著者と読み直す『「能力」の生きづらさをほぐす』 勅使川原(てしがわら) 真衣

子どもたちなしに、この本は書けなかった

本日の1冊

『「能力」の生きづらさをほぐす』  勅使川原(てしがわら) 真衣

w177_book_01.jpg2037年。職場で「使えない奴」と烙印を押された新卒2年目の息子と、女子高生の娘の元に死んだ母(著者)が幽霊として現れる。親子の対話から浮かび上がるのは、巷で語られる「能力」の正体と、過剰な能力信奉が人々を追い詰める構造だ。その泥沼から脱する方法はあるのか。教育社会学を学び、人材開発の現場で「能力」について探求してきた著者が、ガンと闘病しながら紡いだ子どもたちと次世代への渾身のメッセージ。(どく社刊)

採用選考では「センスがある」「変革人材」などと誉めそやされたのに、入社すると「コミュ力がない」「使えない」などと評価が一変──。そんな職場の「あるある」事例から始まる本書。物語は親子の軽妙な会話で進行するが、著者の勅使川原真衣さんの恩師でもあるオックスフォード大学の苅谷剛彦教授は、「能力論の地平を開いた、学術的にみても優れた本」と評する。

本が生まれたきっかけは2020年のクリスマス。その日、勅使川原さんは東京・四谷のオープンカフェで、友人で医療人類学者の磯野真穂さんと向き合っていた。
「その年の夏に進行性の乳がんであることがわかり、あと1年くらいで死ぬんじゃないかと思っていました。子どもたちは小さいし、自分が作った組織コンサルの会社でやっていた企業向け研修もコロナ禍でストップ。知り合いの精神科医に『絵に描いたような不幸だ』と言われてすごく傷ついて、そういう悲しみや怒りを磯野さんに泣きながら話していたんです。そこで磯野さんが、『今、感じている理不尽を、お涙頂戴ストーリーとしてではなく、ちゃんと書いてみたらどうですか』と言ってくれたのが始まりでした」

その後、磯野さんと対話を重ね、理不尽さの根っこに、「健康」や「幸せ」など一元的な「正しさ」が世の中を支配し、対比的に「この人は不幸」と決めつけるような構造があると気づいた。「私の専門の人材領域でも、特定の『能力』を持つことが正しく、それを獲得することが成功や幸せにつながるという言説が支配的。『リーダーシップがない』『人間力に欠ける』と捉えどころのない個人の内面が評価され競わされ、多くの人がモヤモヤを感じています」

息苦しい社会に子を残して死にきれない

そうした「能力」をめぐる社会構造を、勅使川原さんは大学院時代に教育社会学で研究していた。「敵地視察の就職」と称し人材開発の世界に入ってからも、能力信奉に問題意識を持ち続け、個人の「能力」ではなく「組織」を開発しようと独立した。そんななかでの乳がん発覚だった。
「自分が病気になって、こんな息苦しい社会を子どもたちが生きていかなくちゃいけないとしたら、死んでも死にきれないと思ったんです」

翌夏から、勅使川原さんは磯野さんに原稿を見てもらっては書き直す作業を繰り返した。会社経営と子どもたちの世話、苦しい抗がん剤治療と並行しながらの執筆だった。
「最初はコンサルタントの癖でロジックツリーで構成を考えていました。コンサルの仕事の大半は予測なので、執筆も結論を予測して最善、最速、最短の解を探すつもりで。でも磯野さんにすっごい怒られたんです。『結論が見えていることを書いてどうするんですか。あなたは今の状況に怒っていて、学問の知見と現場の経験を持つあなたにしか言えないことを子どもたちに伝えたいんでしょ。だったら結論なしに筆を走らせてみて』と言われて、あっ、そうかと」

実際、無骨なタイプの息子ならこんな疑問を持つんじゃないか、娘ならこうツッコミそうだと想像しながら書き出してみると、勝手に手が動き出す瞬間が何度もあった。

「この結論じゃ子どもは納得しないと思い直して書き足すうちに、まったく気づかなかったことを発見したり。子どもたちなしには、この本は書けなかったと思います。2人には、あなたたちも一緒に書いてくれた本だよねって伝えたい。印税も払わなきゃいけませんね(笑)」

能力の序列化は不毛 大事なのは組み合わせ

「能力」は一人ひとりの所有物であるかのように語られるが、「そうではない」と勅使川原さんは同書のなかで繰り返し述べている。
「その人が活躍するか否かは全体のなかの関係性、デコとボコをどう組み合わせるかの問題。個人を万能化させたり、特定の能力を序列化したりして、競わせる必要なんてないんです」

だが、曖昧な「能力」を評価しなければならない人事や上司は、わかりやすい物差しを欲しがる。ニーズに応えようと人事領域のベンダーやコンサルティング会社は能力の診断や開発を謳う商品を次々と売る。勅使川原さんは見事な手捌きでそのカラクリを明らかにするが、「能力商品も、出自で人生が決まる不公平な社会を変えたいという善意から生まれている。でもやり過ぎた結果、本来の意味を見失ってしまった。だから、子どもたちには『注意してね』と伝えたいんです」という。

では、能力社会の生きづらさを、私たちはどうほぐしていけばいいのだろう。
「物事を関係性ではなく個人単位で見ようとしたり、二項対立で捉えたりした瞬間に、自分の首を絞めるということをまず知ってほしい。誰かが恣意的に決めた評価基準を無条件に信じるのではなく、デコとボコを組み合わせて車が走ればそれでOKだよねという、人間同士の大胆な信頼みたいなものを取り戻したいですよね」
その問いかけは、次の世代、そして今を生きる私たちに向けられている。

w177_book_02.jpgTeshigawara Mai
1982年生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ボストン コンサルティング グループ、ヘイグループなどを経て独立。専門は組織開発。2児の母で2020 年から乳がん闘病中。

Text =石臥薫子 Photo=今村拓馬