野中郁次郎の経営の本質赤ちゃん本舗 代表取締役社長 味志謙司氏

自社の強みを明文化し企業理念に魂を入れる

w169_keiei_main.jpg「うちの社員は全員赤ちゃん好きです」と話す味志氏。アカチャンホンポは全国に121店舗ある。同グランツリー武蔵小杉店にて。
Photo =勝尾 仁

経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。戦前に設立された老舗で、日本を代表する流通業に買収された赤ちゃん本舗の現トップ、味志謙司氏の「経営の本質」を明らかにしたい。

赤ちゃん本舗 代表取締役社長 味志 謙司氏
Ajishi Kenji
1970 年東京都生まれ。1993 年法政大学経営学部卒業後、イトーヨーカ堂入社。2007 年赤ちゃん本舗出向、2009年執行役員経営企画部長、2011年取締役常務執行役員管理本部長兼経営企画部長、2014年取締役常務執行役員販売本部長、2019年取締役常務執行役員営業本部長を経て2021年3月より現職。

雲突くようなタワーマンションが立ち並び、変貌著しい川崎の武蔵小杉。駅から徒歩数分で着く複合商業施設の4階に、妊娠、出産、育児に関する物販専門店、アカチャンホンポのグランツリー武蔵小杉店がある。400坪ある店内はゆったりしており、食品や玩具を子供の月齢別に配置した売り場や、「あそぶ・まなぶ」「おふろ・トイレ」といった生活シーン別の売り場が目を引く。

よつん這いを覚えた赤ちゃんが“出場”するハイハイレースなど、コロナ禍以前はイベントも盛り沢山。「スマイルな育児を。」というのがアカチャンホンポを運営する株式会社赤ちゃん本舗のコーポレートメッセージだ。

同社を率いるのが、イトーヨーカ堂出身の味志(あじし)謙司である。2007年、親会社のセブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン&アイ)が業績不振の赤ちゃん本舗を買収。送り込まれた4名のうちの1名だ。新卒でイトーヨーカ堂に入り、店舗勤務を4年半経験した後、経営企画に移り、10年が経過していた。本人が振り返る。「そろそろ新しい仕事をと思っていた矢先で、私自身、ちょうど子育て期でもあり、ポジティブな気持ちで移りました」

同社の前身は戦前の1932年、大阪で創業された小原正商店だ。1941年に赤ちゃん本舗となり、戦後、第1次ベビーブームに乗って売り上げを伸ばすが、1990年代後半から、少子化の影響と競争の激化により、業績が低迷する。イトーヨーカ堂にテナント出店していた関係で、赤ちゃん本舗側からセブン&アイに申し入れがあり、2007年7月、買収が実現した。

大阪・船場の問屋街にある本社に出勤した味志はオーナー企業特有の慣習に面喰う。社長はもちろん、部長や役員までもが雲の上の存在で、店舗訪問時には最寄り駅の改札で社員10名ほどが出迎えなければならない。

そんなところに、イトーヨーカ堂で衣料部門ひと筋、後に赤ちゃん本舗の社長になる河邉(かわべ)司郎、経営企画出身の味志、物流担当者、情報システム担当者の4名が「外国人部隊」として送り込まれたのだ。

情緒的な価値の不在に気づく

業績回復のため、味志が、取締役となった河邉と相談しながら取り組んだのが、事業のリストラだ。赤ちゃん本舗という名称にもかかわらず、当時は化粧品や医薬品、中元・歳暮ギフトも扱っており、それらをすべて止めた。赤ちゃん用品も妊娠から幼稚園卒園までに必要なものに絞った。

店舗の改廃にも取り組む。1000坪もある単独の大規模店を閉め、500坪程度の中型店を駅ビルや百貨店などにテナントとして入れる。「売り上げを下げ、利益を出す戦術です。ただし、リストラはしない。人を切ったらダメになる。これは河邉と私の共通認識でした」

営業利益がようやく黒字化したのが2010年だ。翌2011年の正月、河邉は味志に告げた。「ここまでは縮小均衡で生き延びてきたが、これからは拡大均衡を目指す。その方法を考えてほしい」

味志はこのお題に頭を悩ませる。悶々と考え込むうち、年が明け2012年に。その6月、セブン&アイの幹部育成研修が新しく始まり、味志も一期生に選ばれた。「9月に、経営学者によるブランド論の講義があり、ブランドには機能的な価値と情緒的な価値とがあることを教わったんです。待てよ、アカチャンホンポは品揃え豊富で価格が安く、利便性が高いという機能的な価値は十分あるけれど、買い物が楽しく、わくわくするという情緒的な価値に欠けている。拡大均衡の鍵はリ・ブランディング(ブランドの再構築)だと気づいた瞬間でした」

同社には創業者がつくった「アカチャンホンポ哲学」があった。「安らぎと楽しさと生きがいのある幸せな暮らしを創造し、会得し、体得して、これを世のため、人のため、広く販売、提供することが永久に栄える人の道である」というものだが、内容はともかく明確さに欠ける。そこで、これを全面刷新したいと河邉に提案し、受け入れられた。

ミッション、ビジョン、バリューの策定

そこから味志の奮闘が始まる。先のコーポレートメッセージに加え、ミッション、ビジョン、バリュー、ウェイ(仕事の姿勢)まで、コンサルタントや広告代理店には委託せず、社内でつくり上げた。ミッションを「私たちは、幸せな出産・子育てを応援します。」、ビジョンを「子育て総合支援企業」と置き、提供価値のうち、機能的な価値を「スマート」、情緒的な価値を「スマイル」と表した。バリューは「誠実な企業でありたい」。ウェイは河邉の希望で入れたもので、「お客様の気持ちに寄り添って考えよう」「失敗を恐れずチャレンジしよう」といった6つから成る。

これを社員に周知するべく、詳しい中身と実現に向けた具体策を記した手帳サイズの「ブランディングノート」を作成。全社員にシリアルナンバー入りで配布した。2014年7月のことだ。味志は常務、河邉は会長となっていた。

それから7年あまりが経った。リ・ブランディングはどうなっただろうか。
「成功したとは言えません。最初のうちはブランディングという言葉が頻繁に飛び交っていたものの、3年も経つと、日々の仕事に埋もれていきました」と味志。

たとえばこんなことがあった。「スマイル」を形にするため、販売の責任者だった味志が、お客さまから、できるだけ多く「ありがとう」という言葉をもらう活動を全店で始めた。その数を各店舗スタッフが毎日、閉店後に集計する。お客さまに積極的に話しかけなければ、ありがとうは言ってもらえない。「店頭でいただく苦情件数が激減する効果があったのですが、1年半もするとマンネリ化し、毎日数えるのが面倒くさいという声が強くなり、結局、止めてしまいました」

業績も停滞した。2015年は売り上げが初めて1000億円の大台を突破するものの、大台は4年しか続かなかった。国内需要の客数減少と地方店の苦戦が原因だが、そこをコロナが襲い、業績はさらに落ちた。

そのコロナ禍の直前の2020年2月、2回目のリ・ブランディング活動が始まる。「先のブランディングノートは期限を想定して作成したもので、2020年にはつくり替える予定でした。今度はブランドブックという名称で、6月、これも全社員に配布しました」

といっても、コーポレートメッセージに始まる企業理念は不変だ。では何を変えたのか。
「理念だけでは人や組織は動かない。それをブレークダウンし、仕事に落とし込む言葉を考えたのです」

w169_keiei_01.jpgPhoto =勝尾 仁(左)、赤ちゃん本舗提供(中、右)

赤ちゃんのいる暮らしを知りつくす

w169_keiei_02.jpgPhoto =勝尾 仁

具体的には赤ちゃん本舗の強みを「赤ちゃんのいる暮らしを知りつくしていること」に置いた。
「われわれのパーパス(存在意義)に近い言葉だと思います。強みをそう規定したうえで、赤ちゃんや両親が抱えている不満や不便をいち早く察知し、解決、解消していく。子育てのサポートは今や社会課題です。われわれの事業はお客さまのニーズを満たすだけではなく、社会課題の解決にもつながる。(国連の)SDGs(持続可能な開発目標)達成の取り組みそのものだと社内に言っています」

「知りつくす」方法として、月齢別の赤ちゃんの特徴やイベントをまとめた「赤ちゃんの暮らしカレンダー」を全社員で書き込み、財産にしていくことにした。数年後、赤ちゃんのいる暮らし研究所を社内につくるつもりだ。

さて、自社の強みをそう認識すると、何が変わるのか。ベビー布団を例にすると、これまでの同社のバイヤーは布団の種類や機能に詳しければよかったが、今後は、睡眠に関する赤ちゃんのストレスや両親の困りごとまで知りつくし、対応できなければならない。

その解となり得るのが、見守りカメラやスマートフォンのアプリなどで育児の負担を軽くするBabyTech(ベビーテック)製品。実際、同社は2021年6月、その展示会を東京・五反田にあるTOC店で開いたり、布団の下に敷き、睡眠中の赤ちゃんの呼吸や身体の動きを検知するセンサーパネルを品揃えした店舗を増やしたりしている。

2021年3月、コロナ禍のなか、味志は社長に就任し、社員向けの最初のスピーチで対話の重要性を強調した。一人で悶々と悩んでいる暇があったら、とにかく仲間と話して解決しようと。

口ぐせは「時と場を分けよ」。最初のリ・ブランディングと同じ轍を踏まぬよう、目の前の仕事に取り組むとき、先を見すえた業務改革に取り組むときと、時間と場所を別にし、両者を混ぜるな、という意味である。

「経営の本質」についてはこう答える。「全員が共感し、思いを1つにできる目標を掲げ、人や組織がそれに向かって動くよう、仕向けること」。まさに味志がこれまで取り組んできたことにほかならない。いくら美しい目標をつくっても、その実現に向け、全員がやり切らなければ意味はないのだ。(文中敬称略)

Text = 荻野進介

Nonaka's view
よきパーパスが梃子(てこ)となるワイズカンパニーへの道

企業理念といえば、ミッション、ビジョン、バリューの3つに、それらを実現するためのウェイを定めるケースが多い。味志氏はまさにこの教科書通りのやり方をとった。
ところが、うまくいかない。せっかくつくった立派な仏に魂が入らないのだ。そこで、2回目のリ・ブランディングを行い、「赤ちゃんのいる暮らしを知りつくしていること」と、自社の強みを言語化した。味志氏が認識しているように、それは最近よくいわれるパーパスに近い。
強みをそう置くと、従業員は「知りつくさなければ」という意識になる。そうなると、ウェイも生き、行動が変わる。知りつくすアクションを各自がやり切れば、「スマイルな育児」が形になっていく。味志氏はこの流れをつくろうと必死なのだ。
パーパスを言語化する企業が増えている。存在意義と訳される場合が多いが、私に言わせれば、それは企業の「生き方」を示す言葉にほかならない。よいパーパスは、生き方から派生し、従業員の「仕事への向き合い方」をも規定するのだ。
ところで、企業の経営資源はヒト、モノ、カネに加え、知識や情報だといわれる。セブン&アイが買収した当時、情報システム担当者も出向させたくらいだから、赤ちゃん本舗は情報という面でも後れをとっていた。
その情報に意味が加わると知識になる。最初のリ・ブランディングにおいて、情緒的な価値という新しい意味を説いた味志氏は赤ちゃん本舗の知識創造企業化を志向していた。
その知識が知恵に転化できると、豊かな実践知が全社に行き渡ったワイズカンパニーになれる。知っているだけではなく、実行できる。知識が各自に身体化し、適時、適切な行動が無意識にとれる状態だ。赤ちゃんのいる暮らしを知りつくしていれば、これが可能だ。
味志氏は対話による集合知の創造も強く促している。赤ちゃん本舗はワイズカンパニーへの脱皮を模索する過程にあるのだろう。
パーパス経営をただの流行に終わらせず、その果実をしっかり得るためには、味志氏のように、「やり抜く」胆力が必須となる。

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。