人事のアカデミアチャイナタウン

街の景観から、華人の多様さと結びつきの強さが見えてくる

海外のどこに行っても、たいていの国に歴史あるチャイナタウンが存在する。しかも最近では、高級住宅街、ショッピングモールなど新しい形のチャイナタウンが世界中に生まれているという。その背景にあるのは、グローバルに活躍する中国人のネットワークだ。チャイナタウン形成の経緯と、時代による変化を地理学者の山下清海氏に聞く。

「中華街」ではないニューチャイナタウンが登場

梅崎:最近、池袋に生まれた新しい中華街は「池袋チャイナタウン」と呼ばれ、日本人向けにアレンジされていない「ガチ中華」が楽しめると人気が高まっています。この池袋チャイナタウンの名付け親が山下先生です。長年にわたって、世界のチャイナタウンの研究をされてこられました。

山下:そもそも「中華街」というのは、日本で生まれた造語です。一般的に中国語では「唐人街」、世界的には「チャイナタウン」と呼ばれることが多いです。

梅崎:日本のチャイナタウンといえば、横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街が有名ですが、池袋はかなりおもむきが異なりますね。料理店だけでなく、中国の食材や雑貨を売っている店があり、旅行代理店や法務事務所らしき中国語の看板も多く、より日常的な印象です。

山下:実際、「池袋に新たな中華街が」とメディアで語られるので、行ってみたら中国式の門もお土産店もなくてがっかりした、という声をよく聞きます(笑)。
日本では「中華街=観光地」というイメージが強いですが、基本は生活の場です。もともとは海外に出た中国人が集まって住み、同胞に対する各種サービスを提供する場として、チャイナタウンが形成されていきました。そのなかから、中国以外のエスニック集団や現地社会の人々にも注目され、観光地化した地域も出てきた。つまり、観光地化された日本の「中華街」は、数あるチャイナタウンの一形態にすぎません。その意味も込めて、私はチャイナタウンという呼び方にこだわっています。

梅崎:チャイナタウンにも、さまざまなタイプがあるということですね。山下先生は、街の形成の過程から、古くからのオールドチャイナタウン、近年登場したニューチャイナタウンに分類されています。

山下:中国では文化大革命後、鄧小平が実権を握り、1978年に改革開放路線に舵を切りました。海外資本の積極的な導入、市場経済への移行など、経済の近代化を図る政策です。それまで制限されていた私的な出国が認められるようになり、出稼ぎや留学で海外に出ていく人が増えていきます。改革開放後に海外へ渡った中国人を「新華僑」、これに対して、主に貧困や政治的な理由で改革開放前から海外に出ていた中国人を「老華僑」と呼びます。
増加する新華僑は、老華僑が作った既存のオールドチャイナタウンに入り込むほか、別の地域に集まって住むようになり、ニューチャイナタウンに発展していくケースも出てきました。

梅崎:日本でいえば、横浜、神戸、長崎などがオールドチャイナタウン、池袋がニューチャイナタウンですね。

山下:そうです。池袋はもともと日本語学校が多く、歓楽街があって留学生・就学生のアルバイト先にも事欠かなかった。また都市再開発が遅れたため、駅から徒歩圏内に家賃の安いアパートが多く残されていたので、新華僑が入りやすかったのです。
その後、池袋で暮らしていた新華僑が家庭を持ち始め、より広い部屋に住みたいと、郊外に出ていくようになりました。最近では、埼玉県の西川口にも中国人が多く住むようになり、私は池袋に次ぐ第2のニューチャイナタウンとして注目しています。

梅崎:そのほか、海外でいえば、どのような形態のチャイナタウンがあるのでしょうか。

山下:オールドチャイナタウンはダウンタウンに形成されることが多いのですが、たとえばアメリカやカナダでは、ビジネスで成功した新華僑が郊外に移り住み、高級住宅街を形成しています。南アフリカでは、新華僑が経営する店舗が集まるショッピングモール内に居住・生活のスペースも設けられているケースがある。治安を守るためにゲートで囲まれており、ガードマンが警備しています。


w182_academia_Ikebukuro,chinatown.jpg池袋駅西口(北)界隈には、中国料理店のほか食品スーパーや書店、旅行社などが集まる。

地縁・血縁を頼りに国境を超えて結びつく

梅崎:世界に多くのチャイナタウンがあるということは、それだけ各国に進出している中国人が多いということでもあります。私の世代は「華僑」と習いましたが、最近その表現はあまり使わないのだとか。

山下:「華人」という表現を使います。今では学校でもそう教えています。歴史の教科書では過去の経緯に触れる関係で「華僑」が用いられていますが、地理の教科書では「華僑」から「華人」への変化について説明されています。
「僑」という字は中国語で仮住まいを表し、華僑は、いずれは中国に帰る一時的滞在者という意味で使われてきました。中国の交易や海外進出など、中国人の海外移住の歴史は古く、植民地時代の東南アジアなどでは、支配国と植民地の中間的立場で経営手腕を発揮し、農業中心の社会のなかで商売を営むなどしてきました。
それが第二次世界大戦後に植民地が独立し、1949年に中華人民共和国が成立すると、事情が変わってきます。社会主義体制に変わってしまった故国に戻らない決断をする人も増え、現地への定着化が進みました。しかし、現地の住民のあいだでは、「中国人は植民地時代から甘い汁を吸ってきた」「ここにいるのは金儲けが目的で、なにかあればすぐ外国へ逃げ去るに違いない」といった偏見が根強く残っていた。そこで、この土地で生きることを決めた中国人たちは、自分たちのことを一時的滞在者を意味する「華僑」ではなく、「華人」と主張するようになったのです。

梅崎:現地住民からすると、中国人は、共同体の外からやってきて、知恵を働かせてうまいこと儲けている商売人というよくないイメージがあったんでしょうね。商売自体は悪いことではないし、むしろ社会にとって必要な機能だと思いますが。

山下:そうですよね。中国人は非常に起業家精神が旺盛だと感じます。池袋で商売している人たちに話を聞いても、仲間同士で共同出資し、複数の店を経営していたり、料理店だけでなく、同時並行で貿易や株式投資など幅広く手掛けていたりする。やってみてうまくいかなければ、すぐ切り替えて新しい商売にチャレンジします。発想も非常にグローバルで、「スペインでの商売がいまひとつだから、次は南米のペルーかチリに移ってスーパーマーケットをやろうと考えている」などと言っている人もいました。

梅崎:まさにグローバル社会を生き抜くお手本みたいなフットワークの軽さです。そのベースにあるのが、地縁・血縁の強さだと思います。ご著書に書かれていましたが、華僑の故郷という意味の「僑郷」のネットワークは今も健在でこうしたつながりがあるから、国境も関係なくグローバルに移動できてしまう。

山下:おっしゃる通りで、スペインにいながら南米の情報をどのように得るかといえば、地縁・血縁のネットワークで信頼の置ける人から聞いた話です。インターネットの情報や世間の噂はむしろあまり信じていない。
中国は広大な国で、地域差が非常に大きいのです。言葉も方言というよりも外国語くらい異なり、北京語と上海語と広東語とでは通訳なしに会話できません。南のほうの広東人からすると、むしろマレー語のほうが覚えやすかったりします。食文化もかなり違い、たとえば餃子は北のほうの料理で、南のほうは米を主食としています。海外の華人社会も、こうした方言集団が中心となって形成されてきました。

梅崎:海外に出て故郷の味が懐かしくなると、チャイナタウンにある同郷の中国料理店に通ったりするのでしょう。

山下:そうですね。もちろん現地の社会に合わせてアレンジされるなど、食文化も変容していきますが、店名やメニューを見ると、経営者の出身地域が透けて見えてきますね。

梅崎:ただ、時代の変化もあり、若い人たちのあいだでは伝統的な地縁・血縁への意識は薄れつつある。新華僑では、どの大学の卒業生か、どの大学に留学したかなど学縁を重視する人も多いそうですね。

山下:そのため、新華僑と老華僑のあいだの摩擦も起きています。老華僑は地縁・血縁の結びつきをもとに相互扶助の会を作り、住民との交流を重ねながら現地社会に受け入れてもらう努力をしてきました。最近では会の活動に興味を示さない若い人が増え、会費を取られることを嫌がる新華僑も出てきています。
そのなかで横浜中華街発展会協同組合は、老華僑を中心に、新華僑や日本人商店主などを巻き込んで街を盛り上げる活動を続けています。地道な働きかけの成果で会員数も増えており、今後のチャイナタウンのよいモデルになるのではないかと期待しています。

w182_academia_real,chinatown.jpg「ガチ中華」が味わえる料理店も多い。店名やメニューから出身地が推測できるケースも。

街歩きを楽しみながら地域への理解を深める

梅崎:山下先生は人文地理学がご専門ですが、地理学は総合的で魅力的な学問ですね。フィールドワークも多く、景観観察などさまざまな手法が確立されていて、非常に興味深いです。

山下:地域調査ですから、文献収集やデータ分析などのデスクワークだけでなく、フィールドワークも行います。フィールドワークでは、景観観察を最も重視します。景観にはその土地の変化や特徴が表れるので、常に地図を見ながら現地を見て歩き、気づいたことをどんどん地図に書き込んでいくのです。たとえば私がニューチャイナタウンとして注目している西川口近くの団地では、洗濯物の干し方ひとつにも、外国人が増えていることがうかがえます。日本人と違って布団を外に干さないとか、雨が降ってきても急いで取り込んだりせず、放っておくことが多いとか、いろいろなことに気づきます。

梅崎:高校までに習う地理のイメージとはまったく違います。

山下:日本では旅番組も人気ですし、実際に食べ歩きをしたり、地図を見ながら山に登ったり、乗り物に乗って写真を撮ったりするのも、すべて地理なんです。暗記科目とは違う、地理の楽しさを伝えられたらうれしいですね。

梅崎:チャイナタウンというテーマを設定することで、1つの地域だけでなく、世界が見えてくるのもおもしろいですね。一口に華僑・華人といっても、多様な人たちが含まれていることがよくわかります。

山下:華人に対しての差別・偏見はいまだにあります。正しい知識を持って、相互理解が進んでいけば、日々の生活でも、ビジネスをするうえでも、助けになるのではないかと思います。

梅崎:まずは、池袋チャイナタウンに足を運んで、多様な料理を楽しんでみるのもいいですね。身近なグローバル理解の第一歩になるのではないでしょうか。

w182_academia_chinese,cuisine.jpg撮影協力:四季香 池袋北口本館

Text=瀬戸友子 Photo=今村拓馬、刑部友康(梅崎氏写真)

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山下清海氏
Yamashita Kiyomi
筑波大学名誉教授
専門は、人文地理学、華僑・華人研究。1951年、福岡市生まれ。筑波大学大学院地球科学研究科博士課程修了。理学博士。秋田大学教育学部教授、東洋大学国際地域学部教授、筑波大学生命環境系教授、立正大学地球環境科学部教授等を経て、現職。

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人事にすすめたい本
『華僑・華人を知るための52章』 (山下清海/明石書店)
世界各国のチャイナタウンを自ら歩き続けて40余年、観察と研究を積み重ねてきた地理学者が、華僑・華人の歴史と今を語り尽くす。

梅崎修氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

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