人事トップ30人とひもとく人事の未来セールスフォース・ドットコム 常務執行役員 人事本部長 鈴木雅則氏

社員も顧客も取引先も社会も家族。「オハナ」を基調に信頼関係を築く

聞き手/石原直子(リクルートワークス研究所 人事研究センター長/主幹研究員)

石原 このコロナ禍では、多くの企業が準備のないままにリモートワークを余儀なくされました。御社ではどのような対応をとられたのでしょうか。

鈴木 2020年4月の頭、緊急事態宣言が出る1週間ほど前にリモートワークに移行したのですが、大きな混乱はなかったですね。当社はITによるクラウドサービスを提供する会社なので、各自がリモートでの働き方に慣れているという特殊性があったにせよ、これほどまでスムーズに移行できたことは人事としても驚きでした。とはいえ、経験したことのない事態ですから、社員にも不安があります。そのため、普段から大切にしていることではありますが、特にコミュニケーションは重視しました。グローバルのリーダー陣が毎週のように顔を見せて現下の状況について社員と共有していましたし、アンケートも行っていました。

社員、顧客、取引先、社会、すべてを「家族」と捉える

石原 御社は社員、顧客、取引先、社会全体を「家族」と捉える「’Ohana (以下、オハナ)」という独自のカルチャーをお持ちです。オハナで結ばれた経営と社員との信頼関係は、コロナ禍でも揺るがなかったのですね。

鈴木 不測の事態に陥ったときに会社や人事がとるアクション次第で、会社と社員のつながりを強めることもできると考えています。具体的には、在宅で働くと決まったときに、ヘッドホンの費用として200ドル、机やモニターなど自宅を働く場として整えるために250ドルをすぐに支給しました。また、学校の休校、保育施設の休園への対策として看護休暇の適用範囲を拡大。5万円のベビーシッター代の支給もすぐに決めました。

石原 すぐに手を打ったということが1つのポイントです。

鈴木 こういう施策は「今このとき」というタイミングで打つからこそ、社員は、「会社は自分たちのことを考えてくれている」と感じることができます。そこは重視していますね。

石原 不満が広がってから対応したのでは遅いと。それから費用を惜しまず出すというのも大事です。

鈴木 当初、在宅勤務の期間は2020年11月30日までとしていましたが、2021年7月31日まで延長することになり、250ドルの追加支給も決めました。社員の安全安心をしっかり守りたいという会社のメッセージとして効果的に伝わっていると思います。ただし、今、この段階まではうまくいっているものの、在宅勤務がさらに半年以上延びるとなると、社員に不安が高まるかもしれません。また、仕事と休みとの切り替えも難しくなります。

石原 そこは多くの会社が課題に感じているところです。在宅勤務が続き、多くの人に疲れが見え始めています。在宅勤務期間が終わっても、コロナ前のように毎日出社が前提とはならないのだろうなと薄々感じているのではないかと思います。

鈴木 確かにそうですね。当社でも、コロナ後はオフィスと在宅のハイブリッド型になっていくでしょうから、より細やかな心理的支援が必要になるでしょう。

遠心力が強くなるなか求心力をいかに働かせるか

石原 ハイブリッド型になると、面と向かってコミュニケーションする機会はどうしても減ってきます。この4月に入社した人は一度も出社せずに現在に至っているケースもあります。社内の人間関係が希薄になる懸念がありますが、この問題は中長期的にどう解決していこうと考えていますか。

SF_sub.jpg鈴木 リモートワークだけでなく、例えば、グローバル化や副業の解禁といったことも含めて、今は、多くの職場に「遠心力」が働いている流れにあると思います。これをそのままにしておくと、どんどんばらけていってしまう。在宅勤務で働き方の柔軟性や自由度が高まるのはいいことですが、やはり会社として「人が集まって何かを動かしていく」という部分をなくしてはいけない。そこでどのように「求心力」を働かせるかを考えた場合、いちばん大切になってくるのはやはりカルチャーです。ミッションやコアバリューが紐付いたカルチャーを軸に、しっかりと組織全体をまとめていくことが重要だと考えています。

石原 具体的にはどのような施策をとっていらっしゃいますか。

鈴木 当社には「Chatter」という社内SNSがあって、このツールを介して、リモートで働いている状況でも社員同士が情報交換をしたり、助け合ったりしています。Chatterで、同期のネットワークを作るといったことにも積極的に取り組んでいます。

石原 その社内SNSによるつながりが成立するのも、それぞれがオハナというカルチャーを共有しているからこそということですよね。社員の方々に、「この会社の一員であり続けたい」と思わせるようなカルチャーとは、あらためてどんなカルチャーで、それを浸透させているのはどんなメカニズムなのかを教えていただけますか。

鈴木 この会社での成功ということだけでなく、世の中を良くしていくようなリーダーシップを発揮できる人材を育てていきたいという思いが根本にあります。では、それをどのように浸透させているかということですが、当社はそのカルチャーの浸透に圧倒的な投資をしているのです。新入社員研修(ビカミング・セールスフォース)の1日目、2日目は時間をかけてカルチャーとコアバリューの話をしますし、今年はコロナ禍で実施できていないのですが、例年は多摩川でのゴミ拾いなどの奉仕活動にも取り組んでいます。社会貢献への意識付けを最初の段階でしっかりとやります。新人研修で終わってしまうわけではなく、年7日間、56時間、ボランティア休暇を取得できますし、各部署に社会貢献委員を配置して、社員が自主的・継続的に行動し、オハナのカルチャーをボトムアップの方向からも浸透させる仕組みを作っています。

石原 掲げている言葉と実際の制度、施策の間にズレやごまかしがない、透明性やインテグリティというのはとても大事だと思います。

全社員が会社のカルチャーやビジネスモデルをプレゼン

鈴木 また、求心力を働かせるという意味では、さらに核となっている全社的な取り組みが2つあります。1つは、当社が採用している目標管理手法の「V2MOM」。年2回、リーダー陣が会社の目標を決めて発表します。それを受けて部門、チーム、個人がそれぞれの階層で議論をして、目標を立てることで、全社が1つの方向に迎えるよう意思統一を図っています。もう1つが「コーポレートプレゼンテーション」。会社の戦略、ビジネスモデル、コアバリュー、製品、導入事例をEラーニングで学び、全社員が自分の言葉でプレゼンできるようにし、上司から認定を受けます。経理、法務などの社員も含めて、全員が毎年取り組みます。

石原 会社がそこまでの投資をするメリットは何でしょうか。

鈴木 社員は、成長のために投資されているという感覚を強く持てると思います。それによって会社と個人との信頼関係が築かれることが最大のメリットといえるでしょう。

石原 人事部の名称をエンプロイーサクセスとしているのも象徴的です。

鈴木 人事にとって社員は顧客であるという考え方が根本にあります。こういったワーディングもポイントです。大事なのはエンプロイー・エクスペリエンス。そのためには効果的なタイミングを逃さずに適切なメッセージを発し、しっかりと投資していくことを何より意識しています。

セールスフォース・ドットコム 常務執行役員 人事本部長 鈴木雅則氏
GEとグーグルで人事業務に携わり、人事コンサルタントとして独立。その後、QVCジャパン、ビー・エム・ダブリューを経て、2019年より現職。著書に『リーダーは弱みを見せろ―GE、グーグル 最強のリーダーシップ』

text=伊藤敬太郎 photo=刑部友康