを除去する姿勢』に注目した社会学者の牧野智和さんの論考にすごく納得したんです。自己啓発書に共通するのは、自分の行動というコントロール可能なものに注力すれば、人生を好転させられるというロジック。そこでは他者や社会といったコントロール不能な存在は無視されます。一方、市場原理に基づく競争、自己決定・自己責任が重視される新自由主義の社会において、個人が市場に適合しようとすれば、やはりコントロールできないものを『ノイズ』として除去し、コントロールできる行動に注力したほうがいい。だからこそ自己啓発書は売れ、ノイズを含む文芸書や人文書は読まれなくなったのだと思います」

強化されるノイズ除去の欲求 「全身全霊」から「半身社会」へ

ノイズ除去の欲求はインターネットによってさらに強化された。知りたいこと=情報だけを手早く教えてくれるネットの世界に浸っていると、ノイズだらけの本はますます読めなくなる。三宅さん自身もネットが大好きで「ノイズが邪魔という感覚や、本を読まなくなる人たちにも共感がある」。本書は一貫してフラットな視点で「読めなくなる構造」に迫り、本を読まない人や自己啓発書を批判したり見下したりしない。

最終章で三宅さんは、新自由主義的価値観の内面化と、2000年代に始まった「労働による自己実現」を称賛する風潮が、「本が読めなくなるほど全身全霊で働きたくなってしまう社会」を形作っていると指摘する。

「今は、会社から長時間労働を強いられなくても、働く人自身が『スキルをつけて転職や副業をしなくては』と自分を追い詰め、疲弊している。でも仕事以外に、人生に必要不可欠な『文化』は、読書に限らず人それぞれあるはずです。働きながら本を読める社会、全身全霊じゃなく半身で働ける持続可能な社会を作っていきませんか、というのが私のメッセージです」

三宅香帆氏の写真Miyake Kaho
文芸評論家。幼い頃から読書にハマり、京都大学・同大学院では国文学を研究(専門は萬葉集)。大学院在学中に書いた『人生を狂わす名著50』でデビュー。人材企業勤務を経て独立。エンタメから古典まで幅広く評論し、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『娘が母を殺すには?』など著書多数。

Text=石臥薫子 Photo=今村拓馬