中高年社員ならではのリスキリングの探索医薬品研究者がRPAを習得してデジタル領域の業務へシフト

Dさん(男性、59歳)
製薬会社勤務

ミドルシニアのリスキリングに当たっては、過去のキャリアと異なるデジタル領域への学習意欲を高めることや、職場で活用できるレベルのデジタルスキルを身につけてもらうことに悩みを抱える企業も多い。ここでは、50代後半で自らリスキリングに飛び込んだ男性の経験から、企業が取り組むうえでのヒントを探った。

50代後半でプログラミングスクール入門 Python、RPAを学ぶ

Dさんは約30年間、主に医薬品の安全性を研究してきた。これまでのキャリアと畑違いのプログラミングに関心を抱いたのは2020年12月、中高年を対象としたプログラミングスクール「TechGardenSchool(以下、TGS)」の新聞記事を読んだことがきっかけだ。ただその前から、「今までのキャリアを継続しても、セカンドキャリアは生き抜けないという危機感を覚えていた」という。

当時、Dさんは管理職を降り、研究開発の現場から本社に異動になっていた。多くの企業で、役職定年を迎えた社員のモチベーションの低下が課題となっているが、Dさんも例にもれず「腐っていた」という。「開発途上のプロジェクトからも離れることになり、一時は愛社精神が薄れるほど落ち込み、覇気を失って他人から見ても魅力のない人間になっていた」と語った。

それが記事を読んで、これからはデジタルスキルを学ばなければと「完全に意識のギアが変わった」という。コロナ禍で在宅勤務になり、通勤時間が無くなったので有効活用したいという思いもあった。

TGSに入学後、最初はITリテラシーを学び、次にウェブサイト制作へ、そしてプログラミング言語のPythonや自動化技術のRPAへとスキルレベルを高めていった。自分でエラーを解決しながらアウトプットを出せるようになるまでに1年半から2年かかったが、TGS側の伴走支援もあり、学習内容に関しては難しさよりも面白さが先に立ったという。20代の講師は授業中に「デジタル技術を活用して高齢社会を乗り切る」といった話題も取り上げ、Dさんはこれまで見えていなかった社会課題への考え方に気付かされて新鮮だった。「デジタル技術の魅力や必要性を知り、自分もこの分野で社会に貢献できないかと考えるようになりました」(Dさん)

スキルを生かし職場の業務を自動化 資格取得も自信に

2022年には地域創生のアイデアコンテストに挑戦した。地域経済分析システムで人口動態や産業構造などを分析したうえで、地元空港の活用策を提案し、賞を受賞した。

またDさんはデジタルスキルを学ぶうちに、職場でも「この業務は自動化できるのではないか」と気付くようになる。「50代後半にさしかかり、会社に残るなら若手の足手まといになりたくない、組織にも貢献し続けなければいけない、という思いがありました。年を取れば業務の処理能力の低下は避けられませんが、業務を自動化すれば、シニアも若手社員と同じ速度で業務をこなせます」(Dさん)

Microsoft Excelを新しいファイルにコピーし報告書を作りフォルダに送る、表をまとめてグラフを作成するなどの作業は、Excel VBAやRPAを導入することで、手作業よりも早く正確に遂行できるようになった。 Dさんは、「想像以上にいろいろなことができる」と手ごたえを得て、さらにシステムを作り込み、部署の業務に合った自動化の仕組みを実現した。同僚にも「この作業も自動化できるなんて」と驚かれたという。今は職場でアサインされる仕事内容が、従来の業務からデジタル技術に関する内容へとシフトしつつある。

Dさんは、研究者としても英国留学を経験するなど、もともと学びに対して積極的で、会社が提供するデジタル関連の研修にも参加している。2022年にはG検定の社内研修を受け、検定に合格。翌年はITパスポートとPython3エンジニア認定データ分析の資格も取得した。「G検定に合格できたことが、自信につながりました。試験日という期限を切ることで集中的に学ぶようになり、会社にも結果が伝わるので、一層気を引き締めて勉強することにつながりました」(Dさん)

さらに現在は、社内のDXを牽引する人材として、40人弱の「DX人財研修」の参加者に選ばれ、AIやデータ分析のトレーニングを積んでいる。「私がおそらく最高齢の参加者ですが、年齢の高い社員にも受講の機会を与えてくれたことは、ありがたいと思っています。ただ基本的に会社の研修は希望者の『手挙げ』方式なので、学び続ける人とそうでない人に二極化する傾向もあると感じます」(Dさん)

社外で資格取得者のコミュニティにも参加し、生成AIに関する最新情報や企業の活用事例などを知る機会も増えた。「自分と同じような境遇の人と知り合えて、ビジネスパーソンとしての幅も広がった」という。

成功体験は通用しない デジタルを実装するスキルを備える

Dさんはセカンドキャリアを考えたとき、「自分の成功体験はもう通用せず、たとえ若手に伝えても年寄りの自慢話にしかならない。それならば若い世代と併走できる存在になろう」と決意したという。「将来、本当に不足するDX人材は、実際に手を動かす専門職だ」という見通しもあった。「デジタルへのリテラシーを高め若手を管理する人材は、一般的なリスキリングである程度確保できるでしょう。しかし自分自身の価値はプレーヤーとして現場にデジタルを実装し、成果物を出すことにあると考えました」 (Dさん)

新しく身につけるデジタルスキルに、これまでの医薬品開発のキャリアを掛け合わせることで、ミドルシニアならではの強みも発揮できるという。業務のどの部分をデジタルで代替し、どこを人間の仕事として残すべきかという目利きができるからだ。「デジタル技術のトレンドや限界と、自分の生きてきた業界や組織の両方を理解し、双方の変化を予測して代替のビジョンを描けます。組織への実装を通じてデジタル技術を社会のために役立てることに、シニアの貢献の道があるとも思っています」(Dさん)

ただDさんは、資格を取得することと社会に通用するスキルを備えることは、別だと考えている。「組織に貢献するにせよ社外で稼ぐ力を身につけるにせよ、今のスキルでは不十分です。これからも取得した資格に恥じないよう、勉強を続けます」と話した。

管理職はリスキリングによってDX投資への覚悟が持てる

日本企業では、若手がツールの導入などを提案しても上司がデジタル投資の特性を理解できず投資の稟議が通らない、といったことがしばしば起こり、DXの壁となっている。AIのようなデジタル領域は、製造設備などと異なり、多額の投資をしてもどの程度のリターンを得られるかが予測しづらい。「役員とすべての管理職が、ITパスポートを取得するなど必要な知識を身につければ、『DXへの投資』の本質を理解し、適切な投資判断ができるようになる」と、Dさんは提案する。

人からデジタルへの代替を進めることは、究極的には部内の人員削減や、部署の消失すら招きかねない。管理職は、自分の部署やポストがなくなるかもしれない、という潜在的なリスクを負ってでも、組織のためにDXを進めるという「覚悟」が必要だという。
「たとえ部署がなくなっても、自分はリスキリングによって、新天地に裸一貫で飛び出せると管理職が思えることが、覚悟を後押しするのではないでしょうか」

Dさんの話からは、ミドルシニアがデジタル技術の持つ可能性に気づいてデジタルスキルを獲得すると、仕事に対する情熱を取り戻し、業務改革などで組織や社会への貢献度が高いDX人材になれることがわかる。企業が中高年社員のリスキリングを進める際の大前提として、社員に自分の将来の姿を考えるよう、促す仕掛けが必要だと言えそうだ。そして、DX研修後にミドルシニアが悪戦苦闘しながら業務で実践する猶予期間を十分に持ち、希望者にはより高度な研修の受講や外部の資格取得を奨励すると良いだろう。デジタルスキルに自信を付けたミドルシニアは、これまでのキャリアを生かしながらDX領域で新たな挑戦を続け、職場をリードする人材になることが期待できる。

聞き手:石川ルチア
執筆:有馬知子