人事トップ30人とひもとく人事の未来アサヒグループホールディングス 執行役員 日本統括本部 人事部長 加賀屋睦氏

一隅を照らすことで全社員を輝かせる それが人事の使命だ

聞き手/奥本英宏(リクルートワークス研究所 所長)

奥本 今回、御社の統合報告書を読んだのですが、人材に関連する記述が多いことに驚きました。2018年に策定された新しい理念でも「会社と個人の成長の両立」と謳っていらっしゃいます。あらためて、アサヒの会社と個人をつないでいる価値観とはどのようなものでしょうか。

加賀屋 我々の最大の強みとなっているDNAは、「革新と挑戦」を尊ぶ価値観です。しかし、そのDNAが変わらずに受け継がれているかどうかは、心もとないというのが正直なところです。これまでのアサヒは良くも悪くも「右向け右」が得意な会社でした。このパワーを強みと捉える一方で、型を強制せずに、各人の発想も同時に大切にしようとしています。統制と多様性のバランスをどうとっていくのか、これからが試行錯誤のスタートだと考えています。

人と人とのつながり強化を縦だけではなく横でも

奥本 具体的に何をされていますか。

加賀屋 社内コミュニケーションの活性化に取り組み、階層や職域など、立場の違う人同士が対話する機会を増やしています。
例えば、全社で提供しているeラーニングで、地域や部門を超えて、同じコンテンツを学習している社員同士をつなげ、一種のラーニングコミュニティを作ることを推進していきます。資格やスキルの取得を目的にしたプログラムなどでは、コミュニティ内で励まし合うことによって学習効果を高めようとしています。

奥本 eラーニングは孤独になりがちですから、いい試みですね。御社といえば、新入社員が指導役の先輩社員から仕事のイロハを学ぶ「ブラザー・シスター制度」が有名です。こちらは縦のコミュニケーションですが、さらに横が必要だと。

加賀屋 そうですね。実はわが社は、部門横断で仕事をする機会があまり多くありません。選抜研修で他部署の社員と出会って、「うちにそんな仕事があるんですか」と互いに驚くほどです。革新を生むには異質な知が重要です。そのためにも、横のコミュニケーションを活発化させる必要があります。

奥本 そこから新規事業が創出することも期待されるわけですね。

加賀屋 はい。同時に、イノベーションを加速させる必要性も感じています。そのため、次世代リーダー育成の場である選抜研修では、最後の事業提案の場に新規事業や経営企画担当部署に出席してもらうようにしています。単なる研修成果の発表で終わらせずに、そのまま新規事業として走り出せるプランに高めてほしいというねらいです。

受けた恩を次世代につないでいく文化

奥本 アサヒという組織には地力がある。人を育てる力が強い。そう常々感じています。それはどこから来ているのでしょうか。

Asahi_sub.jpg加賀屋 もともと人好き、世話好きの社員が多いからではないでしょうか。恥ずかしながら私の話をすると、入社4年目の年末、仕事納めの日に人事発令情報が逆流してしまった。大失態です。昼過ぎ、相手先にお詫びするため、その人の自宅に向かいました。あいにく不在で、手紙を残して自分の寮に帰ったのですが、そこには、私のことを心配した上司が待ってくれていたのです。ここまでしてくれるんだと胸が熱くなりました。
受けた恩は組織内に返さなければならない。そうしないと、うちでは「人でなし」になってしまう(笑)。その感覚は、私を含めた多くの社員が共有しています。

奥本 それが自分以外の人の面倒を見る、という行動につながって、組織の隅々で人が育つ秘訣となっているのでしょうね。冒頭でおっしゃっていた、革新と挑戦のDNAは本当に受け継がれているか、という点について、貴社の育てる文化にこれを加える施策も始めていますか。

加賀屋 次世代リーダー候補を早期に選抜し、成長を目的とした異動を行うのは既に実施していますが、2020年に選抜型研修を拡充し、20代の若手向けにも始めました。具体的には毎回ハードな課題が課されるミニMBA的な講座を作り、手挙げ制で参加者を募ることにしたのです。

奥本 若手の育成を重視するのには理由がありますか。

加賀屋 鉄は熱いうちに打て、ということに尽きます。管理職から始めるだけでは遅いと。さらには、社内のあちこちに、経営という全体視点で物事を見ることができる人材がいたほうがいい、という考えもあります。

奥本 社内にいる、きらりと光る人材を見つけ出し、様々な機会に触れさせることが大事になりますね。

加賀屋 様々な人事情報の一元管理といった「データベースの拡充」も重要だとは思いますが、わが社の場合、各部門の人事に聞けば、どこにどんな人材がいるかはバイネームですぐに教えてもらえるのも事実です。

奥本 システムに頼らずとも、一人ひとりの社員の生きた情報が人事の頭に入っているのですね。それこそが御社の強みといえると思います。

加賀屋 データベースを作るとしても、入社年、経歴といった客観情報のほかに、例えば「芯が強い」「頑固だ」といった評価情報こそが重要です。 
ところが、この例でいうと、「芯が強い」と「頑固だ」は、同じ気質を一方はポジティブに、もう一方はネガティブにとらえたもの。つまり、その社員のその評価は、いつ、誰によるものか、という情報もあわせて組み入れなければ、本当に使えるデータベースにはなりません。あの上司が、このような環境のときに、このような評価をしたんだ、という形で、データベースに記された文言が本当に意味するところをひもとくのは、現場を見ている各部門の人事の役割ということになるでしょう。

人事施策の影響を数値化し経営に提示

奥本 今後、より強化したい人事の役割があったら教えてください。

加賀屋 経営が扱う情報には、財務情報と非財務情報があります。一方、人事の役割には日々の実務と先読みとがあります。2つを掛け合わせて考えると、「数値による先読み」を強化していきたい。これから行う人事施策が財務、つまり経営のパフォーマンスにどんな影響を及ぼすのか。それを経営に積極的に示していく必要があると思います。

奥本 費用対効果の問題ですね。多くの人事が苦手とすることで、できれば触れたくないとすら思っているかもしれない問題です。
横のコミュニケーションを活発化することで組織を耕し、数字の提示という形で経営に人事施策の有効性を示していく。今、御社の人事で取り組んでいるのは現場と経営の双方に目配りし、全員が生き生きと働ける風土を作っていくことだと認識しました。

加賀屋 そうですね。数代前の当社の経営者が「一隅を照らす」という言葉をよく使っていました。人事は人の目が気づかない片隅にこそ光をあてなければならない。結果的に、それがすべての社員を輝かせることになると信じています。
売り上げや利益を上げることだけが企業の至上命題という時代ではありません。アサヒに勤めてよかった。アサヒという会社があってよかった。社員、そして世間の皆さんにそう思ってもらうため、人事に何ができるか。これからも模索していきます。

アサヒグループホールディングス 執行役員 日本統括本部 人事部長 加賀屋睦氏
1990年、大学卒業後、アサヒビール入社。以後、工場人事から始まり、一貫して人事畑を歩む。2016年3月、アサヒ飲料人事総務部長、2018年9月、アサヒビール人事総務部長(現在も兼務)などを経て、2020年4月より現職。

text=荻野進介 photo=刑部友康