「自分を諦める」という静かな抵抗 ―― 36年前の20代と現代の「寝そべり族」が問いかけるキャリアの真意
「必要以上に働いたら負け」。そんな価値観を掲げる若者の姿は、変節なのか、それとも時代の必然なのか。本記事では、労働価値観を長年研究してきた三川俊樹先生と、リクルートワークス研究所の辰巳哲子が対談。最新のインタビューや1万人規模の調査データをもとに、1988年の国際比較や『新価値観尺度』の開発以来、若者を見つめてきた三川先生の知見と重ねながら、現代の若者の「働くこと」への意識の深層を探る。そこから浮かび上がるのは、「求めても得られない無力感」という感覚である。閉塞感をどう乗り越えるのか。管理のPDCAに代わる新たな指針「DDRRR」に、そのヒントを見いだす。
現代に現れた「物言わぬ寝そべり族」
「働いたら負けではなく、必要以上に働いたら負けなんだ――」。 リクルートワークス研究所の辰巳が、三川先生(追手門学院大学教授)との対談の冒頭で紹介したのは、ある書籍に記された一節でした。それは、中国で社会現象となった「寝そべり族(タンピン族)」の価値観を綴った書籍の言葉です。
家を買わず、車を買わず、過度な消費をせず、頑張りすぎない。そんな「寝そべり主義」を、単なる怠慢ではなく「誰にも迷惑をかけない最低限の生活」という生存戦略として捉える若者たちが、今、日本の労働市場にも確実に増えています。
かつて、名の知れた大企業でバリバリと働くことは、自己実現や成功の象徴そのものでした。しかし今、たとえ誰もが知る大手企業に身を置いていても、「仕事はあくまでライスワーク(食べていくための手段)」と割り切り、本当にやりたいことは副業やプライベートで実現するという若者が現れています。働くことに対する個人の認識は、かつてないほど多様化しており、既存のマネジメントやキャリア観では捉えきれない地殻変動が起きているのです。
30年以上前から示されていた「予兆」
三川先生は、この現象を「唐突に現れたものではない」と見ています。先生が1988年に行った調査では、当時の20代は他の世代に比べて「経済的安定性」を求めず、代わりに「能力の活用」や「創造性」、「人間的成長」に極めて高い価値を見出していました。
さらに1993年に開発された「新価値観尺度」では、若者が「人間として成長すること」や「自立すること」を強く重視する一方で 、「昇進が早いこと」や「権威をもつこと」といった、西欧的なステータスや地位に対しては明確に無関心である実態が示されました 。 「当時の若者も、社会的な地位や権威よりも、自分の内面的な豊かさを重視していました。現代の若者が口にする『無理をしない』という価値観の地層は、この頃からすでに形成されていたのではないでしょうか」と三川先生は分析します。
三川先生の因子分析を用いた研究によれば、日本人の労働価値観は「人間的成長」「社会的評価」「愛他性」「労働条件(経済的安定性)」といった領域に集約されます。注目すべきは、1980年代後半の時点で、すでに20代の若者の間で「経済的豊かさ」よりも「自己の能力発揮」が優先されていた点です。この「内面重視」の傾向が、時代を経て「無理な競争からの離脱」へと深化していったと考えられます。
自己防衛と諦め――インタビューから見える若者のリアル
しかし、現代の「寝そべり」には、当時よりも深い「諦め」の色彩が混じっています。辰巳が実施したインタビュー事例からは、切実な葛藤が浮かび上がります。
Aさん(29歳男性・清掃員)は、大手企業の子会社からキャリアをスタートさせましたが、現在は「自由人」であることに安らぎを見出し、「違う仕事をやるなんて想像もつかない」と語ります。彼は、自分自身の可能性を広げるためのキャリアモデルに出会えないまま、現状にとどまることを選択しています。
Bさん(28歳女性・サービス業経験)は、華やかな世界への憧れを持ち、難関資格も一発合格するほどの能力を持ちながら、「人は人、私は私」と語り、憧れへの気持ちを押しとどめ、周囲の評価を気にしない姿勢を強調します。しかし三川先生は「評価を気にしているからこそ、気にしないように努めているのではないか」と、その繊細な自己防衛を見抜きます。
Cさん(シングルマザー)は、販売の仕事に誇りを持ち、売上貢献に喜びを感じていましたが、頑張っても時給がわずかしか上がらない現実と、努力していないように見える同僚との待遇差に絶望しました。彼女は「自分らしくありたい」という願いを、報酬の高い異業種へでの勤務という形で折り合いをつけ、本来の意欲には蓋をしました。
三川先生は語ります。「彼らは最初から達成意欲がなかったわけではありません。求めても得られないという経験の繰り返しが、一種の無力感を生み、結果的には自分を守るために『求めないこと』を選択せざるを得なかったのではないでしょうか」
格差とキャリアモデルの不在――「知らないことは想像できない」
ここで見過ごせないのが、教育や経済状況による「格差」の問題です。三川先生は、今の若者たちが置かれている環境の閉塞感を指摘します。「知らないことは、想像することも、目指すこともできません」
三川先生が提示した過去のデータによれば、大学生の「自己実現志向」は非常に高い一方、実際の進路計画や決定については後ろ向きな回答が多く、将来への明確なイメージを持てないことによる「不安」が蔓延していました。「大学でキャリア教育が必要なのは、彼らが意欲を持っていないからではなく、どう動けばいいのかという『地図』を持っていないからです」
多様な人間関係や、生き生きと働く大人のモデル(キャリアモデル)に触れる機会が極めて限られている若者にとって、現状の延長線上にない未来を描くことは困難です。特に、親のキャリア志向が子どもに与える影響は大きく、モデルの不在が若者の選択肢を狭めている側面があります。
「無理をしない」という生存戦略
若者が口にする「無理をしない」という言葉。三川先生が30年以上も前に発表した「新価値観尺度」の開発の過程においても、「健康であること」「身体をいたわること」などに加えて、「無理をしないこと」という項目を含めていました。
三川先生は、自身の1年近くに及んだ闘病経験を振り返りながら語ります。「復職して間もなく『前向きに生きる』というテーマの講演依頼を受けたことがありますが、本当に辛いことでした。トイレに行くのさえしんどかった当時の私には、『前』がどの方向かさえわからず、全く前向きになれませんでした。 若者にとっての『無理をしない』とは、単なる怠慢ではありません。自分をいたわり、等身大の自分を守るための、切実な『生存戦略』なのです」。カウンセラーとしても活動してきた三川先生は、彼らの「無理」の正体を知るために、「あなたにとって無理とは何か?」を具体的に聞き、その境界線を理解することが支援の第一歩だと説きます。
展望:PDCAから「DDRRR」へ。幸せ視点のキャリアデザイン
では、私たちは彼らとどう向き合うべきか。三川先生は、企業や教育現場で標準となっているPDCA(計画・実行・評価・改善)という管理的なサイクルに疑問を投げかけます。
「今の世の中はPDCAサイクルを回せと言いすぎているのではないか」と三川先生は指摘します。目標を立て、実行し、できなかったことをチェックして改善する。この手法は、明確な目標を持てる人には有効ですが、将来への不安や無力感を抱える若者にとっては、できなかった自分を突きつけられる「自己否定の罠」になりかねません。
代わりに三川先生が提唱するのが、「DDRRR」というプロセスです。「DDRRR」は、管理されるための道具ではなく、本人に自分の人生の主導権を取り戻させるためのプロセスです。 特に重要なのが「Reflect(振り返り)」と「Reframe(再定義)」です 。例えば、仕事で失敗したとしても、「自分には向いていない」と断じるのではなく、「このやり方は合わないとわかった」・「次はこうしてみよう」と視点を変える。そうすることで、次の「Realize(実感)」、つまり「自分なりに前進している」という納得感につながるのです。
「無理をせず、自分のペースでこのサイクルを回すこと。その積み重ねが、いずれ自分らしいキャリアという形になっていくのです」。この「自分なりに前進している」という実感の積み重ねこそが、現代の若者が必要としている「自己効力感」の源泉となります。
※生成AIを用いて作成したイメージ図。
Do(取りあえずやる):実行なんて肩肘張らなくていい。取りあえずやってみる、何か一つのことに取り組んでみる。
Reflect / Reframe(振り返り・視点を変える):起きた出来事を振り返り(Reflect)、視点(フレーム)を変えて(Reframe)自分なりの意味を見出す 。
Realize(実感する):小さな前進を「ああ、そうか」と実感し、納得する。
「キャリア教育は、職業や仕事に就くために行われているのではありません。1人も見捨てないという精神で、多様な人生に触れ、自分を諦めることなく『自己効力感』を育む場であるべきです」
DDRRRは、目標達成の管理サイクルではなく、経験を意味づけし直しながら「次の願い」を育てていく循環です。若者の「寝そべり」は、社会に対する静かな問いかけです。私たちは彼らに「もっと頑張れ」と努力を強いるのではなく、彼らが再び自分を信じ、自分なりの幸せの形を描き、小さな「DDRRR」を回し始められるような土壌を耕す時期に来ているのかもしれません。
執筆:辰巳 哲子

三川俊樹(みかわ・としき)
追手門学院大学心理学部教授。専門はカウンセリング心理学、キャリア心理学。Super& NevillのValues Scale(VS)の日本語版開発や現代青年の価値観を測定する「新価値観尺度」の開発など、長年にわたり労働価値観研究に取り組んでいる。
参考文献
中西信男・三川俊樹(1988)職業(労働)価値観の国際比較に関する研究―日本の成人における職業(労働)価値観を中心に. 進路指導研究, 9, 10-18.
三川俊樹・井上知子・芳田茂樹(1993)新価値観尺度の開発. 追手門学院大学文学部紀要, 28, 35-48.
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