頂点からの視座深澤直人氏(プロダクトデザイナー)

1つ山を登ると新たな視界が広がり、
そして、次の高い山が見えてくる

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生活家電、雑貨、インテリアなど、深澤直人氏が織りなすプロダクト群は、その卓越した造形美とシンプルに徹したデザインで、多くの人々を魅了し続けている。iFデザイン賞(*1)金賞やD&AD賞(*2)をはじめとする受賞歴は60を超え、国内外問わず、メジャーブランドからのオファーが絶えない。世界が信頼を寄せるプロダクトデザインの支柱には、「人とモノと環境の"いい関係"をつくる」という、深澤氏の絶対的なポリシーが息づいている。

1)工業製品などを対象に、優れたデザインを選定する世界的に権威あるデザイン賞(ドイツ)
2)デザインおよび広告業界において国際的に評価の高いデザイン・広告賞(イギリス)

Fukasawa Naoto_1956年生まれ。イタリアやドイツ、アメリカなどの世界を代表するブランドや、国内大手メーカーのデザインとコンサルティングを多数手がける。母校である多摩美術大学で教鞭も執っている。

― 高校生のときに「この道に進む」と決心されたそうですが、何が、深澤さんの心を捉えたのでしょう。

もともと絵が得意でしたし、モノづくりも好きだったから、素地はあったと思いますが、きっかけは本当に偶然。大学進学に向け、たまたま受験生向けの雑誌を見ていたら、工業デザイナーという職業が目に留まったのです。「工業製品を通じて人を幸せにする仕事」という言葉にグッときちゃった。漠然とながらも、モノをつくって人を喜ばせたいと思っていたので、これは素晴らしいと、瞬間的に決めた道でした。
実は将来、父親が経営する電気工事会社を継ぐ予定だったのです。通っていた工業高校から美大を目指すには、受験勉強スタートが遅く、競争は厳しかったけれど、楽しくて仕方がなかった。それは、課題漬けだった美大時代もずっと続きました。振り返ればいつも、「好きなことをやって生きているのだから、こんなに面白いことはない」という感覚で、この道を疑ったことは一度もありません。親は「どうせ挫折して帰ってくる」と思っていたようですが、結局、今日に至っています(笑)。

― 入社したセイコーエプソンで仕事をされていた1980年代は、こと工業製品において、デザインの重要性が非常に高まった時代でしたね。

まさに、家電や車がその筆頭でした。まだ人数が少なかった工業デザイナーは売り手市場で、みんなソニーやトヨタなどのトップメーカーに就職していきましたが、僕はそういうブランド志向に違和感を持っていたので、あえて工業製品としては傍流だった時計メーカーを選んだのです。それが結果的に、時代の先端に触れることになった。セイコーがプリンタやプロジェクタなどの情報関連機器の開発に取り組むようになり、いろんな新しいテクノロジーを活用した製品をデザインする機会に恵まれてきたから。若いうちに得たこの経験は大きいですね。

デザインは芸術作品ではなく「道具」

― その職場を辞して、アメリカに渡られたのはなぜですか?

30歳も過ぎ、それなりの経験を積むと、自分の将来に見当がついてしまい、妙に白けた気持ちになってきたんですよ。そんな頃、海外の著名デザイナーが湖畔に佇むとんでもなくおしゃれなオフィスで仕事している様を目にして、衝撃を受けたのです。自分の生活スタイルをもデザインする人たちがいるんだと。
「ワールドクラスのデザイナーになりたい」と、積極的にアプローチして入った先がID Two(*3)です。折しもシリコンバレーのIT産業が花開き始めた頃で、僕はここでも時代の先端に身を置くことができた。影響として大きかったのは、デザイン観が変化したこと。「美しくなければ」と、造形にこだわる仕事を続けてきたのが、何か違うように思えてきたのです。モノは小さく、薄くなり、機能もどんどん変わっていく。僕がその時々に頑張ったデザインの価値は失せるし、そもそも「自分のかたち」なんてあるのだろうかと。かたちは"相手方"にある、そう考えるようになったのです。一段ステージを上がると、視界は必ず広がり、また"次の高い山"が見えてくるものです。

(*3)現・IDEO。アメリカ・カリフォルニア州に本拠を置く世界最大級のデザインコンサルティング会社

― その視界から見えた「デザインとは何か」を、あらためてお聞きしたいと思います。

僕らの仕事は、人々が考えている抽象を実像化して、「これでしょう?」と示すこと。人々には、無意識下で共通に持っている「欲しかったけれど、気づいていない実像」があるんですよ。あるいは、生活のなかで潜在的に引っかかっている小さなエラーとか。それらを"社会の兆し"として捉え、視覚化、具体化する。だから「どう?」と見せたとき、「まさにそれ。なぜわかったの?」と言ってもらえるのがいいデザイン。逆に「ちょっと違う」となったら、そこには作者のエゴが存在するということです。デザインは芸術作品ではありません。人間が日々をより丁寧に、豊かに生きていくための、一つの道具なのです。

小さな修正が社会を変えていく

― クリエイターの多くが持つ「自分を表現したい」という感覚とは、まったく別物ですね。

今の時代、そういう感覚はもう古いと思いますね。人々にとっての価値は、モノを所有するより機能を利用することにあります。かつて人々は、自分の個性を示すモノを求めていたけれど、iPhoneを見ればわかるように、何億もの人たちが同じ携帯電話を使っているわけでしょう。それでも「人と同じだからイヤ」とはならない。これはすごいことですよ。製品が新しくなるたび「また同じ」と、とかくデザインは批判されるけど、結局は世界中の人々の心を捉え、"新しい普通"になったのだから。そういう、モノが生活や環境に溶け込むような心地よさを探し出すのが、僕らの仕事だと思うのです。

― そのスタンスを貫くのに、最も大切にすべきものは何でしょう。

それは、正義でしょうか。こうすれば美しくなるのに、よくなるのに......と感じることは山ほどあって、僕らはそれらを修正しているわけです。そこに正義感がないと「この椅子、いくらで売れるかな」になっちゃう。やっぱり僕は、正義のもとにいいデザインをしたい。最近は、企業のコンサルティング的な仕事も多いのですが、クライアントに対してもスタンスは同じ。社会の一部分を受け持つという責任のもとで、共にモノづくりを重ねています。小さな修正行為でも、みんなが「そうだよね」と思えば、いずれ社会の価値観を大きく変えることができる。デザインには、そんな力があるんですよ。

Text=内田丘子(TANK) Photo=橋本裕貴

After Interview

我が家の加湿器は、ちょっと太めのドーナツのような丸型。深澤氏のデザインによる±0(プラスマイナスゼロ)のスチーム式加湿器で、もう2代目になる。このたび深澤氏の話を伺って、「± 0」というブランド名にも、ブランド立ち上げ当初から深く携わったという深澤氏の、デザインに対する哲学が込められていることに気づいた。過剰でなく、不足でもなく。人々の生活に馴染んでちょっと幸せな気持ちを呼び起こし、そして“ 新しい普通”になるように、願いを込めてデザインするという矜持だ。モノをつくる人にとって、「創造とは自分を表現することではない」と言い切るのは生易しいことではないはずだが、人々のなかにこそ、既に理想のかたちはあると信じ、それを取り出すのが自分の役目と断言する。デザイナーは芸術家ではない、との言葉も潔い。
もう1つ、深澤氏が強調していたのは「コンセプトを見せるだけでは意味がない」ということである。その輪郭をきちんと描き、製品として実存できるようにして初めて、デザイナーの仕事といえるというのだ。振り返って私自身の仕事はどうか。考えながら、過剰も不足も一切ない、美しいオフィスを後にした。

聞き手=石原直子(本誌編集長)