人事は映画が教えてくれる『エール!』に学ぶ日本人が見落としているD&Iの本質

障がいは個性。相手の人格を肯定し、自立した大人同士として助け合える関係を築くことが求められている

w176_eiga_01.jpg【あらすじ】
フランスの田舎町で酪農を営むベリエ家は、長女のポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外、父(フランソワ・ダミアン)、母(カリン・ヴィアール)、弟の全員がろうあ者。ポーラは家業を手伝いながら、家族のための手話通訳も務めている。彼女は家族が生活していくために欠くことのできない存在だったが、高校の音楽教師トマソン(エリック・エルモスニーノ)に歌の才能を見出され、パリの音楽学校のオーディションを受けることを勧められ……。

『エール!』は父、母、弟がろうあ者で、家族のなかで自分だけが健常者の主人公ポーラ・ベリエ(ルアンヌ・エメラ)が、高校で歌の才能を見出され、パリの音楽学校に進学するまでを描いたヒューマンドラマです。

舞台はフランスの田舎町。ポーラは家業である酪農の仕事を手伝いながら学ぶ高校生です。手話をマスターしているポーラはろうあ者の家族と自然にコミュニケーションし、親子喧嘩も手話。時に家族と外部の人たちとの会話を手助けする手話通訳も務めます。このポーラと家族との関係を通して、私はあらためてダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の本質に気付かされました。

作品の山場の1つに、ポーラがパリの音楽学校に進学したいと家族に打ち明けるシーンがあります。ポーラは進学したいが、家族からすれば手話通訳として自分たちを支えるポーラがいなくなると困る。お互いに本音をぶつけ合い、家族は揉めます。

これが日本だったらどうでしょうか。両親は、自分たちのせいで娘の未来を潰すわけにはいかないと我慢する、あるいはそれ以前に、娘が家族のために何も言わずに夢を諦める……そんなシーンが思い浮かびます。もちろんすべての日本人がそのように行動するとは限りませんが、少なくとも日本では、相手のために自分が我慢することを美徳とする価値観があります。そんな感覚からすると、父ロドルフ(フランソワ・ダミアン)と母ジジ(カリン・ヴィアール)のポーラに対する言動は自分勝手に思えます。そこに私は日本人のD&Iに関する宿痾(しゅくあ) を感じたのです。

私たちの多くは、障がいがある人に対して、腫れ物に触るように接しがちです。その態度や振る舞いは一見思いやりがあるように見えますが、裏側には、どこかに相手を対等な存在としてみなしていない心理が働いていないでしょうか。障がい者の側も、「自分は相手に迷惑をかけている」と思い込み、必要以上に遠慮をしたり、心に壁を作ったりしてしまう。どちらの側もフラットでいられないのが現状です。

それに対して、ポーラの両親には遠慮がありません。「耳が聞こえないのは個性だ!」と主張する父のロドルフは、村のためにと、村長選に立候補します。「ろうあ者が選挙に勝つのは無理だ」と引き留める声も周囲から上がりますが、やる気になったロドルフは聞き入れません。妻のジジもそんなロドルフを応援します。ロドルフもジジも遠慮なく、自分の生きたいように生き、家族もそれを受け入れています。

D&Iで大切なのは、どのような人であれ、障がいを含むそれぞれの特徴を個性と認め、その人がその人らしく生きられるように周りが支援することです。そのときに重要なのは相手の人格を肯定すること、そのうえでお互いに余計な遠慮はしないことです。そんな視点で見ると、前述のベリエ家が揉めるシーンはとても自然なこととして感じられます。ベリエ家のように本音でぶつかり合ってお互いが納得できる道を探ることが、本来のD&Iであるはずです。

もう1つ、印象的だったのが、両親のポーラへの接し方です。高校生のポーラを原則として子ども扱いしないのです。この関係があるからこそ、ポーラは自立している。お互いに自立していることはD&Iにとって本質的に重要な条件です。なぜなら、自立とは誰の助けも借りないことではなく、助けてもらえる先をたくさんもつことであり、D&Iとは、自立した大人同士が助け合える関係を築くことだからです。

そのためには、それぞれの違いを超えて相手を理解し、自分の気持ちを伝えるあと一歩の努力が必要です。ロドルフはポーラの歌声を耳で聴くことはできませんが、ポーラの喉に手を当てて、その歌声の素晴らしさを感じ取ろうとします。ラスト近くの音楽学校のオーディションでは、ポーラは観客席にいる家族に向けて手話で歌詞を表現し、自分の歌を伝えようとします。その姿は私たちに多くのことを示唆してくれます。

w176_eiga_main.jpgロドルフは自分の本音を主張すると同時に、娘を理解しようと努力もする。ポーラの喉を触って、彼女の歌を感じ取ろうとするシーンは感動的だ。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

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