人事は映画が教えてくれる『セッション』を素材に考える 方法論としての “スパルタ”

スパルタ教育の意味と構造を正しく理解していない指導者がパワハラに走る

w155_eiga_001.jpg【あらすじ】「偉大なジャズドラマーになる」という思いを抱いて名門音楽大学に入学したアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、ある日伝説の鬼教師であるフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。チャンスを手にして喜んだニーマンだったが、そのときからフレッチャーのスパルタ指導が始まる。強烈な野心をもつニーマンは、「天才を育てたい」という思いに取り憑かれたフレッチャーの常軌を逸した厳しい指導に食らいつくが、次第に精神も身体も追い込まれていき……。

『セッション』は、名門音楽大学を舞台に、偉大なジャズドラマーを目指すアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)と鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)との師弟関係を描いた映画です。映画のテーマとして執拗に描写されるのはフレッチャーの過剰なスパルタ教育です。相手の人格を否定する罵詈雑言の数々、ものすごい剣幕の怒声、あげくの果てには暴力まで振るうその指導は、誰がどう見てもひどいものです。
今の時代、このような強圧的教育・指導は否定されるのが一般的です。しかし、学校の運動部での暴力指導や企業でのパワハラは日本の社会でも根絶されてはいません。強圧的教育・指導が有効だと信じる教育者・指導者がまだまだいるからです。
ここでまず断言しておきましょう。世間で行われているスパルタ教育のほとんどは、教える側の自己満足にすぎないパワハラです。人を育てるうえでは何の意味もありません。
では、壮絶なスパルタ指導を経て、結果的にニーマンが音楽家としての高みに達する『セッション』の世界は何なのか、という話になります。音楽の世界は特別なのか。それは確かにそうなのですが、もう少し整理してみましょう。
非常に慎重に議論するべき問題ではありますが、ある限られた条件下ではスパルタ教育は有効なのです。教育者・指導者はその点を正しく理解しないといけない。今回この映画を取り上げた理由はそこにあります。
スパルタ教育が有効になる大前提は、“何としても達成すべき極めて高い目的が存在すること”です。
該当するのは次の2つの場合です。1つは、医師やパイロットのように人の生死や人生を左右する職種の教育においてです。そのような仕事の多くは国家試験合格が必要であるように、明確・厳格な基準をクリアすることが絶対条件です。それができなければ教育の意味がないのですから必然的に指導は厳しくなります。

w155_eiga_002.jpgフレッチャーのスパルタ指導は観る者に狂気をも感じさせるが、「偉大な天才を育てる」という目的に対しては有効に機能する場合もある

もう1つは『セッション』のケース。生徒が既存の枠内の“一流”ではなく、新しいものを創り出す“天才”を目指す場合です。「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの言葉がありますが、1%のひらめきをもつ人間から99%の努力を引き出すためにスパルタが有効なことがあるのです。フレッチャーがニーマンにダメ出しを繰り返し、「悔しいだろ?  言ってみろ! 全員に聞かせろ! もっと大声で!」と責め立てるシーンは象徴的です。同じ教育者としてこのような指導はとても認められませんが、このときフレッチャーはニーマンの心に火をつけ、結果として狂気じみた努力を引き出すことに成功しています。
ただし、これは非常に危険な方法です。教わる側にも尋常ではない野心があるからこそ成り立つ。それでも一つ間違えば心に深いダメージを負うことになります。
重要なのはどちらの場合にも教える側に絶対的な判断基準が必要だということです。優れた教師は生徒に対してクリアすべき基準を明確に示すことができる。教わる側は、この高い基準を超えない限り、その先への道は拓けないと納得しているからこそ厳しい指導を受け入れるのです。フレッチャーが強いた「テンポ400(1分間に400拍叩くこと)」という高い基準にニーマンが食らいついていったのはそういう理由です。
もうおわかりでしょう。一般の企業で、人の生死を左右する職種、天才を育てる教育などの条件が該当することはほとんどありません。つまり、多くの企業で強圧的な指導が認められないのは、職場での教育法としてそもそも有効ではないからです。
『セッション』にはスパルタ教育のリスクも存分に表現されています。ある者は脱落し、ある者は心を病み、ある者は指導者を憎悪する。劇中には自殺した弟子の挿話も登場します。自己満足のパワハラは、天才を育てるどころか、これらのリスクだけを生み出し続ける愚かな行為なのです。

Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎

野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。

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