人事のアカデミアその日暮らしの人類学

多様な社会のあり方を知り 未来を生き抜く切り札を増やす

ゴールを設定し、計画を立て、合理化を図って成果を追い求める。これまで当たり前だと思っていたやり方が、環境の変化に伴い、うまく機能しない場面も増えてきた。未来はますます予測しにくくなっているが、新たな秩序をどう作り上げていけばいいのか、私たちはその手がかりをなかなか見つけることができていない。それでも世界に目を向ければ、私たちとは異なる仕組みで動く社会があり、異なる価値観で生きている人々がいる。私たちが思う以上に、やり方はたくさんある。タンザニアの都市部などでフィールドワークを重ね、世界の多様性を肌で知る人類学者の小川さやか氏に、もっと別のやり方、生き方に気づくヒントを聞く。

ストリートで培うウジャンジャという知恵

梅崎:小川先生は3年半にわたってタンザニアでフィールドワークを行われました。マチンガと呼ばれる零細商人の世界に飛び込み、自ら路上に出て古着の行商をしたり、チームを作って中間仲卸商も経験されたとか。
日本とはまったく異なるタンザニアの人たちの「Living for Today(その日暮らし)」の生き方は、とても新鮮で、深く興味を覚えました。まずは、マチンガが都市を生き抜くために重要なスキルともいうべき「ウジャンジャ」について教えてください。

小川:ウジャンジャとは「賢さ」「狡猾さ」を意味する言葉で、うまく人の心をとらえて、その場を乗り切る知恵みたいなものです。たとえば嘘がばれてピンチに陥ったとき、土下座して謝るのか、笑ってごまかすのか、即座に逃げるのか。場合により、相手により、切り抜け方はいろいろありますよね。

梅崎:1つの正解があるわけではなくて、状況に応じてうまく切り抜ける、身体知のようなものでしょうか。

小川:はい。これまでさまざまな場面を切り抜けてきた記憶と経験が積み重なって、ひらめいたと同時にとっさに体が動く、みたいな感覚です。計算しているわけではなく、身体化されているものなので、ウジャンジャは人によって違います。普段は無口でむすっとしている人が、たまににこっと微笑んでくれるだけで、相手は何だかうれしくなってしまう。地方から出てきたばかりの朴訥とした若者が、失敗してあわてていると、周りは「仕方ないな」と思って許してくれたりします。

梅崎:このようなウジャンジャを、ストリートの教育で身につけていくわけですね。

w177_acade_03.jpg現地では日常的に「ウジャンジャ」について語られ、人々はうまく生き抜く知恵を培っていく。

小川:路上で商売をしていると、日々「今ウジャンジャを使ったね」とか「これはお前のウジャンジャではないだろう」などと言われます。今でいう「いいね」の代わりに、その都度、周囲の小さな承認を得ながら、自分なりのウジャンジャを磨いていくわけです。

梅崎:落語の世界では、持って生まれたおかしみや愛嬌があるという意味で、「フラがある」という褒め方をします。

小川:まさにそのようなものだと思います。最初は計算高さがばれてうまくいかないことがあっても、徹底的に突き詰めて、芸にまで高めていってこそウジャンジャの真骨頂だ、とよくいわれています。

仕事も人付き合いも多様な選択肢を揃える

小川:前提にあるのは、「それぞれがそれぞれであっていい」という価値観です。経済的にも社会的にも不確実性の高い環境にあるので、彼らは「これが理想的な生き方だ」という画一的なモデルを持たずに生きています。

梅崎:特にマチンガは、雇用されているわけでも、組織化されているわけでもない個人零細事業者ですから、置かれている環境はかなり不安定ですよね。

小川:はい。だから、そのときどきの環境変化に対応して仕事や住む場所を転々としながら、ある程度、何でもこなせるジェネラリスト的な生き方をしています。

梅崎:「生計多様化戦略」というものですね。経営学、キャリア研究の分野ではニューキャリア論への関心が高まっており、日本においても、雇用が不安定化するなかで会社員の副業が解禁されたり、個人が主体的に変幻自在なキャリアを築いていくプロティアン・キャリアが提唱されたりしています。マチンガの生計多様化戦略は、こうした新しい生き方に似ているようでどこか違う気もします。

小川:堀江貴文さんの著書のタイトルになった「多動力」という言葉があります。次から次に興味のあることに挑戦して、いろいろなことができるようになっていくイメージですが、タンザニアの人々の生き方は「多」ではなく「他」、「他動力」と表現するほうが近いと思います。つまり、1人ですべてをこなせるスーパーな個人を目指すのではなく、外付けハードディスクのように、自分の周りにいろいろなタイプの人間を備えておく。普段はそれぞれ勝手に生きていて、困ったら自分より得意な誰かに頼ればいいじゃないか、という発想です。

梅崎:それは、強い紐帯で結ばれたコミュニティを作るのとは違うんですね。

小川:コミュニティが存在しているわけではないんです。日本のように、共同体のなかで相互に支え合い、バランスのとれた互酬的な関係を作っていこうなどとは、まったく考えていないと思います。むしろ、ネットワーク的な関係性ですね。SNSでたくさんの人とつながって、たいていはスルーしているけれど、気が向いたらなるべく反応するようにしておけば、自分が何か投げかけたときにも誰かしら返してくれるはず。そういう目の粗い個人的なつながりが、たくさん重なり合っている状態です。

梅崎:だとすると、集団のなかで「誰かに無視された」などと、人間関係に気をもんだりすることも少ないでしょうか。

小川:おそらくほとんど気にしません。彼らのいう「みんな」とは数百人から1000人以上。仕事もどんどん変えていき、人生で何十回と転職するので、膨大な人数のネットワークができるのです。もちろんほとんどがスリープ状態になりますが、一応つながりを保ちつつ状況を見てはいる。いってみれば、少しずつ、とにかくたくさんの人たちに投資しておくわけです。

梅崎:だから、「試しにやってみるか」という気軽さで新しいことに挑戦できるわけですね。

小川:そうなんです。これだけたくさん知り合いがいれば、誰かが助けてくれるというセーフティネットにもなっています。近年、タンザニアから中国に買い付けに行く商人が増えましたが、彼らは「行けばなんとかなる」とばかりに、言葉もできない、十分な資金もないのに中国に渡航してしまう。日本人同士なら無謀だと怒られそうなものですが、実際、誰かしらうまくいっている人がいて、そのおこぼれにあずかったり、たとえしくじっても、ほかにも失敗している人がたくさんいるので気にしない。借りを作ることは日常で、貸しているほうも期限を定めず、いつか返ってくるだろうという態度で放っておきます。

w177_acade_04.jpg「困ったら誰かに頼ればいい」がセーフティネットになっている。

梅崎:まさに「Living for Today」の生き方ですね。日本だと、この人に助けられたからお返しする、という1対1の関係を重視しますが、彼らは全体のネットワークのなかでいつかどこかで相殺できればいいと考えている。
とはいえ、返ってこない可能性もあるわけですから、少しでも優秀な人、結果を出している人に賭けたいと思わないのでしょうか。あの人に賭けて、この人には賭けないという判断は、どのようにしているのですか。

小川:個人のバランス感覚でとしかいいようがないのですが、あえてそこに計算があるとしたら、いろいろなカードを揃えるということでしょう。未来はどうなるかわからない。今は古着商の羽振りがよくても、古着が輸入禁止になったら一気にほかの商売が花形になりますから、多様な人に賭けておいたほうが生き残りの確率は上がります。9割は失敗しても、1割が成功すればよいのですから。
さらに言えば、全員がうまくいっても困るのです。自分がしくじったときに助けてくれる人も必要ですが、一緒に不運を嘆いて慰め合える人がいてもいい。多様な人間の一揃えを持っていれば、どんな状況に陥っても、必ずそのときの自分にヒットする人はいる。人間関係も多様化戦略なのです。

オルタナティブな社会の可能性を探る学問

梅崎:まずは試してみる、どんどん挑戦するという姿勢は、イノベーション創出を目指す企業の戦略と通じるところがあるような気がします。このまま会社に取り入れることは難しいと思いますが、マチンガの生き方には私たちの参考になる部分もあるでしょうか。

小川:そもそも人類学は、ある社会のやり方を別の社会にインストールすることを目指しているわけではありません。どんなやり方にもよさがあり課題があるので、自分たちに合ったものを取り入れればいい。多様なやり方があることを知って切り札が増えたほうが、今よりもっとうまくいくのではないでしょうか。

梅崎:それもあって、最近では、ビジネス界でも人類学への関心が高まっています。

小川:社会が不安定化するなかで、現在を起点に未来を予測するフォアキャスティングも、あるべき未来像を描いて逆算するバックキャスティングも、やりにくくなっている。そこで、外側からの視点を取り入れたアウトキャスティングの思考が求められているのでしょう。
なかでも、参与観察という人類学的手法が非常に注目されています。インタビューや聞き取り調査をしても、常識だと思っていることはなかなか表に出てきません。そこで、彼らと一緒に実践しながら言葉や行動を徹底的に観察・収集し、言語化できない論理や行動の意味をすくい取っていく。これが、ユーザー視点のマーケティングや商品開発に生かされています。

梅崎:昔は文化人類学というと、未開の地に行って異文化を研究する学問のイメージがありましたが、今は研究のフィールドもすごく広がっていますね。

小川:人類学の目的が、単に異文化を研究するだけでなく、異文化と自文化、さらに別の文化を往還しながら人類にとっての普遍的な問いにつなげることだとすると、動物と人間、機械と人間の関係なども研究対象になります。最近では、ロボット工学の研究室や数学者のラボでフィールドワークを行うこともあるんですよ。

梅崎:小川先生は「エスノグラフィ・プロトタイピング」という構想を唱えていますが。

小川:SF的な発想をもとに未来のビジョンを描き、イノベーションにつなげる「SFプロトタイピング」と同じように、人類学的想像力をもっと生かすことができるのではないかと考えています。たとえば今後キャッシュレス化の時代になるといわれますが、人類学の知見では貨幣のない社会などめずらしくもなんともない。ではヤップ島で使われた石の貨幣の論理をブロックチェーンで実現するとどうなるか。自分たちの社会に置き換えて、そんな妄想を広げてみるのも楽しいですよね。人類学は、同時代の人々とともにオルタナティブな社会を作るヒントを考えていく学問だと思っています。

梅崎:人類学の広がりにさらなる可能性を感じます。今を息苦しく感じている人も、世界にはもっと多様な生き方があることを知ることで、少し軽くなれるのではないでしょうか。

w177_acade_05.jpgフィールドワークでは、社会の一員として活動に参与しながら対象を観察していく。

Text =瀬戸友子 Photo=刑部友康(梅崎氏写真) 本人提供(小川氏・本文内写真)

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小川さやか氏
立命館大学 先端総合学術研究科・教授

Ogawa Sayaka 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同助教、立命館大学先端総合学術研究科准教授を経て現職。

◆人事にすすめたい本
『「その日暮らし」の人類学─もう一つの資本主義経済』(小川さやか/光文社新書)世界には、資本主義とは異なる価値観で人びとが豊かに生きている社会がたくさんある。多様な生き残り戦略から生き方を問い直す。

梅崎修氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

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