人事トップ30人とひもとく人事の未来東日本旅客鉄道 常務取締役 事業創造本部長 品川開発・人財戦略部・地方創生担当 喜㔟陽一氏

活力溢れる組織から リーダーは自ずと生まれてくる

聞き手/奥本英宏(リクルートワークス研究所 所長)

奥本 国鉄民営化により御社が誕生して以降、従来の鉄道輸送業に留まらず、エキナカやSuicaなど、新規事業に積極的に取り組んできました。あるべき経営者像も様変わりしたのではないでしょうか。

喜㔟 おっしゃる通りです。当社は2018年に、今後の10年を見すえた中期経営ビジョン「変革2027」を発表しました。その核心は、経営の起点を変えたことです。「鉄道の再生と復権」を目的に発足したJR東日本グループは、それまでの30年間、「鉄道インフラ」を起点にビジネスを構築してきました。安全で利便性の高い輸送サービスの提供という使命に変わりはありませんが、想定される厳しい経営環境の変化を踏まえ、「ヒト」起点の経営に舵を切り換えたのです。
あえて「ヒト」にしたのは、多様な意味を込めているからです。一番大切なヒトは国内のお客様と地域の皆様です。事業のグローバル化に伴う、海外の新たなお客様と地域の皆様も含まれます。さらには、株主、投資家も入ります。もちろん、グループ社員やその家族も重要です。

奥本 あらゆる人というわけですね。

JR_sub.jpg喜㔟 そうです。輸送サービスの質を高めながら、生活サービス、IT・Suicaサービスに経営資源を重点的に投入し、そこから新たな事業を続々と生み出していくことにより、収益に占める輸送サービスと生活サービス及びIT・Suicaサービスの割合を1:1にしたいと考えています。
こうした事業変革を推進し、世の中の変化を先取りしながら、新しい挑戦を自ら仕掛けられるリーダーを育てていく必要があります。

内向きを外向きに 「ボトムアップ」経営も進める

奥本 自らの専門知識はもちろんですが、広い視野と深い見識を持っていないとつとまらないでしょう。そういうリーダーを育てるにはどうしたらいいのでしょうか。

喜㔟 課題は多く、まず、社員の意識改革とその活躍のフィールドを拡げるために組織の構造改革が必要となります。鉄道事業では決められたことを、決められた通りにやることが必要です。結果として、社員が内向きになりがちなので、外向きに変えていかなければなりません。何でも自分たちでやるのが一番だという自前主義も強い。これも改め、広く開かれた組織に変えていきたいと思います。
さらに、これまではトップダウンの傾向が非常に強かったのですが、これに対してもボトムアップを強化していかなければならない。自分の創意工夫が形になれば、誰でも嬉しいものです。自分の意欲と能力を活かせる、働きがいのある組織から変革を担うリーダーが生まれるのです。

奥本 改革を象徴する萌芽例はありますか。

JR_sub2.jpg喜㔟 全社的に組織横断プロジェクトを走らせています。これまで、支社などが担ってきた施策の企画とその実現のプロセスに、駅員や乗務員、メンテナンスに従事する社員など、現場第一線の社員にも携われるようにするものです。仕事の進め方の改革にもつなげていきたいと考えています。この9月には、コロナ禍で活力を失った地域を元気づけようと、東京駅と小田原地区のプロジェクトメンバーが連携し、伊豆急行様のご協力もいただいて、伊豆の海で採れた伊勢海老と金目鯛を、特急「踊り子」号で伊豆急下田駅から東京駅まで直送し販売しました。

奥本 それはユニークな試みですね。

喜㔟 業務改革の1つとして、チケットレス化を進めています。当然、駅員の業務は変わりますし、券売機などの必要性も少なくなる。そこで生み出された時間とスペースを使って何をやるのか。駅員自身にも考えて、自ら行動してほしいと思います。

活発な人事交流により 組織を活性化させる

奥本 社員全員に自発的な取組みが求められるわけですね。すると、研修など教育の仕組みも変わってくるのではないでしょうか。

JR_sub3.jpg喜㔟 従来から実施してきた階層別研修のほか、応募型のリーダー育成研修を充実させています。その中心が、40歳未満の主任職層を対象とした「実践管理者育成研修」で、福島県白河市にある研修センターに集まって、2カ月間行われます。このような長期の研修は今では珍しいかもしれませんね。グループ会社の社員を含め、あらゆる職種の人材約300名が一堂に会し、マネジメントの基本や他社の取り組みを学び、グループ討議やリーダーシップに関する演習を行います。
さらに、すべての階層で、グループ会社を含めた他社への出向を増やしています。鉄道関係はもちろんですが、それ以外の事業分野にも関係を広げています。米シリコンバレーのIT企業に行く社員もいます。逆にグループ会社や他社からの出向も多く受け入れています。外向きへの意識改革の一環として、今年度は実施できませんでしたが、長期・短期を合わせて年間約700名の社員の海外研修を実施しています。

奥本 事業を越えて発想し、行動するリーダーが育っていきそうです。

喜㔟 そうですね。以前から人事交流はあったのですが、より活発化したのはここ10年くらいです。
このほか、社員が自ら手を挙げて異動先を希望できる「公募制異動」も実施しています。国際業務、生活サービス、IT・MaaSなど幅広い業務を対象に公募しており、なかには10倍を超える人気の職務もあります。

奥本 事業構造の変革にはグループ会社の力がますます重要になるはずです。それについてはどんな施策を打っているのでしょうか。

喜㔟 グループ会社の経営幹部育成を目的に毎年行っている「JR東日本グループ経営幹部養成セミナー」は、グループとしての一体感を醸成するのにも役立っています。部長コース、課長コースに分かれ、それぞれ役員手前、部長手前の人材に、グループの一員としての自覚を芽生えさせること、幅広い視野を持ってもらうこと、という意味でも効果的な研修だと思っています。その中から既に役員に登用されている人もいます。

「究極の安全」というDNAを継承していく

奥本 多くの企業では、将来の幹部候補となる中堅を早期に選抜し、特別な教育プログラムや育成のための戦略的異動を実施したりする動きが盛んです。御社はどうでしょう。

喜㔟 そうした明示的な選抜型の施策は打っていません。先ほど来お話ししている、組織の構造改革を着実に推進し、社外のさまざまなパートナーの皆様の力も借りながら、新しい価値やサービスを生み出していける人材を数多く輩出していけば、その中から、ふさわしいリーダーが自然に生まれてくると考えています。

奥本 なるほど。環境に応じ、企業は変化すべきですが、変わらず維持し続けるべきものもあります。新しいリーダーが受け継ぐべき御社のDNAは何でしょうか。

喜㔟 私たちは「変革2027」で、グループ理念も修正しましたが、その中でも、「究極の安全」を追求する姿勢は変えていません。私たちが最も大切にすべきものはお客様からの信頼です。そのためには、それを支える「究極の安全」を目指し続けなければならない。様々なことに挑戦しつつも、その大本のところに揺るぎがない。これは、当社のリーダーにはこれからも変わらず求め続けるものです。

東日本旅客鉄道 常務取締役 事業創造本部長 品川開発・人財戦略部・地方創生担当 喜㔟陽一氏
1989年東日本旅客鉄道入社。大宮支社人事課長、経営企画部課長などを経て、2014年人事部長、JR東日本総合研修センター所長。2015年執行役員人事部長2017年執行役員総合企画本部経営企画部長、2018年常務取締役総合企画本部長、2020年より現職。

text=荻野進介 photo=刑部友康