野中郁次郎の経営の本質京都信用金庫 理事長 榊田隆之氏

絆もイノベーションもすべて対話から生まれる

w166_keiei_main.jpgQUESTION4階にある吹き抜けの大階段「コミュニティ・ステップス」にて。70名収容できるイベントスペース。ガラス越しの向こうに見えるのが京都市役所だ。

経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。本連載では、革新的経営やしぶとい経営を模索し、常に高みを目指す経営トップへの取材を通じて、そうした経営の本質を探究していく。

京都信用金庫 理事長 榊田隆之氏
Sakakida Takayuki 1960年京都市生まれ。1984年上智大学外国語学部卒業。日本輸出入銀行(現国際協力銀行)入行。1985年京都信用金庫入庫、同年理事。
1996年常務理事、2006年専務理事。2018年に理事長に就任し、現在に至る。京都信用金庫の前身、京都繁栄信用組合の組合長をつとめた榊田喜三氏が祖父。父、喜四夫氏を含め、3代にわたり、京都信用金庫トップをつとめる。
※榊田氏の「榊」は、正しくは"木偏に神"と表記します。

京都の夏の風物詩、祇園祭で山鉾の辻回しが行われる河原町御池交差点の一角、京都市役所の斜め向かいに8階建てのガラス張りのビルが立つ。2020年11月にオープンしたQUESTION(クエスチョン)である。

看板は1つもなく、瀟洒なファッションビルという趣きだ。1階はカフェ&バー、2階、3階がコワーキングスペース、4階はイベントスペース、5階が学生向けの無料オープンスペース、6階は京都信用金庫(以下、京都信金)の河原町支店、7階が会議室、8階には大きなキッチンと会食スペースがある。法人ならびに個人の会員制で、月額数万円の会員になると2階以上の施設が使用できる。
運営は、京都信金のほかに、移住促進を行う企業、学生支援のNPO、社会起業家育成企業など、いずれも地場の8組織が共同で行っている。

京都信金のトップ、理事長の榊田隆之が「どんな問いでも投げかけてほしい。ネットワークを駆使し、われわれが寄ってたかって解決します。『?』を『!』に変えていく場所がここです」と、ビル名の由来を説明する。実際、10名の京都信金職員がコミュニティマネージャーを名乗り、新規事業の相談や人の紹介など、会員から寄せられた問いに48時間以内に応える仕組みになっている。

榊田がこのビルを構想した原点には米国オレゴン州の都市、ポートランドがある。「共生や寛容さ、多様性を重んじ、競争よりも共創を志向しています。彼らいわく、すべてを自社に取り込み競争する、同じ西海岸のシリコンバレーのやり方とは一線を画し、必要なときに、必要な人とつながれる緩いネットワークを大切にしている。京都も同じだと思ったんです。京都の企業は規模が小さく、個々は弱い。でも、こうした横のつながりさえつくれば、大企業にも負けない力が発揮できるはずだと」

コミュニティ・バンクを標榜

信用金庫は相互扶助を旨とする非営利組織で、営利の株式会社組織である銀行と異なるが、金融機関という意味では役割は同じだ。その金融機関がなぜ行政のお株を奪うような地域活性化の拠点創設に踏み出したのか。
実は京都信金はコミュニティ・バンクを公式に標榜する日本で唯一の金融機関なのだ。1923年に設立された京都繁栄信用組合を前身とし、現在は京都府と滋賀県、大阪府北部に92店舗を展開する。

1971年3月、当時の理事長で榊田の父にあたる榊田喜四夫(きしお)がコミュニティ・バンク宣言を発表した。喜四夫はこういう言葉を残している。「地域社会の個人と事業に資金を提供するばかりでなく、資金と共に情報を、資金と共に知恵を、資金と共に人を、資金と共にシステムを地域に提供することを通じて、地域の人と事業との接触をあらゆる面で深め、地域社会との真の意味での共栄を図るのがコミュニティ・バンクの使命である」
まるで、息子が半世紀後に新設するビルで目指すことを予見しているようだ。ただ、ここに至るまでは多くの曲折があった。時計の針を2007年まで戻してみよう。

この年の2月、京都信金は中期経営計画「21世紀のコミュニティ・バンクを目指して」を策定する。先の「宣言」からこの方、バブルとその崩壊、不良債権問題と、日本の金融システム全体が時代の波に翻弄され、新しい業態を模索する時間もなかったところ、ようやく経営環境に落ち着きが見られてきた時だった。

当時、副理事長だった増田寿幸(としゆき)・現顧問が振り返る。「社会には課題が山積みでした。非正規や就職氷河期といった言葉が溢れ、家庭内の暴力事件も頻発していた。当時の理事長が『(取引先の)社長は元気だろうが、孤独なのでは』と口にしたことをよく覚えています。地域社会に新たな絆を育むことがわれわれの使命だと改めて認識し、『コミュニティ・バンク』という言葉を約40年ぶりに引っ張り出してきたのです」 増田は翌年6月に理事長となるが、その3カ月前、「京信・絆づくり5カ年計画」を策定する。信用金庫は社会の紐帯であるべきで、中小企業経営者の孤独に寄り添うのが使命、とするものだった。

理事長になると、絆づくりの具体例として、「雨の日に傘を貸す金融機関」を宣言。その3カ月後にリーマンショックが発生する。「世情は騒然としていましたが、時代の流れは我がほうにあると思っていました」(増田)

「ナイスマッチング賞」を創設

w166_keiei_03.jpg課題解決ビルともいうべきQUESTIONの外観。以前、ここには京都信用金庫の河原町支店があった。現在はビル6階に入っている。

とはいうものの、トップが振る旗の通りに現場が動くわけでもない。支店長会議で「経営者に寄り添え」と檄を飛ばしても彼らの心にそのメッセージが届いていないようだった。
増田は一計を案じ、支店長向けのブログ「絆ブログ」を始めた。2009年10月のことだ。感動した日々の出来事や、絆づくりに成功した現場の事例を平易な文章と写真で紹介し、コメントも受けつける。金庫内に絆づくりへの共感を醸成しようとしたのだ。

京都信金には「ビジネスマッチング掲示板」というオンライン上の仕組みがあった。営業担当の職員が担当企業の困りごとを書き込み、それに対して別の職員が応える。ただ、この掲示板がうまく機能していなかった。そこで増田は、2009年11月、好事例を毎月表彰する「ナイスマッチング賞」をつくった。
たとえば、イベントグッズ会社を担当する職員が、同社が毎年正月明けに超多忙で人手不足になるので、外注先を探していると掲示板に書き込んだ。それを見た別の支店の職員が、自分が担当する、大学願書の製作を請け負う印刷加工会社はその時期が閑散期なのでどうでしょう、と応え、みごとマッチングが成立した。

栄えある受賞者は増田とランチを食べ、理事長室に招かれる。受賞の記念として写真を撮影し、それは額に入れたうえで、本人に贈られる。「その写真はこれみよがしに支店の自席に飾っておくんだぞ」という言葉とともに。
泥臭い手法だが、増田は絆づくりの実践者を誉め、その事実を社内に知らしめることで、価値観を変えようとしたのだ。

w166_keiei_04.jpg増田寿幸 氏 
京都信用金庫 顧問

翌年1月には各支店を夕方に訪問し、職員全員から話を聞くワイガヤサロンを開始した。そこで耳にした、顧客に喜ばれた営業の一工夫など、絆づくりに役立つ「いい話」を翌日のブログで発信し、それを読んだ他店の支店長が自店にも取り入れるというサイクルも回り始めた。
ところが9月に思いがけない不祥事が発覚する。職員が巨額の顧客資金を流用していたのだ。経緯を調べると、その職員の職場における孤独が浮き彫りになった。背景には営業成績至上主義という問題が横たわっていた。「絆づくりを宣言したわれわれが組織内に断絶を抱えているという事実は私にとって強烈なショックでした」(増田)

増田は大胆な試みを始める。翌2011年1月に新設した門真支店で、融資残高や預金口座数といった営業職員のノルマを廃止したのだ。戸惑う現場には「お願い営業はやめよ。融資の話はするな。お客さまの経営課題の解決にひたすら取り組め」と言い続けた。
結果は意外なものだった。「感謝したお客さまのほうから取引したいと言ってくれた。結果、営業成績は上がる、職員の連携が自然に生まれる、いいことずくめでした。職員も『取引先に感謝されるので、仕事が楽しくなりました』と喜んでいました」(増田)
ただ、ノルマ廃止を全店レベルで実行するのは時期尚早と考えた。既存の評価制度を維持したまま、今まで以上に、顧客の課題解決に成功した職員を称賛した。

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「2000人のダイアログ」を実施

2013年9月には社内SNSもスタートさせている。「私がブログを書くように、職員にも、面白いと思ったこと、自慢したいことを自由に発信しなさいと伝えたんです」(増田)
そのうち、SNSが支店の壁を越え、好事例を横展開させる仕組みとして機能するようになった。ある職員が顧客支援の取り組みを投稿する。それに対し他店の職員が「いいね」を押して反応し、「うちの店にも同様の課題を持ったお客さまがいるので、このアプローチは参考になります」というコメントを書き込むというわけだ。

w166_keiei_06.jpg融資や口座開設を目的としたお願い営業から、顧客の課題解決に主眼をおいたお役立ち営業へ。社内の風土が変わった2016年10月、増田は営業ノルマの全廃を新聞の取材で明言する。実際に形になったのは2017年4月のことだ。評価制度も顧客対応重視に変えた。翌2018年6月に理事長を退任、後を継いだのが榊田だ。
榊田も専務理事として増田を支え、一連の改革を推進してきた。その榊田は理事長就任にあたり、「日本一コミュニケーションが豊かな会社」を目指すと宣言した。

その象徴が、就任直後の7月から9月にかけて、時期と会場を分け、計21回にわたって実施した「2000人のダイアログ(対話)」である。コミュニケーションの活性化や人づくりをテーマに、パートや経営陣も含めた約2000人の全職員が対話や意見交換を行った。テーマを変え、ダイアログはこれまでに5度、実施されている。
金庫内の多くの制度がこのダイアログから誕生した。スーツや制服以外での勤務が可能なカジュアルフライデー、近隣3、4店舗をグループと位置づけ、そのなかの異動は支店長間の話し合いで実施できるようにしたグループ内自由異動制度、ダイアログの定期開催、バースデー休暇、各自の写真つき名刺、役職名ではなく互いを「さん」づけで呼ぶことなどだ。

ダイアログでは「これは面倒だから本部で引き受けてほしい」といった業務に関する声も上がる。榊田はそこで、本部にバックオフィスセンターをつくり、各支店の担当事務を一手に引き受けるようにした。
コロナ禍において半年で1万1000件という膨大な数の緊急支援融資を行ったが、この事務効率化のおかげで、担当職員の残業はほぼゼロだったという。「こうやって事務作業を減らすと、職員がお客さまに寄り添う金融に専念することができるのです」(榊田)

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寄ってたかってお節介を焼く

榊田は「経営の本質」は対話にあると考えている。「自分の経営スタイルを対話型経営と呼んでいます。課題も答えも現場にある。対話によって、職員との近い距離感を実現する。ここが自分の会社なんだという意識を全員に持ってもらいたい」
プロジェクト方式支援活動と呼ばれる取り組みもスタートした。所属や職位に関係なく、手を挙げた4、5名がチームを結成し、会員企業の課題解決に3カ月限定で取り組む。入社1年目の新人やパート職員もリーダーになることができる。プロジェクトの数は500におよぶ。

w166_keiei_08.jpg矢野凌祐 氏 
京都信用金庫 京信人材バンク

そこではチームワークとフィールドワーク、プレゼンテーションという3つが重視される。営業担当者を筆頭に、複数の職員がタッグを組む。金庫内で仕事を完結させず、その会社に出向き、社長だけではなく、社員、あるいはお客さまにも話を聞く。最後に必ずその成果を社長や社員の前で発表、提案する。
たとえば、工場の建て替えを目前にした金属加工会社が少しでも効率的な生産を実現しようと工場内のレイアウトに悩んでいた。その問題を解決すべく、プロジェクトが発足。職員が社長や社員に聞き取りを行うと、機械の稼働率や作業の手順など、想定外の問題も明らかになり、それを反映したレイアウトを共同でつくり上げた。

榊田は「寄ってたかって」「お節介焼き」という言葉をよく使う。ビジネスマッチングもプロジェクトも、そして先のQUESTIONの仕組みにもまさにその2つの言葉が当てはまる。「20世紀の金融は決済業務と仲介業務といった、お金に直接かかわる業務を中心としてきた。21世紀の金融は、それに加えて課題解決機能を持つ必要がある。そのために不可欠となるのがその2つなのです」

w166_keiei_09.jpg新田 廉 氏
京都信用金庫 京信人材バンク 共同代表

2020年6月、京都信金から社内ベンチャーが立ち上った。京信人材バンクという人材紹介会社だ。ともに2016年新卒入社の矢野凌祐(りょうすけ)と新田廉が共同代表をつとめる。
矢野は母子家庭に育ち、奨学金で大学に進んだ。卒業後は大学院に行くか、起業するかで悩んだが、奨学金を返済しなければいけなかったので、どちらも諦め、やむなく就職の道を選ぶ。そのうち、同じような問題に悩む学生が予想以上に多いことを知る。そこで、奨学金返済で進路が狭められるという課題を地域で解決し、誰もがチャレンジできる社会をつくりたいと思っていたところ、コミュニティ・バンクという考えに共鳴し、京都信金への就職を決めた。

入庫後、大学時代からの友人だった同期の新田をはじめ、さまざまな人たちとの対話を経て、考えが変わった。「あらゆる人が希望する仕事に就くことができれば、お金の問題も解決するはずだ。僕の母親も当時、思い通りの仕事に就くことができれば、返済に苦しむほどの奨学金を借りる必要はなかったのではないかと。お金ではなく、働くことに焦点をあてようと思ったのです」(矢野)

同社の現在の事業内容は、京都信金の会員企業に求職者を紹介するというもの。求職者は廃業する会員企業の従業、京都信金に口座を持つ個人客、京都信金を定年退職した元職員という3種類に分かれる。

こんな例がある。建築デザイン会社が人を探していた。ただし、要求水準は高く、英語ができ、デザインソフトを使いこなすことができ、経理もわかる人材というものだった。適任者がなかなか見つからない。 新田がふと個人客のライフプランの相談に乗る専門職員に相談してみたところ、最近、口座をつくった主婦に、うってつけの人がいるという。ハローワークに行っても、培ったスキルや経験をなかなか理解してもらえず、働くのを諦めかけていたというのだ。両者を引き合わせると、みごとに成約し、ともに喜んでもらえた。「この仕事を通じ、企業の本業支援と個人の幸せづくり、そのどちらも実現できる。胸が熱くなりました」(新田)

金融は経済の血といわれる。その巡りがよければ経済が活性化し、悪ければ冷え込む。その巡りを中長期的によくするには、人と人、人と事業をつなげていくに如し くはない。コミュニティ・バンクを突きつめると、まさにヒューマン・バンクになっていくのだ。(文中敬称略)

Text = 荻野進介 Photo = 宮田昌彦

Nonaka's view
計数追求から知識創造へ 金融の未来を象徴する組織革新

京都信用金庫の変革は2人のリーダーによって実行されてきた。先鋒をつとめたのは、現顧問の増田寿幸氏である。
ほとんどの金融機関は計数至上主義の上意下達のピラミッド組織だ。京都信金もそうだったが、それでは顧客との絆づくりを重視するコミュニティ・バンクたり得ない。増田氏は営業数字の追求が至上命題だった職員の意識を変えるために、絆づくりを象徴する実践をした職員を大いに誉めることから始めた。

増田氏はITツールを導入してそれらの事例を社内に発信し、徐々に新しい価値観と実践を正当化していった。さらに職員同士が顧客の課題や要望を共有し、支店の壁を越えて共に解決する仕組みも整備し、営業ノルマの撤廃も行った。
こうして職員と顧客、顧客と顧客の間に絆をつくる動きをいくつも制度化し、新たな価値観を定着させ、自律分散組織に変えていった。

増田氏の後を継ぎ、理事長となった榊田隆之氏は既存の組織とは別に、自主的プロジェクトを数多く走らせる試みに着手した。さらに、職員と顧客との絆だけではなく、職員と職員との絆の強化も図り、日本一コミュニケーションが豊かな組織になるためにあらゆる手を尽くしている。

われわれが提唱するSECI(セキ)モデルにおいては、互いに胸襟を開いた本音ベースの対話がそのきっかけとなる。それによって、互いの共感が生まれ、五感を通じて暗黙知の交換がなされる。そこから新しい知識の創造がスタートするのだ。
その「対話」型経営の象徴が、新たに誕生したビルQUESTIONだ。経営者、学生、起業家など、地域の広範な人たちが集い、新たな出会いによるイノベーションが創発されることを企図している。

私も見学させてもらったが、1階から8階まで、各階に知の創発が起こる工夫が凝らされていると感じた。たとえば、共感を通じた本音の対話が生まれやすいのは飲食の場面だ。そうした「共食」ができる場として、8階をキッチンスペースにしている点には大いに感心した。

金融業の使命は今後大きく変わる。世のため、人のために、地域のあらゆる知を総動員し、新たな価値を機動的に創造することが新しく加わる。京都信金はそうした知創バンクの最先端を走っている。

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。